黒門亭15 その4(古今亭菊之丞「子別れ」下)

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吉原で散々遊んだ熊さんがようよう家に帰る頃には、開始から20分経っていた。すでに16時20分で、残り時間は10分。
まさか10分で終わるわけはない。もう少し時間を取るのであろう。
5分程度で、子別れの「中」にあたるエピソードをダイジェスト的にこなし、そこから「下」(子は鎹)に入る。
下は20分ほどだった。
いつも落語を聴いて、必要以上に時間配分を気にしているわけではない。だが、上から始まったのでさすがに驚き、ついタイムキーパーをやってしまった。
全体の持ち時間、45分と決めてやったようである。この構成、かなり効果的に思った。
子別れの「中」では、熊さんの非道振りを描かざるを得ず、あまりすっきりしない。これをダイジェストにしたことによって、親子の再開に劇的な効果が生まれるのだ。
弔いの後に遊びに行く熊さんも、女房子供に出ていかれて了見を入れ替えてからの熊さんも、どちらも熊さん。ビフォー&アフターが端的に描かれる。
そういえば、芝浜だってそういう構造だ。
ダイジェストの中を飛ばすため、息子の亀吉は「下」で初めて登場する。だから、「お父っつぁんを嫌って母と一緒に出ていったあの亀ちゃん」ではない。まっさらな状態での登場。

「子は鎹」は明確に人情噺である。
だが菊之丞師、熊さんと亀の再会、おっ母さんと亀の玄翁のやり取りを、決してしつこく押しはしない。
私のイメージとしてはむしろ、客にしっかり人情を語り込む師匠だ。だが、子別れについては、むしろ軽いと言っていい。
展開もトントンと運ぶ。時間の関係はあるにしろ。
登場人物の間に演者が入って、全体をしっかりとコントロールしている感じ。
客に感動を押し付けるような部分はかけらもない。だが登場人物の了見がしっかり描かれているので、客が勝手に噺にのめりこみ、ほろりとする。

ファンの多い菊之丞師、たびたび聴いていると、わりと早めにわかったつもりになる芸だと思う。
でも、わかった「つもり」に過ぎない。今私は、一周回って改めて師を聴き直している。
二周回っているとはまだ言えないな。それでも、二周目に入った私の感性に、改めて多くのものが引っかかってくる。

熊さんは、自分がダメ人間であることをよく知っている。
元がダメ人間だから、きちんと働くようにはなったけれども、いきなり生まれ変わって立派な人間になったわけでもない。そのことも自覚してるんだろう。
腕はある人だから働けばちゃんと暮らし向きが成り立つ。貯めるだけで使わないのは、もう遊んでも、ちっとも楽しくないから。
亀に会った熊さん、「今のお父っつぁんは優しいか」と訊くが、このくだり、復縁を期待して亀に探りを入れるというのが、普通の解釈ではないだろうか。
でも菊之丞師の熊さん、たぶん本気で、継子いじめに合ってはいないか亀のことを心配して訊いているのだと思う。
おかみさんがまだ独り身だと聴いて、本気でびっくりしているようだ。そして、今さら戻ってもいいのか、そこから恐らく、かなりの逡巡がある。
文学的にも楽しい子別れでした。

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作成者: でっち定吉

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