ウマ娘プリティーダービーというゲームが流行っているらしい。うちの中学生もやってます。
競走馬育成シミュレーションに萌え要素を加えたゲームのようだ。
私が競馬ファンだった頃の馬の名前ばかり、息子の口から出てくるので驚くのだけど。
さて息子は落語好きでもあり、「噺家育成ゲーム」を作りたいと言っている。
面白そうだが、一般ウケはしないだろうな。
競走馬は血統の裏付けに、適切なトレーニングで才能を開花させる。
噺家の場合、血統は問題にならない。二世のアドバンテージはあまりない。
父が噺家だという、環境は大きそうだが。
噺家の育成をどう考えるかは、大きなテーマになるかもしれない。
ひとつ考えてみよう。うちの子が噺家になるとするなら、どういう道を進めばいいだろう。
「噺家になるために逆算してこういう道を歩ませる」のではない。
最終的に噺家になったとして、そのとき輝くための材料を、人生の前半でどう揃えるかがテーマ。
噺家にならなくても役立つ道のほうがいい。
なお息子には、噺家になるのは一向に構わないが、噺家が増えすぎて大変なことはわきまえるようにと言ってある。
落語協会に結構いる、寄席に呼ばれない噺家になるのがゴールなら、ならないで欲しいとも。
そもそも、噺家が彼の第一志望というわけでもないですけど。
まず、学歴。
中卒や高校中退で噺家になったって別に構わないのだが、現代ではこのルートで一流になる人は極めて少ない。
柳家花緑、柳亭小痴楽ぐらいか。瀧川鯉斗? まさか。
高校は出ておいたほうが、それもある程度いいところに通っていたほうがよさそう。
知的レベルの高い環境にいたほうが将来役に立つ。別に、人脈を活かせるなんてセコなレベルの話ではない。
それに、びっくりするほど賢い人を目の当たりにしておくと、噺家になってから勘違いしなくて済みそう。
大学は、東大や京大にまで行かなくていいが、できれば高いレベルに越したことはないと思う。
大学受験の経験が、将来の一般常識を形作る。これはなかなか後からでは取り返せない。
大学では落語研究会、つまりオチケンに入っていたほうがいいかどうか?
柳家喬太郎、春風亭一之輔といった師匠はオチケン時代の影響がとても強い。
ならばオチケンは必須か。そうも思わない。
大学で初めて落語に触れたような場合、徹底的に落語を知る機会があるのは悪くない。
だがうちの子のように、落語の基礎知識をすでに持っている場合は、むしろ別の趣味に没頭したほうがあとで血肉になる気がする。
昇太師やたい平師のように、学生時代に売れてしまうというのは、ひとつのルートか。
ただ、レアケース。
オチケンに入らなくてもいいが、昨今人気のお笑いサークルに入ってしまうと、たぶんそこで道を踏み外す。
別にお笑い芸人になっちゃいけないわけではないけど。
「大学の勉強をうっちゃらかして趣味に没頭し中退」というのも非常に噺家らしいのだが、現代社会においては、ある程度やり切っておいたほうが得になる気がする。
桂竹千代さんのように、院で学んだ古代史を活かした落語ができたりして。
まあ、なにかしら趣味や学問に没頭する時代は必要と思う。
本当になにもしてこなかった人は、壁に当たってからどこへ向かって努力をしていいかもわからないわけで。
大学後、就職するかどうか? 噺家になるための過程として就職する必要はないのだが、でも数年は勤めたほうが結果よさそう。
真面目に仕事をして、面白くなってくるのだが、いっぽうでなんだか人生に物足りなさを覚えだす。
そうだ、俺、落語が好きだったんだと我に返る。
そして寄席に通い出す。やっぱりこれだよと。
入門志願をする師匠の追っかけをし出す。
ちなみに、変わった職業についておくと、入門後のセールスポイントになる。
先にお笑い芸人の経歴を踏まえている人は、もはやざらになってきた。それほどアピールにはならない。
たとえば警官であり、自衛官。これは実例あり。
刑務官の経験を踏まえて将来刑務所落語をするというのも考えてみたが、差し障りが大きそう。
地方議員になるなんてのはどうだろう。若い人なら結構なりやすい。
噺家から議員になった人はそこそこいるが、逆はないから面白いのでは。
さて、こんなネタだが2日分。
明日は入門してからの育成を考えます。
大学で入るサークルだと漫研はいかがでしょう?
その後、プロの漫画家のアシをやっていて落語だとペンも紙もインクもスクリーンもなくてもストーリーを描けるという事に目覚めた!という事で落語家を目指すという展開は?
いつもくだらないコメすいません。
漫研いいですね。木久扇師匠だってマンガ出身ですし。
漫研出身の噺家、誰かいましたっけ? いや、いないほうが第一号としていいんでしょうか。
そういえば、「とり・みき」先生が大学で漫研でなく明治のオチケンに入っていたようで。これは逆ですね。
柳家小ゑん師がとり・みき原作「レプリカント」を掛けているので、落語とマンガがつながりました。