ざま昼席落語会(中・橘家圓太郎「強情灸」)

圓太郎師、世情についても語る。
この、立ち位置がとてもいいなと。
落語を聴きもしないで、噺家は職業的反体制だと思っている人も多いようだ。このたびの寄席営業に関する反旗も、その関連で捉える人もいる。
実際には、高座で思想の付いた語りをする人はほとんどいない。ツイッターばかり見ていれば誤解するだろうが。

圓太郎師も初めに、政治信条や宗派、プロ野球のひいきチームにつき高座で語るのはよくないとされていることを語り、客への対峙について約束ごとを構築してしまう。
約束をきちんと守ったうえで、菅政権と小池都政にギリギリまで迫り、あらゆる政治信条の客から爆笑を引き出すのである。そこにこそ、真の批判精神がある。

もう話題切れになった森喜朗のことも、同じ方法論でしっかりいじる。やらかした後で、サーッといなくなってしまった取り巻きを皮肉るのだ。
森さんだって、ずっとあんな人だったのだ。急に失言するようになったわけじゃないでしょと。
客の心中だって決して単純じゃない。客の気持ちの中で、様々な葛藤が生じぶつかり合うために、たまらない爆笑が生まれる。
そしてこのギリギリを攻める姿勢は、世間に対する寄席の立場と歩調が同一。

寄席は12日からできそうですと語る。その通り、この日落語協会と芸術協会から寄席再開の予告あり。

強情のマクラは振らずに本編は強情灸。つい最近、配信で聴いた演目。二人会の初めは、軽い演目からだ。
圓太郎師は啖呵が得意な人。大工調べとか棒鱈とか。
でも、実のところリアル啖呵じゃない。与太郎に喋らせるときに使うようなフニャフニャ声を入れながら啖呵をスラスラ繰り出すのだ。
そしてこのある種リアリスティックな啖呵が、客の気持ちに実に響くのである。
目と耳とで楽しむ総合芸術が高座の上にある。
こんなときである。噺家って、橘家圓太郎ひとりいれば、だいたい間に合うんじゃないかと思うのは。
そうでない気もすぐしてくるけども。

続いて三遊亭王楽師。
円楽党の両国、亀戸によく行く私だが、王楽師は久しぶり。
決して嫌いな噺家ではないが、王楽師を目当てに出かけることは確かに少ない。この日だって圓太郎師目当てだし。
しかし評価をだいぶ上方修正しました。

若旦那王楽師も、43歳。芸歴20年だそうで。
このざま昼席落語会で育ったようなものです。前座で入れてもらってましたからと。この日は噺家デビューの日。

芸歴20周年記念独演会を、池袋芸術劇場で7日間する。
豪華ゲストを多数呼ぶ。志の輔、鶴瓶、小朝といった大家。
だがその会、初日のゲストは「パパ」。ちょっと他の師匠より落ちるでしょと。
なので、小3の息子を高座に上げることにしましたと。親子3代で落語を披露するのだと。
覚えのいい息子の自慢話。
以前の王楽師は、キザっぽいイメージを前面に出していたように思う。そんなのも必要だったろう。
だが現在は、まるで嫌味がない。トゲトゲがありそうで、ない。
私の大好きな好楽師をdisるのも、息子らしくいい感じ。
世間は好楽師のすごさを知らなさすぎる。私はいつもそう思ってるが、悪い評価を拡散するのが息子なら仕方ない。

師匠・先代圓楽の話もちょっと。「いいほうの圓楽」。
「ここはいつもウケます」と王楽師。
ところでちょっと勝手に脱線させてもらう。
王楽師にはまだ弟子はいないが、いずれ採るだろう。その際、その弟子はどう考えても好楽師の孫弟子扱いになるはず。一門なんだから。
好楽師には、好太郎師と兼好師の、都合4人の孫弟子がいる。孫弟子も、自分の弟子と同じように大事に扱っている様子は、円楽党の高座からうかがえる。
王楽師の弟子も、当然そうなるだろう。
その際に、「好楽と王楽は親子だが兄弟弟子」という変なくくりの維持は難しくなるのでは?
一門に所属しているということは、王楽師も、父・好楽師の形式的な弟子だと思う。好楽師が先代正蔵の没後、圓楽の弟子になったように。
まあ、関係者じゃないからどうでもいいんですけども。

長講で、「帯久」だった。1時間弱の長大ネタ。
東京では珍しめだし、寄席メインの私はこんな大ネタ聴くことはめったにない。
若旦那のメリットは、さまざまな高名な師匠にネタを付けてもらえるところ。帯久は志の輔師なのだろうか。
あるいは、上方の師匠から直接教わったりするのだろうか?

登場人物から適度に距離を置くのもいい。
大岡越前守登場の際に、「落語を聴いてる限り、お奉行は大岡さましかいなかったんじゃないかと思うんですが」という地のギャグもさりげなくていい。
いいのだが、ちょっと全体的な完成度には首をやや傾げつつ。
といって、この噺の方法論は絶対に間違っていないとも思った。師の風格がまだ足りていないだけで、10年後はきっとすごいと思う。
ただ、落語協会の人だったら、寄席のトリで掛けるためになんとか35~40分に縮める努力をするに違いない。志の輔師も王楽師も、この努力はしなそう。

王楽師の真価は、この大ネタよりも、仲入り後の軽いネタで発揮されることになる。
続きます。

 
 

作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. 丁稚定吉さん

    初めてコメントさせていただきます。
    王楽師匠、私もどちらかと言うとキザというか、若旦那的なマクラを振る方だと思っていたのですが、丸くなっているご様子なのですね。王楽師の落語、聴きに行きたいと思いました。ありがとうございます。
    丁稚定吉さんはサイト全体の雰囲気を読む限り、志の輔師匠の評価はあまり高くなさそうですね。私は志の輔師から落語に入ったので今でも好きな落語家ではあるのですが、最近は少し食傷気味でもあって。理由としては、
    ・寄席サイズの軽い噺をやらない
    ・反対に、長くてストーリー展開がしっかりしている落語をやることが多い
    ・与太郎ものをやらない
    というところです。丁稚定吉さんは志の輔師のどういったところに引っかかるのでしょうか?

    1. 逆夫さん、いらっしゃいませ。
      新ブログの第1号コメントありがとうございます。

      志の輔師、嫌いではないし、ブログで低評価したこともないですよ。古典も新作も。
      生で聴いたことが一度もないだけです。
      これからもなさそうですが、これは活躍場所の問題で、評価とは別です。
      いい悪いではなく、志の輔師のチケット買うなら、寄席に2回行きたいので。

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