奮闘馬石の会(下・隅田川馬石「淀五郎」)

馬石師のお客は女性が多い。このことは感覚的に、非常によくわかる。
単にいい男だというだけでなく、その柔らかい物腰と穏やかな雰囲気が女性にはたまらないのだろう。
よく考えたら、私は「女性の好む男の噺家」が結構好きかもしれない。
そういう噺家の演じる、女性の登場人物がたまらなく好きなようだ。まあ、今日の2席に、女性の登場人物はほぼ登場しないけど。

思い出したので戻るのだが、金坊の舐める飴の所作が最高。
舌を使ってほっぺたを膨らませながら喋り続ける金坊。
金坊は生意気だが悪い子なんかではない。飴を舐めて、本当に幸せそう。
それで、客もいい気分になる。
所作でもってストレートに笑っておしまいというわけではなくて、ちゃんと噺の中で効果を持っている。

飴屋は調子いいが、団子屋は恐ろしく無愛想。商売人のくせに。
まあだからこそ、「ポチャン」ができるのだろう。
餡か蜜か、選ばない初天神を初めて聴いた。思い込まないで噺を丁寧に編集してみれば、意外なところが削れるものである。
蜜を舐めるくだり、それほどしつこくはやらない。誰だってこってり見せるのだが、さすが馬石師、粋である。
江戸っ子だねえ。兵庫県出身。
しつこくないが、とても楽しい。
金坊が親父の真似して悪さするくだりはない。

馬石師のハイライトは、凧だった。もちろん前座時代ははしょってたのだろうが。
凧のくだりになると、意外なぐらい独自の工夫はない。もちろん、そんなに頻繁に出る場面ではないのでそれでいいということなのだろう。
打って変わってスタンダードだが、最も注力している。
大きな凧は看板だとか、坊ちゃんあそこの水たまりで暴れてご覧という凧屋とか。酔っ払いに親子でぶつかったり。
それから凧屋の手練手管で、オプションをたくさん付けられる。
おとっつあんは、お詣りの帰りに一杯やるのを楽しみにしていたのだが、全部取られてしまいトホホ。
だが、じき凧揚げに夢中になるおとっつあん。よその子供の凧を切って快哉。
高いゼニを払ってガラス繊維を練り込んだタコ糸にしたおかげだからなのだった。
子供っぽさむき出しにするおとっつあん、女性客から見るととても可愛いのではないでしょうか。

仲入り休憩を挟んで、もう一席。ネタ出しの「淀五郎」。師匠・雲助譲りなのだろう。
私もたまらなく好きな噺。昨年は国立で柳亭左龍師からいいのを聴けた。
左龍師のものは見事な芸能評論だと思ったが、馬石師のものは、まず芝居としての側面が大きい。
緊急事態宣言は明けたが、今月はまだ夜席は8時閉演の予定。だが時間をオーバーして大満足の一席。

序盤、ややトチり気味のところもあり。だが気にしない。いったん世界を構築した後は、そのまま客をつかんで離さない馬石師。

淀五郎は、特に現代においては、パワハラの噺として客に伝わってしまったらダメだと思う。いったん引いた客は、噺の世界に帰ってくる根気を持たない。
現代は古典芸能にとっては苦難の時代なのか? そんなことはなくて、一流のものはちゃんと伝わると思う。
極めて柔らかい馬石師、淀五郎をハラスメントの噺としては描かない。

馬石師は、忠臣蔵四段目をまず徹底して芝居として描く。
いにしえの芝居噺は、高い芝居に行けない客を満足させるものだったというが、まさにそんなイメージ。
完全に芝居の一席を、いよいよ腹を切る塩谷判官になりきって演じる。客が目の前の芝居にのめり込んだところでふっと、芝居に没入できていない團蔵の由良之助を登場させるのだ。
あ、これ、淀五郎の演じる判官だったのだと気づき、芝居を内包する落語の世界に感動する。
判官の淀五郎が困惑するうちに、初日は終わる。

團蔵に、どこが悪かったか楽屋で尋ねる淀五郎。
この先が面白かった。皮肉團蔵ではあるが、実は淀五郎に対し、なにがよくないのかパーフェクトに解説しきっているのである。
落語の客に対しては、團蔵の丁寧な解説、完全に伝わっている。淀五郎という噺を一度も聴いたことのない人にまで、恐らく伝わるぐらい丁寧。
大名なんだから、家来に訊くやつがあるか。大名らしく本当に腹を切ればいいと。
言い方は確かにキツいのだが、アドバイスの中身まで、そっくり親切な團蔵なのであった。
だが、淀五郎が團蔵の芸談を理解するレベルに達していない。表面的な意地悪さだけが、淀五郎を苦しめる。
ハラスメントでなく、コミュニケーションギャップの噺になっている。

いったんは死まで覚悟したものの、中村仲蔵のアドバイスで目が覚める淀五郎。
仲蔵の指導は見事だが、具体的な所作のアドバイスは、手の位置と姿勢、声質、それから青黛を唇に塗れというぐらい。
実は指導の中身の大部分は、淀五郎の了見にあるのだ。
抜擢されて嬉しい淀さんじゃない。五万三千石の大名が腹を切るんだよと。
仲蔵のアドバイスは、すべて先に團蔵が語ったことなのだ。ただ、幼少の頃から目を掛けてもらった仲蔵だから、淀五郎にすんなり届くというだけの違い。

馬石版淀五郎は、「嫌いな上司についに認めてもらえた」程度の単純な噺なんかではない。
淀五郎が役者として見事に殻を破った、その感動に溢れている。

2019年まで、なぜかご無沙汰していた馬石師、ここ2年弱で10席聴いた。
イマイチな高座は、ひとつもない。絶対に外さない人。
まだまだ聴きにいきたく思います。巣鴨スタジオフォー四の日寄席あたりで。

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淀五郎/仏壇叩き

作成者: でっち定吉

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