先のふたりとも長い高座を務め、開始から45分経過。
トリは春風亭朝枝さんでさらに長講一席。
一朝師の末の弟子のこの人は、40分ほど時間を使っていた。
昨年、二ツ目昇進披露の芝居(池袋)で二度聴いて、すっかりファンになった。
それから1年振りだ。
先のふたりのメクリはちゃんとしていたのだが、朝枝さんのメクリは本職じゃない人が書いているみたい。なんだか「春風亭」がにじんでいる。
そういうことはたまにあるようだ。噺家の中にも、見よう見真似で寄席文字を書く人がいるのである。
それはいいとして、噺家によくある「枝」の字が普通と違う。見たことのない字。
まだ昇進して1年、入門から数えても6年なのに、朝枝さん、なんだかすごい風格。圓生みたいな。
この1年間、それもコロナ禍にいったい何があったんだ。まだ34歳だそうだが。
風格は出しているものの実年齢は若いので、なんだか圓生コスプレみたいな雰囲気もちょっとだけ漂わせる。
ただ、一席終わる頃にはそんなムードはすっかり消えていた。
高座で客から映る姿、そしてそうありたいと思う姿に、どんどん自分自身の内面を合わせていっているのだろう。
どこかで行き詰まらなければいいが。ほんのちょっとだけそんな心配をしたりする。
ちなみに粒の揃った一門の兄弟子の、誰にも朝枝さんは似ていない。
柳朝、一之輔、一蔵、一刀といった明るく軽いキャラこそこの一門の特徴っぽいが、まるで漂わせるものが違う。師匠だって、こんな昔の名人を装ったような人ではない。
名門の最後に誕生した、超の付く本格派が朝枝さん。一朝師ももう、弟子は採らないのでは。
喋り方も、若手のそれではない。
鼻濁音がすごい。鼻濁音とは、文頭を除くガ行を鼻に掛けること。「茶の湯」だと、「青ぎなこ」「茶釜」の発声がそう。
だが朝枝さん、「バ行」と「ダ行」も鼻に掛かっている。これでもって鼻濁音が強いと感じる。
それどころか、濁りの付かない「カ行」までもが鼻に掛かって聴こえる。
すごい名人口調。
こんな話し方だった覚えはない。もしかすると、単に春先で鼻が詰まり気味なだけかもしれないが。
現在の鶯谷、かつての根岸の里の説明をして、茶の湯。
たっぷりある時間をゆったり使い、名人の風格を高座にあますところなく映し出す。
まったく焦らない朝枝さん。名人の空気に呑まれた客たちが、面白いことを待たずに、勝手に笑い出すのだった。
落語のあるべき方法論をすでに内面化している。どういうことか。
「何も知らないが風流を味わってみたい」隠居の造形に、ストレートに突き進む朝枝さん。
この隠居は、大真面目に間違った作法を追求する。これは客から見て当然に面白い。ギャグを作為的に加えなくても、客はもう、楽しくて仕方ない。
それどころか、「一応はギャグ」であるシーンでもって、これを我慢して出さない。すると客がそのラグに笑い出す。
楽しいし、そして疲れない。すべての笑いは、客が自ら望んで手に入れたものだからだ。
二ツ目だろうが、あと10年キャリアを積んだ若手真打だろうが、できる人にはできそうなスキル。とはいえ、実際にこんな高座を務める人はそうそういない。
やられたと思いつつ、同時に「これはまずいな」ともちょっと思う。
私の好きなお笑い寄りの二ツ目さんたちが、朝枝さんと一緒に出たら公開処刑されてしまうかもしれないではないか。
もちろん、落語のスタイルもいろいろなので、落ち着いた人と躁病的な人と一緒に出たって別に問題はない。だが、躁病的な高座から得られる笑いを、朝枝さんの技法が根本からぶっ潰しそうでもあるのだ。
新作ならいいが、面白古典派は殺られるかもしれない。
先に出た笹丸さんみたいな、欲のないスタイルなら大丈夫。
時間たっぷりなので、隠居に呼ばれる3軒長屋の店子のエピソードもちゃんと入っている。
「なにも引っ越さなくたっていいじゃないか」という、その常識を踏み外した態度が、3軒順にエスカレートしていく。
その困ったさまを眺めてとても幸せ。
だが、この3軒が実際に茶に呼ばれるくだりはなし。面白い省略の仕方。
後半、徐々にテンポが上がっていく。世界が十分に安定したので、そこで固定化しないように勢いをつけるということだろうか。
最後、「利休饅頭」をぶっつけられる百姓が、「また茶の湯か」というまで、演技はたっぷりだが余計なセリフが少なくて、とても気持ちいい。
若き天才春風亭朝枝、なんて、ちょっと今日は褒めすぎたかもしれない。
でも本当にそう感じたのです。
褒めすぎたからといって、次聴いた機会に反動でガッカリなんてことはないと思う。そもそも、今回のような大ネタを披露する機会には、そうそう遭遇しないだろう。
連雀亭のトップバッターあたりで「たらちね」とか軽い高座を聴いたとしても、モードが相当違うから裏切られたりはしないだろう。
ともかく、20人足らずの客の前で披露された圧巻の高座。本当に来てよかった。