JR乗車拒否騒動をもう一度だけ語る(ライターの資質)

おかげさまでGoogleの自動広告が載るようになったのだが、特にスマホ版はかなりウザいですね。
すでに導入している姉妹ブログのほうは、こんな極端じゃないのだけど。
できる範囲で調整していきます。

さて、今日は2か月前の話題を再度。そして、自分で入れる広告はなし。

JR乗車拒否騒動を今さら語る

政治絡みで語ろうとは思いません。
もともと、落語とごく薄い接点があったのでこの事件に触れたのだが、今回はもう、ほとんど関係ない。
なので最後に一度だけ。

炎上しきった話題は、いまだに鎮火しないようである。
ただ、鎮火を許さない人たちは、そろそろ伊是名と対極の思想の持ち主たちに限られてきたようだ。
穏健派はすでに離れてきた様子。まあ、どんな話題であっても、いずれそういう流れをたどるもの。

痛い人なのは間違いない。
それはそうと、こども食堂やヘルパー問題などのサブ事件をツイッター民が追及しまくるのは、もともとちょっと違うなと思っていた。
「問題でない」とは言わない。ただ、もともとの来宮テロとは次元がまるで違う。

だが、前回の記事を載せた際、すでに一部では話題になっていたサブ事件がもうひとつあったのである。
これは私のリサーチ不足であった。

琉球新報が伊是名氏を注意へ 記事二重使用問題

ライターのはしくれとしては、この問題は見逃すべきでない。
記事を書いた松田隆氏は、今回の一連の騒動のオピニオンリーダーである。そして思想的に偏向した人ではない。

「コラムニスト」と名乗っている伊是名夏子、なんと東京新聞と琉球新報にほぼ同じ記事を寄稿していたのだった。
新聞の投書欄だって、二重投稿はたまに問題になる。
そんなレベルではない。原稿料をもらって書く原稿を、二重に寄稿とはなんたること。
もう、明らかにプロ失格。

同じテーマについて何度も書くことは、別に違反ではない。むしろ伊是名の場合、新聞社の側からそれを期待されているわけだ。
だが同じテーマであったとしても、角度を変え、取り上げ方を変え、表現を変える必要がある。
私もつい先ほど、某携帯電話のキャンペーンにつき、3本続けて書き上げたところである。
どうしたって似てしまう。似たようなテーマだから一度に調べて書けるといえばそうなのだが、別に楽なわけではない。
同じ記事にしないためには、相当の工夫が必要。
伊是名は安易にも、コピーした記事を、文言だけ微妙に変えていくようなやり方をした。それでは論外。
違った記事を書くためには、毎回一から書き直す以外にはない。一から書き起こせば手間もかかる。
しかしプロのライターであれば、当たり前の道である。
伊是名には、物書きとして最低限の常識すらないのだ。新聞社を欺いて原稿料を受けるのだから、詐欺でもある。
そのぐらい許されると思っていたのだろう。そんな猿知恵では、テロも失敗するわな。

これ単独で、コラムニストをクビになり、社会生命を奪われてしかるべき大騒動である。
実際、剽窃などにより物書き生命をしくじった人は枚挙にいとまがない。
なのに二重投稿問題は、一連のサブ事件の中ではちっとも話題になっていない。なおも話題にしているのは、ちょっと行き過ぎてヤバめの人だけ。
わりと程度の軽いヘルパー問題等は釈明しているのに、二重投稿については伊是名もまったく説明をしていない。なのに。
どうしてなのでしょうか。
「もともとそんなもんでしょ」という意識が世間にあるからだろう。
そしてその意識には「障害者だから仕方ない」という同情がどうやらある。

おや。
伊是名夏子は「わきまえない障害者」を目指している人。乗車テロもそれが背景にある。
一連の事件で攻撃を受けた伊是名は、結果として「障害者であっても間違った行為をすれば叩かれる」ことを自ら体を張って証明したわけだ。
だが、世間から真に健常者と同じ扱いは受けていない。どこかにもう、許してやろうという意識がある。本人の「世間からいじめられている」認識には大きな間違いがあるのだ。
二重投稿を受け入れるマスコミも、これを大問題にする気などない。
リアル障害者が書いているという看板のほうが大事だからだ。看板が寄稿している事実のほうが。
マスコミも、最初からもの書きのプロ扱いなどしていない。
伊是名の文章力は壊滅的にないことが、多くの調査でバレている。今まで編集側も、だいぶ手も入れてきたことだろう。プロの先生にはしないような修正を。

私だったら、プロ扱いされないことのほうがずっと屈辱であるが、伊是名夏子はそうでないらしい。
健常者の上に立ってテロを仕掛けたのにも関わらず、自分が責められ始めたら同情されたいのだ。
少なくとも二重投稿問題に限っては、伊是名の希望どおりの結果が出ているわけである。

そしてこの私も、当初の駅テロ事件はさておき、二重投稿問題にまでいつまでもかみつく気がない、そのことに気づいた。
所詮シロウトだしなと思っていれば、腹の立てようがないのである。
世間を平和に保つためには、二度とテロ行為をしないよう、徹底的に潰すべきなのだろう、本来は。
ジャーナリズムもそうあるべき。
だが障害者に対し、実際に優しい側面もまた現実なのであった。

作成者: でっち定吉

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