立川談志71歳の反逆児(2007年)その1

小三治追悼の番組が続く昨今であるが、そんな中で2007年の「ハイビジョン特集」がNHKで流れた。
「立川談志 71歳の反逆児」。
私まで世間に反逆しているわけではないが、いろいろと刺激に満ちたこの番組を取り上げたい。放送されてから3週間経ってますが、私の熟成期間。
晩年の談志に迫った特集。談志が亡くなったのはこの4年後である。

晩年を迎え、若い頃の流麗な語りが出てこなくなった談志、生きていても仕方ないと嘆いている。
これが実にもってよくわからない。
若い頃から多くの芸人を見ていたはずの談志が、なぜ若い頃のようにできないと嘆くのか?
年取ってダメになった芸人も多数見てきたはず。
自分自身が真の年寄りになったときにどうあるべきか、どう枯れていくべきか、考えてこなかったとは思えない。
談志の大好きな志ん生が、脳溢血で倒れたのはまさに71歳のときだった。それまで全盛期だったはず。

基本的なスタイルを変えていきたくなかったのか、変えられなかったのか。それとも「死」に必要以上の美学を感じていたのか。
噺家として70代では、衰えたなんてとても言えないと思うが。

立川生志師の「ひとりブタ」によると、晩年の談志は判断も衰え、つまらない投資詐欺にも引っ掛かる様子だったという(だから損失補填のため上納金事件が起こった)。
その醜い姿は、取材の画面からは一切うかがえない。徹底してケチな描写のみ。

若い頃の爆笑問題も見学にきた国立演芸場の独演会の模様。衰えは全くうかがえない。
会当日の時事ニュースである麻原死刑判決、さらに携帯電話が鳴る話をしたうえで、死神に入る。
せっかくロウソクを移し替えられたのに、死神がフッと吹いて消してしまう、人でなしなサゲ。フッと吹いて扇子(ロウソク)をばたっと落とすのが丁寧ではある。
ちなみに、小三治のくしゃみオチも改めて最近見たところだが。
会が終わり、機嫌よく銀座の「美弥」へ向かう談志。

時代が遡る。今はなき、人形町末廣で「反対俥」を演じる談志(当時小ゑん)の貴重な映像。
軽快な高座だ。今の二ツ目がこのとおりに一席できたとしたら、かなりウケるだろう。
字幕では「人形町末広亭」と書かれているが、「亭」はつかないから間違い。

参議院議員に当選する談志。
談志も若いが、インタビューを受ける談志の後ろに、大きな顔の先代圓楽がいた。

落語協会を飛び出す反逆児のフレーズは「落語とは業の肯定」。
しかし、もはや業を引き受けきれなくなったのだと、放映当時の談志にここで戻る。番組、上手い流れである。

九州の公演旅行に出かける談志。最初は島原。
この落語会における談志の嘆きにいたく心動かされ、ブログで取り上げようと思った次第。
わざわざ倍賞美津子が、トークショーのため島原まで来ている。西部邁と森崎監督も。

会で出したのは「富久」。
クライマックス、せっかく千両を当てたのに、富札を火事で焼いてしまった久蔵。
ここからしばらく、人間の感情が激しく揺り動く劇的なシーンが続く。もう死んでやると嘆く久蔵。
久蔵の感情がほとばしっている。
人の心が潰れかかっているのに、ケラケラ笑い続ける島原の客たち。久蔵の戸惑い振りがツボに入り、面白かったのだろう。
NHKがここぞとばかりにカットせず回しているこのシーン、オヤと思いながら私も聴いていた。

談志が急に地に返り、客に問いかける。
「そんな面白いとこ? そうでもないと思うけどね」。そしてまた戻る。

西田尚美のナレーションは、「お客はなにも気付かなかった様子で」と言う。「師匠の熱演に、お客は大満足の様子でした」とも。
だが、気づかないことはないと思う。客も、間違いなく違和感を持ったに違いない。

一席終わって楽屋、カメラの前でこの世の終わりかのような嘆きを見せる談志。
「価値基準が違ってきちゃった」と嘆く。

しかしなあ。言っても地の果て、島原だ。
地方を馬鹿にはしないが、事実として落語に慣れているような人はいない。毎年来ていた地だとしても、この嘆きはいささか過剰に過ぎるとも思う。
客に対して、あり得ない基準を求めるようになったらおしまいだ。芸人の了見じゃない。
というか、そもそも、島原でもウケるような噺をするのが、噺家のあるべき姿じゃないの?
富久に人間の「せつなさ」を感じ取るのは、なかなか高度な感性のなせるワザ。
笑いを得るため落語に来ている客に、笑いやがってと怒る演者には、ちょっとついていけない。

とはいいつつ、談志の高すぎる基準をもとにした嘆き、理解できないわけではない。
今年6月、池袋演芸場で柳家喬太郎師の「心眼」を聴いた。
クライマックスで主人公、按摩の梅喜がこれ以上ないくらいの感情のほとばしりを見せるそのシーンで、笑っている客が数人いたのだ。
笑えるシーンじゃなかった。面白いことを、梅喜も、喬太郎師も言ってなかった。
日本一客の質が高い、そう私が思っている池袋にだって、感性の間違った客はいる。
実にいい場面で私もいい気はしなかった。だが、笑いに来ている客なりの、戸惑いつつのリアルな反応だったのだとも思う。

続きます。

 
 

作成者: でっち定吉

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