浅草お茶の間寄席で、新真打・春風亭昇吉師の高座が取り上げられていた。
もうほんと、脱力の塊。
見事な勘違いっぷりが、テレビに流されていた。
当ブログ、いろんな人を批判はしているけども、噺家の高座自体をやっつけたことは、実はそれほどない。
ちょっといただけなかったぐらいの高座は、だいたいスルーしている。
たまに怒りが生じ、気持ち的にスルーできないときはある。そんなときも、演者の名前は出さない。
名前を伏せるのは、当人に気の毒なのももちろんある。営業妨害になっちゃいけないとも。
ただそれより前に、自分自身に生じる「何様感」に堪えられなくなってしまうのだ。
当ブログの読者の方が、「丁稚のくせに偉そうだな今日は!」と思ったとき、その思いは私自身十分自覚している。「偉そう」をよしとするわけではない。
プロの芸人というもの、好き嫌いはあっても本来的には皆リスペクトしている。
今日は、西武ドームの屋根の隙間をすり抜けていった場外ホームランだとご理解ください。
それだけ、噺家・春風亭昇吉が私から見て、極めて特殊な地位にあるということでもある。
昇吉師の高座に怒ってはいない。ただ今日は私の感じた、とても気恥ずかしい、いたたまれない思いを書いてスッキリしたい。
現状東大と俳句が売り物の昇吉師だが、ことさらにそれを批判しているわけじゃない。
西の笑福亭たま師も少々批判しているので、でっち定吉は学歴コンプなのではと思われたら心外だ。こんな釈明をしてること自体も恥ずかしいが。
高学歴の噺家に関して言うと、全体としては好きな人のほうがずっと多いと思う。
私は基本、インテリ好きである。そしてインテリジェンスはすべからく、客を喜ばせる武器にして欲しい。
過去に、広小路亭のしのばず寄席で、二ツ目時代の昇吉さんを聴いた。
その際の、だだすべりのマクラは酷評したのだが、同時に本編(七段目)は褒めたのである。
「面白さ」に強い憧れがあるらしい昇吉師、自分の欲望を満たすだけのマクラを振りさえしなければ、まっとうな噺家なのに。そういった思いもある。
「浅草お茶の間寄席」は、まず千葉テレビで放映したのちに月遅れでTVK(私が視ているほう)と思っていたのだが、順序の入れ替えでもあったか。
この収録、本来披露目が予定されていた浅草の5月中席だと思う。そうだとするとTVKではずいぶん早いオンエア。
同時昇進の昇々師は田代沙織さんのインタビューを受けていたが、昇吉師はなし。
まあ、もともと昇進者全員がインタビュー受けてるわけじゃない。あるいは収録したけどお蔵入りなのか。
やむを得ないことだが、夜の浅草、お客は少ない。
昇吉師は、「あたま山」。かつて疑惑のさがみはらで優勝した演目である。
なおさがみはら疑惑については、私はクロだと決めつけてはいない。スルーして久しい。
当時、プロすら数人クロ扱いしていたものだが。
いずれにしてもあの事件が、昇吉師を孤高の噺家にしてしまった直接の原因なのは間違いないと思う。まあ、その頃すでに成金メンバーと距離は置いていたけど。
マクラは振らずに、「ケチ兵衛さんという人がいまして」と本編に入る。
いきなり失敗。
時間の関係で仕方ない、そう考えたのだろうが、客と昇吉師との間になんら接点がないまま一席始まってしまう。
そして「あたま山」は、レアもの。どう聴いたらいいのかポカンとしている客の気持ちが画面から伝わってくる。
堂々としたふるまいはできない。なのに変にニヤついていて印象悪い。
単に、スベリ気味なのを自覚してどうしようと思っていたのだと思う。いずれにせよ客は不安に思っている。
あたま山に、「長屋の花見」の貧乏宴会や「野ざらし」のサイサイ節の一部をダイジェスト的に入れる。
これは寄席のマナー違反。つかみ込みというやつ。
夜トリで、どちらも出ていなかったのなら構わないと思うが。この後のトリの師匠が、どちらも封じられてしまう。
長屋の花見の季節は終わっていたと思うし、野ざらしについても一応断ったのだとは思う。
ただ、トリの師匠の許可を得ていたとしても、「あんたごときが?」というのが正直な感想。
寄席の掟をあえて破り、すごい結果を出すならカッコいいのだけど。
それから、披露目の済まないこの高座の際は、まだ二ツ目みたいなもの。
二ツ目が、お囃子のお師匠さんにハメモノを依頼する? これまた掟破り。
くどいようだが、すごい結果を出したのなら別にいい。単に奇をてらったはぐれものだという印象。
そして噺に出てくる幇間が、踊りを入れ、昔の噺家のモノマネを入れる。
これが学芸会だというのだ。
面白がっているのはあんただけ。
客は芸に厳しいというのではなく、なにが行われているのか理解できず、ひたすらポカンとしている様子。
モノマネが入る噺というものはある。円楽師や、菊之丞師のやる「法事の茶」には談志のモノマネなど入る。たまにTVでも披露する。
実績をすでに確立しているこれらの師匠が遊べば客は喜ぶのだが、どこの馬の骨だかわからない二ツ目が出てきて、似てないモノマネを披露してもね。
いったい、どれだけ立派な地位にいると自認しているのか。
「面白くない噺家」なんて存在意義がわからない? 無理にでも面白くなるべき?
でもそんなことはない。ギャグを入れた落語がニンに合わないことに気づいて、そうした要素と無縁のフィールドに出ていって活躍している師匠は無数にいる。
まあ、昇吉師のいる芸協には確かに少ないとは思うけども、落語協会や円楽党にはちゃんといる。
世間に背を向け、二ツ目時代に自分の会ばかりやっていた昇吉師。神田連雀亭で揉まれた経験もないまま。
自分の会では、高座で遊んでウケたのかもしれない。でも、寄席ではそうはいかない。
寄席の少ない客に学芸会を喜んでもらえると思っているのなら、あまりにも認知が狂っている。抜擢でクイツキに出してもらったこともないくせに。
席亭の評価が高いとも思えない昇吉師、披露目の済んだ後で、寄席の出番がそうそうあるとも思えない。
5年後ぐらいに世間は、「東大出の昇吉って、落語は大したことがないらしいね」と気づいてしまう。そのときに、TVも終わる。
瀧川鯉斗師もそうなのだが、落語の裏付けなくこの先どうやって生きていくんでしょうな。
私の予言、外れるならそれで構わない。でも、外れる根拠のほうが見当たらないと思いますよ。
昇吉師、TVのバラエティでも滑りまくりですよね。結構売れっ子の噺家さんが今のバラエティのスピードの乗れなくて往生してるのは良くありますが、それとも違う。元東大ブランドは芸能界には大勢いるんで、早晩に飽きられそうです。鯉斗師の元暴走族ヘッドブランドの方が数が少ないのと彼のキャラでまだもつかな?
TVショーのひな壇バラエティは控えめにして、一門の兄弟子に上手く鍛えてもらえば伸びしろはあるかも?
族ネタは嫌悪するお客様もいらっしゃるのでそちらも寄席では控えめにですね。
まるかんさん、いらっしゃいませ。
TV出るのが悪いなんて言いません。先達も歩んできた道。
ただ、本業がサッパリなまま(自分ではそう思ってなさそう)TVで生き残れる人はまずいないと思ってます。
鯉斗師は、一門からは嫌われてはいないが、なじんでもいないイメージです。本業はどうかな?