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仲入り休憩を挟んで、再び王楽師の登場。
帯久は袴姿だったが、ピンクの着物に着替えている。
見たことある着物だが、お父さんのお下がり? 震災地を励ますため好楽師が作ったという、笑点仕様の着物に見えるが。
着物の説明は特になし。
この出番は軽くやる。
以前も聴いたマクラ。美空ひばりとタクシーの逸話。
これを、先日東北の二人会で一緒だった三平兄貴が真似をして失敗するという。
三平は、「立派なほうじゃないほう」。
先輩の三平師を、バカっぽく、与太郎っぽく演じる。
なんとこのキャラが、そのまま孝行糖の主人公、与太郎にスライドするのであった。
王楽師が、明確にそうだと語っているわけではない。でも、孝行糖に振るマクラの意味なんて、それしかない。
孝行糖は、円楽党ではしばしば出るイメージ。フレーズ落語でもあり、私は好きです。
三平のスライドした与太郎が心地よく弾んでいるが、だからといってやり過ぎはしない。
「孝行糖、孝行糖、孝行糖の本来は」のあと、間を置かずに「うるの小米に」と続く。リズム感満載。
先日、落語協会の師匠から、間を置くタイプを聴いて、ガッカリ。いや、好みの問題に過ぎないけども、リズムって大事だと思う。
もちろん声は出さないが、私も王楽師と一緒に楽しいフレーズを唱える。
手短だが、実に気持ちいい一席。ちょくちょく呼ばれる末広亭でこんなのを掛けて、練れているのかな。
ベースがちゃんとしている王楽師が、気負わず、ウケてやろうなどとせずまっすぐ演じることで、どんどん楽しくなる。
落語協会の若手も、王楽師に教わるといいですよ。余計なお世話だが。
トリは圓太郎師。
ここで大ネタが出るわけだ。といって、帯久ほどの大ネタはないところ。客が疲れる。
先の強情灸とも若干被っているが、江戸っ子について。
私も福岡から東京に出てきて、江戸っ子の地方出身者差別を思い知ったものだと圓太郎師。
そんな私も、今や板橋区に住んでいる。あれ、23区に入っていたっけという土地だが。
袖を指して、王楽さんは日暮里だから立派な江戸っ子。だから地方を馬鹿にしてるんですよ。座間なんてと。
昨日打ち合わせの電話したら、座間のことなんて忘れてましたよ。
すでに着物を脱いでいて、肌襦袢の王楽師が袖から登場し、大げさに否定する。楽しいお遊び。
東京から見た座間の地位までしっかりといじる。すごいやり方。
客がこれで、座間をバカにしやがってと怒ることなんてないわけである。
世に溢れる、地域の差別意識まですべてひっくるめて笑いの対象にしてみせる圓太郎師。
地方出身者が東京に出てくる噺をしますといって、百川へ。
四神剣のフリは一切なし。確かに、噺の本筋とは関係なく、知らなくたってどうってことはない。
百川ね。
最近どうも、好んで聴けない。
素材が田舎者という点は構わない。「棒鱈」「試し酒」など大好きで、その部分には引っかからない。
百川は話が(誤解の元が)よくでき過ぎている。演者の手によって完成させるというより、よくできた噺をしっかりつなぐ努力が求められ、噺家の個性をぶつけづらい演目という気がするのだ。
だがもちろん、圓太郎師はひと味ふた味違いました。
といって、奇をてらったことをするわけではない。
語尾が「のっしゃ」の山出し、百兵衛さんを丁寧に描く。
そして、早飲み込みのアニイにスキを残しておく。このアニイ、意外と最初から、自信100%じゃない。
仲間のほうは、最初からアニイの早飲み込みを信用していない。地位が上なので、任せただけ。
最終的にこのアニイ、みんなに謝ったりなんかして。
なるほど、田舎者と江戸っ子との間に、偶然に、誤解した意思疎通ができてしまうというのが、百川の骨格だ。
だが、そのままでは不自然さが拭えないということなのだろう。アニイを暴走飲み込み男として描くことで、非常に展開をスムーズにするのだ。
亀文字師匠を呼びにやる際、ちょっとずつ間違った百兵衛さんが、どんどん道を踏み外していくさまが実に楽しい。
圓太郎師はさすがに、予定調和に描かない。間違った結末に向かってまっすぐ進むわけではないのだ。
部分部分は、百兵衛さんにも、医者のかもじ先生にも整合性が取れている。ああ、ああと思ううちに大騒ぎになっていくのだ。
ちなみに、くわいのきんとんを出す際に「箸をなめるんじゃねえ」というくだりは省略。コロナ禍だからでしょう、きっと。
楽しい百川で、ずっしり満足を覚え帰途につきました。
初めて来る場所で知らなかったのだが、この付近はとても起伏の激しい土地。
相武台前駅からまっすぐ平坦な道を来るより、「かにがさわ公園」を歩いてくるととても楽しそうだ。
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