立川談志71歳の反逆児(2007年)その4

 

続き物、今回で終わります。

前回、談志を小三治と一緒に愚か呼ばわりしたのはいささか乱暴だった。
撤回はしないが、補足します。
談志は一応、「落語家になる」ということと、「立川流に入る」ことを峻別はしている。
立川流でやりたいなら、談志の求める基準はクリアしないといけないのだと。
談志信者なら、素晴らしいと思っただろう。
まあ、当時熱心だった人ほど、現在の立川流の惨状を嘆いているに違いない。この結果を出したのは談志本人だからな。

落語の世界というもの、数多い弟子を育てる師匠自身に、多様性が必要。そう思うのだ。
それほど難しいことではない。師匠の思想を押し付けない、ただそれだけでいい。
弟子を一方的な期待を持って育てあげようなんて、おこがましい。
生命の進化と同様、多様性のないところに怪物は生まれない。師匠を超えるような人材は、立川流からは本来的に生まれないし、現に生まれていない。
志らくみたいに、ミニチュア談志でありたいと思っている人間ならそれでよかろうが。
現代の名師匠である柳家さん喬師は、兄弟子である談志や小三治の育成を見つつ、かなり明確に反発していたに違いない。

談志は実際には、厳しい重しを載せることで、重しを跳ね上げるような大物の出現を期待していたのだ。
そんな解釈も成り立たないではない。
実際にはスケールダウンした弟子しか望んでいなかったように思うな。だから家元を誰にも譲らなかったのであって。

番組に戻る。
弟子のぜん馬と語らう談志。「伝統を大事にしないと全然違うものができる。亜流になる」と。高座以外でも落語口調。
ただ最後に「俺も含めてな」とくっつけるのが極めて談志らしい。

番組の後半は、談志自身の終末に関する、哲学的な、切れ切れの語りが溢れている。
落語が思うようにできなくなっていて死にたい自分を、もうひとつ上から俯瞰しつつ、何の答も出ない。
しかし視点を変えれば、そんな無数の次元を軽々と超えていく自分自身が楽しくて仕方ない、そんなふうにも見える。
少なくともこの番組は、悩む談志を、ドキュメンタリーを超えエンターテインメントとして切り取ることに成功しているではないか。

タイタンライブのゲストに呼ばれる談志。
「BOOMER」「パックンマックン」「東京ダイナマイト」「スマイリーキクチ」等が挨拶に来ている。
今後は爆問太田に「もうダメなんだよ。お前もなると思うね。自殺寸前だよ」と語る。
番組では触れられないが、かつて談志自身が先代正蔵に、自殺願望の強さを心配されていたという。
私には、自殺エンターテインメントにしか思えないけど。談志は自殺したがる自分を常に俯瞰し、面白がっている。

タイタンライブで「鼠穴」を演ずる談志。
落語でなくお笑いのファンの前で人情噺を熱演するテンションは、冷静に考えるとわからない。
自分の本質に入ってこようとしない人が多数を占める前で、一生懸命むき出しになろうとする。
空回りにならなきゃいいのだが、本当のデキはどうだったろう。

そのライブの帰りの路上だろうか。カメラを前に歩きながらスイッチの入る談志。
テーマは「死」について。そして、「死」をおびえる自分自身の弱さについて。
「業の肯定」という自分のキャッチフレーズ自体を引き合いに出し、死も肯定しろよと自分を俯瞰しながら落語口調で語りまくる。
これは面白い。ひとつの立派なエンターテインメント。

ベトナムで「芝浜」を語り、先が出てこない談志。
出てこない自分自身をショーとして魅せる自覚満載なのが、よくも悪くも談志。まあ、客は喜んだろう。

例によって三鷹の独演会に遅刻する談志。年末なので芝浜を。
談志の語る、女房の長い独白のくだり。ここだけ切り取ると、ウェットに過ぎるなあと思う。
あらゆる次元から自分自身を、そして自分を俯瞰する視点すらを俯瞰する談志が、これだけウェットなのはちょっとわからない。

さらによみうりホールの芝浜の会。
なぜか芝浜をやりたがらない談志。飽きちゃったのだと。
悩んだ末に娘に後押しされ、やめて文七元結にする。
文七もまた、ずいぶんウェットだなあと。

機嫌がよかったときであろう、カメラに自分の中の非条理を語る談志。
「不条理」というと陳腐なので非条理と語るのかな。
談志の言葉に翻訳を加え、私なりに理解してみる。
非条理とはデタラメのことだが、自分の中のデタラメを外に出し、エンターテインメントとして客を楽しませたい。
ただ本当にそうだと、キチガイのたわごとになってしまう。だから最低限自分に妥協し、ギリギリ整合性を加えていく。
これが談志の客へのサービスであり、ファンが「優しさ」と理解するものの正体。
条理に基づいて非条理を整理して出していかざるを得ないが、本当はそれをしたくないのが本音。
作為なく、自分の中の非条理が、なぜか客に伝わる形で外に出れば理想。
「業の肯定」は客に伝えるためのキーワード。
まあ、そういうことではないかと思う。どういうことだ。

ちょうどここで番組も終わりました。

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作成者: でっち定吉

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