浅草お茶の間寄席で出ていた、春風亭昇吉師の「柳田格之進」を珍しく褒めた。
記事をアップしてから、披露目に出かけたのである。当該記事のアクセスは、批判記事と同様に多かった。
披露目の席においては、この人のことはとにかく色眼鏡でなくニュートラルに見よう、そう決意していた。
よければもちろんそう書くし、気に入らない事象があればそれも書くつもりで。
さっそく後者が。
昨日取り上げた、口上でのふるまい。
今回の4人の披露目で聴きたかったのは昇々、羽光の両師である。
昇吉師については、いつもいろいろ書いている以上、聴く義理はあるかなと。主任でない日に聴きたいと思っていた。
昇吉師の高座、二ツ目時代には一度しか聴いていない。
私のせいではない。ご本人が自分の会ばかりやっていたからである。
東京かわら版の9月号、落語協会新真打特集を読み驚いた。柳家花いちさんが新作をやり始めたきっかけは、昇吉師からの誘いにあったのだという。
でも、二人で始めた新作の会も維持できていない。
かわら版の記事からは、昇吉師にハシゴを外された花いちさんの困惑だけが伝わってくる。
今回の昇進も、成金メンバー3人と一緒なので、浮いている感がありあり。
だが自分の高座(ヒザ前20分)でもって昇吉師、「今回は喧嘩もせずにやってこれました」と仲良しアピール。
それはともかく「前回の真打は揉めたんですけどね。許せねえなんて言って」と実に余計なことを言う。
前回の真打って、抜擢宮治の前の、A太郎・鯉八・伸衛門のことだろう。
この3人だと、A太郎、鯉八の二人は(昇々師も含め)一緒にイタリア公演に出向いたりするような仲なので、伸衛門師と二人が揉めたのだと推察される。
私は高座に、楽屋話が出るのは大好きだ(みんな好きでしょう)。だが、はぐれ噺家から出た楽屋話には引くのみ。
成金を分裂させたいのか。
印象悪い口上と、この日の「もぐら泥」から確信したのは、昇吉師は結局のところ「人がよくない」という残念な事実。
口を利けない羽光師に、マウンティングしていた印象すらある。
「人がよくない」といっても、三遊亭白鳥師のようなクズエピソード満載の人への評価ではない。白鳥師は万人に愛されているし。
昇吉師は、単にいろいろと欠落している人。
東大出身者がOBとして親しみを感じるのはいいが、この先、一般の落語ファンが増えるかな?
このくだり、プロが読んだら喜んでくれそうな気がします。見てるだけの素人にも人間性は伝わるんだねと。
お前のブログなんかプロが読むはずないって? うちの息子はそう言いますがね。
さて昇吉師、マクラで「性犯罪の噺をします」と語り、それについてなんの回収もしないまま、泥棒の話を始める。
性犯罪に客が引いたと感じたようなのだが。
羽光師の客なら、エロネタについてくると思ったのかな。
もぐら泥は、芸協では初めて聴く。誰に教わったのか。
東京では比較的マイナーな噺だが、それでも三遊亭好の助、蜃気楼龍玉、林家たこ蔵といった師匠たちから聴いている。
泥棒に入られる側が、泥棒になんの断りなく寝てしまうというのは、龍玉師から聴いたものと同じパターン。
昇吉師には、噺をダレずに語るテクニックがある。だから人情噺は語り切れる。
もぐら泥でも、ギャグに頼らず噺を進める部分には、私もしっかり感心している。
そして、「上手い」と感じ入る他の客の様子も、容易に想像がつく。
昇吉師、画を表現する能力にも長けている。
ニョキッと土間に生えた泥棒の手と、それをふんじばる商家の主人。この情景描写については、今まで聴いたもぐら泥でナンバーワンだ。
このように、明確に褒めるところがある。でも私の感性は脱落。
理由ははっきりしていて、登場人物に魅力がなく、薄っぺらいのである。
もぐらに失敗し、手をふんじばられて朝を待つ間抜けな泥棒。とても画になるシーン。
だがこの泥棒に、愛すべき側面も、真逆の憎々しさも、なにもない。
かといって、ベテラン師匠がしっかり事象と距離を取って語る、記号が動く古典落語でもない。そういう落語なら、客が隙間を自分で埋めて、楽しく聴ける。
商家の主人もおかみさんも、人物が見えない。
たとえば龍玉師のものは、主人がド迫力だった。これはこれで引く客もいるだろうなとは思いつつ、その迫力に魅せられてしまう。
最後泥棒の財布をかっぱらっていく酔っ払いも、昇吉師のものは実につるんとしていた。
腕を縛られて本気で痛がっている泥棒には、ちょっと引く。欲しくないリアリティ。
同じく高学歴噺家の笑福亭たま師が、ある人情噺の大家がちっとも人情家でなかったと書いていたのを思い出した。
人情噺ならば、人柄がイマイチでも語れるらしい。滑稽噺はそうはいかないのだ。
披露目の席の感想としては申しわけないけど、今後私が昇吉師を聴きにくることはない。
向き合うと、神経がざらついて仕方がない。
寄席の浅い出番に顔付けされていれば、たまたま聴くこともあるだろう。その程度。