まん坊 / 弥次郎
萬橘 / 一目上がり
圓橘 / 稲川
(仲入り)
口上
楽之介 / 長命
好の助 / 千両みかん
幻の林家九蔵、三遊亭好の助師の昇進披露。
両国の披露目は行けなかったが、幸い昼席である亀戸梅屋敷寄席で、3日間ある。
最終日の金曜日に行ってきました。披露目でも料金は変わらず千円。
いつもより椅子をギュウギュウ詰めにして、60人程度入れるようにレイアウトを変更していた。そして、開演直前にそれだけ埋まったから大したもんだ。
真打の披露目というものは、本人の師匠が出る席が本当はいいのだろうが、まあ、師匠のいないこの日もいいではないですか。萬橘師も出るし、まだ聴いたことのない圓橘師も顔付けされている。
当ブログでは、林家九蔵襲名問題について散々書かせてもらった。
だから、好の助師の披露目をまったくスルーというわけにはいかない気がする。この週月曜日は、年一回の寄席の日で半額だったが、あえてパスしてこちらに。威張ることじゃないけどね。
真打の披露目、好きだという人は多いでしょう。でも、落語協会や芸術協会で、華々しく披露目をしてもらっても、その後さっぱりという人は多い。
特に人数の多い落語協会には、寄席に呼ばれない真打が多い。そういう人の披露目を見ても空しくなるので、私は披露目は大好きというわけではない。今秋の新真打、古今亭駒次さんみたいな、活躍が約束されている人の披露目は行くけども。
そういう点を思い起こすなら、正直なところ好の助師、少々微妙かもという気持ちもあった。
先日無料の落語会で初めてこの人を聴いて、達者で楽しい人なのは知ってはいるし、TVでも聴いて悪くなかったとはいえ。
しかし、どうもすみませんでした。この日の「千両みかん」は、圧巻でしたよ。想像をはるかに上回るデキ。来てよかったです。
好の助師の披露目、良くも悪くも話題になり、他協会の噺家もこぞって応援してくれ、盛り上がったというのはある。それはいいこと。
だがさらに、そうした追い風に乗って、好の助師一気に上達したのでしょうか? まるで一夜にして上達した淀五郎みたいに。
Beforeをそれほど知らないのに、Afterを語るのはおこがましいのだが、そんなことを感じた亀戸でありました。
三遊亭好の助「千両みかん」
好の助師の、圧巻の高座について。
前の日は師匠、好楽師が披露目に出てくれたが、自分の出番が済んだら楽屋には誰もいなかったのだそうで。亀戸餃子に飲みに行っていたそうだ。
この日出てくれた圓橘師は、最後までいるよと言ってくれたと。その代わり、亀戸餃子ではなく、楽屋でビールを飲んでいる。
そのマクラから、唐突に林家九蔵問題に触れる。口上ではその件スルーしていたのだが、やはり触れずには通れますまい。
林家九蔵の名前で作った手拭いなどがたくさんある。レアものだというので、欲しがる人が多いのだと。
好の助師、その、林家九蔵手拭いを持参していて、客に見せる。
そこから、コレクションをするにも勘違いしてしまう人が多いといって、千両みかんに入っていった。今からがシーズンの噺である。
いや、実に面白い噺でした。
千両みかんは、東西両方にあるが、やる人は、こんなところに注力したくなるのではないかと思う。
- 若旦那の、親思いのいじらしい心情
- 主従関係の複雑・微妙さ
- 商人の商売に関するプロ意識
- 若旦那の悩みを勝手に勘違いする部分
だが好の助師の演出、このあたりすべてあっさりしている。スルーしているわけでなく、きちんと語ってはいるのだが、まったく強調しないのだ。
主従関係については、若旦那が死んじゃってもそれは別にいいって言っている。番頭さんが惜しいのは自分の命だけなのだ。だからといって、無責任さは感じない。若旦那と密接な関係だと自分では言うけどもともと適当なので、矛盾はまったくない。
その代わり、もっとも強調するのは、打ち首獄門のグロい描写。罪人を殺すシーンをあれだけしつこく描写しておきながら、楽しさいっぱいで、噺のハイライトにすらなっている。師匠・好楽譲りのとぼけ味があってこそできる描写ですね。
実に不思議な演出。決して「番頭さんの気持ちもわかるよ」じゃない。とにかく、ウロの来た番頭さんがみかんを探して右往左往するさまが面白い。
もうひとつ強調して徹底したギャグにしていたのが、やっとの思いで番頭が持ってきたひとつのみかんの食べ方。若旦那、10房あるみかんを、5房まとめて口に放り込んでしまう。それをいちいち、500両をと実況する番頭。
一席振り返って、これでいいのだと思う。
そもそもどこの世界に、夏にみかんが食べたくてならず、いっそこのまま死んでしまおうと思う若旦那がいるのだ。
最初からマンガの世界のマンガ的登場人物たちなのだから、リアリティで迫る必要などない。
右往左往する番頭も、地べたに足のつかない、ふざけた人物。みかん3袋持って逐電するのも、そんな人物だからなのだ、きっと。
好の助師、楽しみですね。
私は、円楽党で前年に昇進した真打、朝橘師が好きなのだが、好の助師も、この後を追いかけて活躍するでしょう。
堀井憲一郎氏も、昇進後の好の助師を聴いてください、ぜひ。
***
三遊亭好の助真打昇進披露の亀戸梅屋敷寄席、冒頭に戻ります。
この日の前半は、前座が萬橘師の弟子、まん坊さん。それから萬橘師、その師匠の圓橘師と、圓橘一門三代。
まん坊さんは弥次郎。メジャーな噺のはずなのだが、最近ほとんど聴かない。
師匠・萬橘師に似た雰囲気のある前座さん。スムーズに喋ることに注力しているが、でも結構噛むという。
噛むけども、別にそれが味を損なっているわけではない。
この日は披露目があるので、トリの好の助師以外は、各5分くらい持ち時間が短い。
ちなみに私は、仕事の関係で寝不足。前座さんで寝ることも考えていたのだが、結局起きていた。
三遊亭萬橘「一目上がり」
早くも次が真打の萬橘師。普通は二ツ目枠である。こんな浅い出番に円楽党の若きエースが出るとは、円楽党の披露目ならではだ。
メガネを掛けたままマクラを振り、途中で外す。
長めに好の助マクラを。好の助は、一を聴いて十を知る男なので、ぜひ一万円で呼んでやってくださいと。
そこから披露目にぴったりのめでたい噺、一目上がり。
萬橘師はテンポが独特で面白い。スピーディなのだが、スピードで高揚させる感じではない。亡くなった橘家圓蔵師をちょっと連想させるけども、でも明らかに違う。
ちょっとわかってきたが、語りの途中でテンポを上げ下げすることで、客を興奮させるみたいだ。チェンジオブペースってやつ。
唯一無二のテンポの萬橘師、セリフ間違えても全然動じない。「へこの間」の前に床の間を出してしまっても全然平気。間違えたことをギャグにするでもなく、スルーするでもなく、ただ動じず、テンポを大事に語る。
いいサンだ、と掛け物が褒められるようになれば、八っつぁんと呼んでいた人が「八五郎さん」になって、みんな見直すという隠居。八っつぁんが調子に乗って、「八五郎殿っていう人は」と隠居に訊く。隠居が、「そんな人いないだろう」、これ一発で大爆笑。
先日来、ワンフレーズの大爆笑によく遭遇する。別にそんなに面白いこと言ってないのだけど、話芸のマジック。
そして、大家の後訪れた先の先生が、「八五郎殿」と呼ぶので再び爆笑。作りが上手いなあ。
大家が「アタシはヤモリだ」というのを受けた八っつぁんが、「そうか、だから地主はモグラっていうのか」というクスグリは初めて聴いた。言わないよ。
最後、アニイじゃなくて同格の友達のところに行き、七福神の掛け物を見る。弁天さまを指して、この女誰と聞く八っつぁん。そんなもの子供だって知ってるぞと返された八っつぁん、「安倍昭恵?」。友達に、あんなブスじゃねえと突っ込まれていた。
一見破天荒に見えるが、その実、古典落語の面白さをしごくストレートに演じているという、不思議な人である。そして大人の芸だ。
萬橘師一発ですごく得した感じ。
三遊亭圓橘「稲川」
そして、圓橘師。鈴木善幸元総理に似ている気がする。なんとなくだけど。
円楽党を聴くようになって一年半の私だが、まだ聴いていない人が若干いる。円楽党四天王のひとり圓橘師も、前から聴いてみたかった。
その圓橘師、弟子がわんわん盛り上げた空気を、ピタッと変えてくる。
空気の変えかたにもいろいろあって、客がついてくるまでじっくり語るという人も多いが、その場合は客と闘うような格好となる。そんなムードではなく、圓橘師、客の気持ちをまず抑えておいてから誘導する。
自宅そばに多いという、相撲部屋の楽しいマクラを振り、楽しませながら徐々に、スムーズに鎮静化させる。
いいですねえ。楽しく鎮静化させられ、静かな噺である「稲川」にぐっと引き込む。人情噺だからって固くなって聴かなきゃというものではなく、いい入り。
円楽党は両国を本拠地に持っているだけあって、相撲噺が多い。だが稲川は聴いたことがない。円楽党ではないが、相撲上がりの三遊亭歌武蔵師がやるらしいけど。
稲川については、圓橘師の大師匠、昭和の名人圓生の速記で読んだことしかない。文字だと、ふうん面白い噺だなと思うだけ。
だが、活字と話芸とは異なり、ライブで聴くと圧倒的に面白い。
江戸に来て全勝なのに、贔屓がつかない大坂の力士、稲川。大坂に帰ろうかと思っているところに、部屋を訪れたおこもさんが贔屓につき、それを喜ぶ稲川の心境が、聴き手にぐいぐい迫ってくる。そしていたずら好きな、江戸っ子の心意気。
人情噺一発で、すっかり圓橘師のファンになりました。
全くスタイルの違う師弟だが、ともに素敵ですね。
三遊亭好の助真打襲名披露・口上
仲入り後は披露目の口上。座布団は敷かず、皆さん緋毛氈の上に正座する。
司会は萬橘師。それから円楽党副会長の楽之介師、好の助師本人、圓橘師。
落語協会のように、本人以外に四人も並ばず三人だが、それでも披露目は面白い。
楽之介師は、自分は師匠・先代圓楽の方針で、下手でもバカでもスケベでも、とりあえず八年で真打になれた。一年目は真打バブルがあったなんて話。
最後に、皆様もぜひ三遊亭楽之介をよろしくお願いしますと頭を下げ、他のメンバーに突っ込まれていた。
圓橘師はバランス取って固めに。カーネギーホール小噺。ニューヨークでカーネギーホールへの行き方を尋ねられたら、「練習あるのみ」と答えるんだというネタ。
司会の萬橘師が言うには、圓橘師がおかみさんにタックルされたのは、私の差し金ですだって。
三遊亭楽之介「長命」
楽しい口上のあとは楽之介師。この人も実は初めて。
なんと短命だ。
披露目の席で人の生き死にのこんな噺やっていいの? と思ったが、「長命」ともいうし、縁起ものなのだろう。ホワイトボードにはやはり長命と書かれていた。
円楽党は、メジャーな演目でも結構演出が違うことがあり、この噺もそうだった。
二番目の旦那「ブリのアラ」にスポットを当てる演出。ブリのアラは上方風ですな。
面白いと思ったのが、察しの悪い八っつぁん、一人で帰りながら、「隠居もはっきりアレのことだって言ってくれりゃわかるんだ。俺はアレのことしか考えてねえんだから」。
そうだね、察しが悪いにもほどがある八っつぁんだが、あちらのほうが嫌いだと、キャラ的に変だもの。
楽しい亀戸でした。好の助師始め、萬橘、楽之介両師が揃ってお見送り。あれ、圓橘師は?
大満足の円楽党。