浅草配信:柳家喬太郎「転宅」

当ブログ、連休中の訪問者数が右肩上がり。昨日は285。
株価のチャートだったら大興奮だ。そうでなくても十分嬉しいのですがね。
でもバブルじゃないのかな。弾けないよう、今日も更新していきます。

5月5日は、浅草演芸ホールからの配信。
鈴本と違って浅草には芸協も出るのだが、休止になった5月上席はもともと落語協会の芝居である。またしても落語協会オールスター出演。

立花家橘之助師匠が、前座の古今亭菊一さんを太鼓で舞台に上げる。そうしたところ、当ブログへの訪問が33人ありました。
アクセスがあったのは、フィギュアのファンが大挙して当ブログにやってきた愚痴を書いた記事である。こんなのが検索上位にあって、将来性の高い菊一さんには本当に申しわけありません。
でも今回やってきた人は、少なくとも落語を聴いてる人たちだから、まあいいでしょう。
ホンキートンクと、圓歌師「やかん」の記事にも訪問があった。こちらはなかなか嬉しい。

3日連続で柳家喬太郎師を取り上げることにします。
鈴本の配信に続き、今回も古典落語だ。

浅草の初日でございますと語り、そして自分自身のマクラの最後でもって、千秋楽でございますと語る喬太郎師。まあ、確かにそうだ。

古典の泥棒マクラを堂々振る喬太郎師。足の速い泥棒、仁王、それから「鯉が高い」。
仁王なんて、誰がやったってウケるわけはない。だから多くの人が、振った後で自虐的フォローを入れたりするのだ。
そこまでして入れなくていいのにと思う。
だが、喬太郎師は立っているステージが違う。後ろを見せずに仁王をやりきる。
「鯉が高い」は比較的珍しく、小満ん師や龍玉師で聴いたぐらい。
気の弱い亭主と強盗とを対比させ、メリハリをしっかりつけるキョンキョン節。このマクラは、非常に芝居っぽい。
単に泥棒マクラだというだけでなく、師の転宅のスタイルにもっとも近いマクラということのようだ。

ところでマクラを聴きながら、この師匠、泥棒ネタなんて、それも大ネタなんて持ってたっけと思った。
転宅以外の、喬太郎師の泥棒噺は知らないや。なぜだろう。
泥棒噺は一日一度は出るもの。鈴ヶ森とかだくだくとか、持っておくと実に重宝するものだが。

転宅については、かつて記事を書いた。もう5年前か。
わりと気に入っているので、よかったらご一読を。
Yahoo!ブログ時代の古い記事はたまに世間の風に当てないと、埋もれてしまうもので。

喬太郎師、鈴本で出した粗忽長屋と同様、実にきっちりとやる。古典落語を換骨奪胎するようなやり方ではない。
転宅に昔から存在する不可解なポイントも、避けたりしない。
そしてクスグリ少なめなのも、粗忽長屋と同様。
喬太郎師に面白落語を期待すると、勝手に裏切られそうな演目。
もちろん間違いなく面白い。ただその面白さはギャグにではなく、喬太郎師のコメディ演劇的な傾向のほうに濃厚に詰まっている。

転宅は、騙しの噺。騙すのではなく、騙される。
この設定だけでも、非常にコメディっぽい。古典落語だから当然、ほとんどの客はお菊が騙しに掛かっていることを知っている。だが知っているファンには、「騙しかた」を楽しむという新たなステージが待っている。
実に奥行き深い噺。

コメディ芝居をしっかり演じる喬太郎師。この噺は、とにかく芝居として観たい。
師の新作落語とはまるで違う領域を攻めているようで、その実極めて共通している。
冒頭の、泥棒の飲み食いシーンが楽しい。
喬太郎師の飲み食いが、聴き比べていちばん旨そうだ。忍び込んで勝手にお膳に手をつけているというシチュエーションを忘れ、しっかり飲み食いに専念しているためだろう。
といってこの泥棒、グルメではない。飲みつけない酒、食いつけない食べ物、そしてそのマリアージュを初めて知り、新鮮な感動を覚えているのだ。
刺身のあとの小鉢、まったく食いつけないものみたいで、首をかしげながら味わう泥棒。その後酒を含んで感激している。
喬太郎師自身は、昨日取り上げた菊之丞師との配信でも語っていたが、カップ焼きそば大好きの人であり、とうていグルメには思えない。その人が、飲み食いに対する新鮮な感動を描くのだ。

文蔵・白酒の両師が開発したらしい、「お菊に見つけられた後もしばらく食い続ける」というクスグリは、喬太郎師も採用。
ただ、一切慌てないのが、ちょっと異なる方法論。

肝が据わって、ユーモアセンス抜群のお菊と、ウソの結婚話に舞い上がり、終始上ずっている泥棒との対比がすばらしい。
なにしろコメディ演劇だから、泥棒は自分の内心を隠したりせず、わかりやすく上ずっていて全然構わない。
お菊も、露骨に騙しているのがバレていて構わない。
全般的にはとてもしっかりした古典なのに、細部を見ていくと極めてユニークだ。

ペーソス溢れる噺の得意な喬太郎師だが、転宅については、まったくその道は歩まない。
私は文蔵師の転宅(フルバージョン)から、実にしみじみした情感をもらったものだ。まるで違うスタイル。
「まじめに仕事しててよかった」と嘆息する泥棒に、大きな笑い声が聞こえた。私の脳内で。

高橋お伝の孫だというお菊に、「柳家花緑みたいだね」と血筋を褒める。久々に、クスグリらしいクスグリを聴いたような。
それだけ、この転宅は、ギャグとは異なる要素ででき上がっているのだ。

そして噛んでしまう喬太郎師。もちろん、そのままにはしないで、ちゃんと登場人物のセリフでアドリブをかます。
「ねえさんも、無観客だとやりにくいかい」「これはね、壮大な稽古なんだよ」。
こういうアドリブは、義務である。客は好きな噺家の失敗を見ると、いたたまれなくなるのだ。
アドリブが利かないため、失敗でもって客の気持ちを変な感じにしてしまう人はたくさんいる。

たばこ屋の爺さんもまた、見事なコメディ俳優。普通に語るだけでじわじわ面白いという。

幕が閉まるまで、しっかりメッセージを伝え続ける喬太郎師であった。
明日もこの配信からネタを拾おうと思います。

作成者: でっち定吉

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