【東京かわら版】小池共産党書記局長インタビューに不快感

「新・美の巨人たち」の末広亭特集はなかなかよかったが、これで1本は書けない。
東京かわら版10月号が届きました。
表紙をめくると巻頭インタビュー。小池晃共産党書記局長である。
このインタビューには、かつて小泉進次郎議員が登場した。
その後デイリー新潮で、なぜか叩かれる進次郎。

東京かわら版の小泉進次郎

今回の菅首相退陣も含め、毀誉褒貶いろいろある進次郎議員であるが、そもそも記事において政治的な発言はいっさいしていない。
今から振り返っても、なんとも不思議なバッシングであった。しかも、人情噺までセットで叩くという。
この件以来、吉川潮のことがすっかり嫌いになった。
ジジイが若者にマウンティングするのは許せないね。ジジイ作家を使って、若者をいたずらに貶める記者も許せない。
自分のほうが知識があると若者に乗っかること自体も嫌だ。だがジジイになって知識が増えること自体は仕方ない。だからって賢くなったわけじゃないのだが。
ともかく若者の感性に対し、知識でマウントを取る年寄りなんてクソである。

私が小泉進次郎シンパでないことは、断る必要はないが、でも一応断っておく。
自民党を推し、野党を誹謗するために東京かわら版を使いたいわけではないのだ。
その逆を平気でやれてしまうのが、野党の方々。

さて、小池書記局長のかわら版インタビューにつき、以下批判する。
営業中止の圧力に反旗を翻した寄席について、この人たちが乗っかってきたとき、ずいぶん嫌な感じがした。
寄席は開けていいと言いつつ、オリンピックは絶対反対。
今に至るまで、これをまっとうに説明できる理屈を聞いたことはない。
自分たちでも納得したかったのだろう、なんとか捻り出したオリンピック反対の理屈が、「オリンピックによって出歩いていいという緩みが国民に伝わった」である。
まあ、捻り出したなという。
寄席だって世間からは、「このご時世に自分たちだけいいとはなんて傲慢なんだ」って叩かれたのに。
といって私は「寄席も開けろ。オリンピックもやれ」という見解を採った覚えはない。ゴチゴチの思想を持った人たちと、同じ土俵で向かい合いたくない。

小池氏は、超党派の「落語を楽しみ、学ぶ国会議員の会」の会員。
「楽しむ」のはいいが、「学ぶ」が付いているところがなんだかね。まあ、「落語を学ぶ」という意味でしょうきっと。
インタビュー冒頭から早速、政府叩きのために落語を使う小池氏。
「十分な補償もせず、根拠もなく休業を要請する」政府に罪のない寄席が苦しめられたと。
確かにまあ、政策のすべてに明確な根拠があり、納得いくものだったなんて、誰も思ってはいない。だが落語を欠かせない文化だと、持ち上げられるだけ持ち上げておいて、政府批判のための矮小なツールとして取り上げる、その姿勢には頭にくる。
日本では文化予算が少なく、笑いもまたないがしろにされると語る小池氏。
あんたたちが、今までどれだけ面白いこと言ってきたのさ。落語から学ぶんなら、もっとユーモアを身につけてくれ。

しまいには、「国会議員は寄席に足を運ぶべき」。
まず与党議員をターゲットにする。
「庶民が今の政治のどこに不満を持っているのかを知ることができる」んだそうだ。
野党議員もその対象にする。そこを平等に扱っている点だけは許す。
「庶民の心に響く訴えができるか」を野党議員は学べるのだと。

確かに、庶民へのアピール技術についてはひょっとすると学べるかもしれない。
だが、「政治のどこに不満を持つか」を与党議員は寄席で学べるって?
これ、本当に意味がわからない。
私は緊急事態宣言中も寄席に出かけていたが、「政治に対する不満」を高座から直接聞いたことなんかない。
知らない人は、寄席では政府の批判ばっかりしてるのだろうと思っているのかもしれないが。
いつも書いていることだが、まともな芸人は客の思想を決めつけたりしない。プロ野球のひいきチームと同様、政治思想も千差万別。
そのすべてに受け入れてもらえないと、高座が成り立たないのである。
バランスに常に気を配っている芸人たちが、みんな反権力と勝手に思いたい、認知の狂いは困ったものである。
そんな芸人、寄席では観たことないぞ。当然、寄席から共産党支持が広まるわけでもない。

最後に、「ヨセキ」と呼んだ大臣をあてこする小池氏。
結局、「落語を知ってるオレ」がマウンティングを取るというだけ。
落語なんて、自慢のために聴くもんじゃない。聴いて偉くなるならみんな聴くだろうけども。

共産党にも落語好きがいるのは確か。
だが思想の強い人が落語を楽しめるのかどうか、常日頃から私は疑問に思っている。
廓噺なんて、いったいどうアプローチするのか教えてもらいたいものだ。与太郎や博打など、落語の登場人物はしょうもない連中ばかり。
革命を起こすのに役立つような登場人物はいません。

思想を抜き、落語ファンとしてのインタビューが受けられていたら、ちょっとは私も小池氏を評価したに違いないのだが。
まったくもって愚かなふるまいだと思う。

私に足りないものがあるなら、「こんな人がかわら版に出てるよ」と笑って済ませる姿勢かもしれません。
ネタができたからいいとしましょう。

作成者: でっち定吉

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