元犬という噺、私は正直飽き気味。だが緑助さんの元犬、数々の工夫があってとても楽しい。
- シロの、人間になれた喜びが強い
- 裸のシロに、上総屋になった緑助さんが、羽織を実際に脱いで掛けてやる
- シロが、旦那に呼ばれてひざ元にうずくまり、可愛がられている
- おもとさんを呼ぶのは、シロが旦那にまとわりついて仕事をしないので、替わりに茶を入れてもらおうと思ったから(つまりシロはまったくしくじっていない)
元犬は、馬石師や三三師を筆頭に、工夫のし甲斐のある噺だと思うけれども、ここまで多くの工夫はなかなか見ない。
ちなみに思い出せない工夫がまだあったと思う。
優秀な兄(姉)弟子たちと同様、先々が楽しみです。
林家扇兵衛「長短」
さて、結構聴いている扇兵衛さん。
少々お見かけしなかったうちに、また太ったんじゃないか。あごの肉に顔が埋もれてませんか。
いつもの木久蔵ラーメンネタから、落語協会巨体噺家の会、「東京デブサミット」の室温高い楽屋の話。
東京デブサミットの打ち上げは、肉だらけ。緑色の食べ物がほとんどない。そして最後は炭水化物で締める。
この人の場合、マクラの話術はちっとも上達していない気がするのだけど、それでいい気がする。
技術うんぬんよりもなんだか憎めない。実際、聴いていて気持ちがいい。
連雀亭のワンコイン寄席に顔付けされていると、安心する。それほどウケなくても、外しはしないと思うのだ。
二ツ目の噺家、みんながみんな、技術に走らなくてもいいだろう?
人柄の良さというのも、噺家に大事な要素のひとつ。
とはいうものの、本編「長短」はなかなか上手い。
また、気の長い長さんが、ニンに合っているんだ。
どんな上手い噺家でも、長さんについては、カリカチュアして見せざるを得ない。仕方ないことだけど、それで客がちょっとだけイライラすることもある。
でも扇兵衛さんは、地みたい。本当の地ではないにせよ、比較的近いようだ。
のんびりした人物が非常に似合うので、客のテンポも長さんに合う。
短さんがイライラして「こうやんだ」と、パアーンとキセルを叩いたあと、長さんが一瞬「オヤ」という顔をする。
あれ、先人はこういうところ入れてたっけ? よく聴く噺だが、覚えがない。
ごく些細な部分であり、客は気づかなくても全然構わない。だが、こうした工夫で話が立体的になっていい。
「試し酒」で、外に出て行った久造が、戻ってきたときほんのちょっと酔っているのと一緒。
実際私、このおかげで、そのあと短さんの左の袖から煙が上がっているイメージがずっと浮かんでいたもの。
古典落語も、工夫の余地はまだまだあるものです。