令和の落語界における「笑点」の地位 その1

昨日のコムマコ会見にはいろいろ触発されることが。ただ先日も書いてるから、もういいでしょう。
墓穴を掘り、国民から見事な総スカンを食らってしまった勘違い夫妻に対し、「国民の多数」の立場から叩き続けるのは私の美意識にそぐわないのであります。
じゃ、最初からなにも書くなよと言われそうだが。

唯一彼らのほうに理があると思ったのは1点。「元婚約者」が小室佳代に会わせないと解決金を受け取らないと主張し続けていること。
この希望は権利でもなんでもなく、まともな世界では顧みられはしない。これをもって直ちにチンピラ夫婦のほうに正当性が移るわけじゃないが。

さて眞子さま改め眞子さんへの誹謗中傷が多く、AIによる非表示が出現したとヤフーコメントが改めて話題になった。
私でっち定吉も、本業のキャッシュレス記事がYahoo!に転載された際、無知・誤読・曲解に基づくわけのわからぬコメントを付けられることがあるので、被害者のひとりでもある。
だが左翼文化人のように、人権侵害の温床だとヤフコメを目の敵にしてはいない。表現面においての行き過ぎがなければ、今後もあっていいと思っている。
世にどんな意見があったっていい。
ようやくここから、落語の話題になります。

このたびの小三治逝去の際にいくつかヤフコメで、「笑点が落語だと思っている人にはわからないだろうが」的な小三治賞賛が見受けられ、やや気になった。
まあ、全体からすると少数派ではあるのだが、いまだにこんなこと言ってる落語好きがいるよと思って。
なんだか、令和における笑点への認識、あまりにも狂いすぎてやしないかと。
「確かな情報も得ないで我々を貶めて」と、被害者としての立場から国民を一方的に睨みつける元皇族と、認知レベルが一緒じゃないか。
笑点を貶めるファンは、世には笑点より偉い人たちがいるのだと、一種の認識マウンティングをしているわけだ。
ちょっと私もマウンティング返しをしようかなと思った。

ちなみに、2017年にはこんなものを書いてます。

笑点メンバーの落語

今読み返すと、私もまた「笑点メンバーは落語がヘタ」的価値観をどこかに引きずっていた。引きずられて書いている箇所が散見される。
たかだか4年前のことなのだが、その後私もずいぶん認識を変えてきた。反省すべき点も多々ある。
だがそれだけでない。落語界での笑点の地位自体、ずいぶん変わったように思うのだ。
これについては、個人の好き嫌いで片付けられるものではない。

このたび始める続きものの、結論をあらかじめ出しておこう。

  • 笑点は落語界の中心にある
  • 笑点は落語の番組である
  • 笑点メンバーは落語界において最も地位が高い
  • 噺家が笑点出演を目標にするのは間違っていない

以下、これを逐一立証していきます。

確かに20年前にこんなことを言っても、鼻で笑われたに違いない。
笑われなくても、「変わった落語ファンだね」という評価を受ける。
今なら、「うーん、実は薄々そうじゃないかと思っていた」という賛同も得られるはず。

20年前の笑点

かつて「笑点は落語じゃない」と、落語好きがことさらにする主張が全面的に受け入れられていた時代は間違いなくあった。
その落語ファンだって、笑点は通過してきているわけで、「自分は一段階上のレベルに来た」という自慢含みでもあったのだ。
笑点なつかし版では現在、2001年の放映が流れている。私が楽しんでいたのはさらに10年以上前の笑点だったが、21世紀になってもほとんど変わっていなかったように思う。
当時のものも普通に面白いなとは思う一方、当時の笑点の置かれた感覚というものを思い出したりする。
当時のメンバーはこんな人たち。

  • 三遊亭圓楽・・・リアルな晩年を迎えていた(若竹は10年以上前にすでに消滅)
  • 三遊亭小遊三・・・落語芸術協会副会長付/2001年に芸術祭優秀賞
  • 三遊亭好楽・・・当時は「本当に」つまらないとされていた
  • 林家木久蔵・・・キワモノ扱い
  • 桂歌丸・・・落語芸術協会副会長
  • 三遊亭楽太郎・・・普通の、毒のある中堅(瀬古利彦はとっくにやめていた)
  • 林家こん平・・・キワモノ扱い

落語の評価が当時からちゃんとあったのは、小遊三師だけ。名人扱いではないけど。
司会の先代圓楽は、もう終わった人とされていたのではないか。
亡くなった際には落語の名人として扱われていた歌丸師も、当時はまだそんな評価を得ていない。現に副会長をやっていた(この後先代文治の死去に伴い会長となる)のだから、仲間内の評価はあったにせよ。

落語協会の二人(木久蔵、こん平)はともに、落語で名を売るような人ではなかった。
落語協会のファンにとっては、特にこれは笑点を毛嫌いする理由になったであろう。
もちろん、TVバラエティとしてはなにも間違ってはいない。
とはいえ、笑点での露出と、落語界での地位が比例しては上がっていかなかった人たちである。緩やかには上がっていったのだが。

令和の現在では、私の敬愛してやまない好楽師(本業についてだ)も、当時はポンコツ扱いだった。
今でもポンコツ? でも今は人気があるだろう。当時は「なんでこの人いるの?」という扱いだったはず。
現在の姿を念頭に置いて20年前の好楽師の回答を観ると、結構面白かったりするのだが。人には歴史がある。

続きます。

作成者: でっち定吉

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