鈴本演芸場7 その2(柳家喬太郎「文七元結」下)

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喬太郎師の人情噺というもの、古典も新作も、おおむね人の激情がほとばしっているのが特色。
私はそこから進んで、「ほとばしり」こそ人情噺の肝ではないかと思うまでに至った。
しかしほとばしる喬太郎師も、文七元結においてはかなり違う。
長兵衛親方がものわかりの悪い文七にとっておきの激情をぶつける場面はある。だが、全体的にはとてもひそやかだ。
当たり前だが、噺によって方法論は違うのだ。

最近聴いた喬太郎師の人情噺は、落語の芝居を超え、本物の芝居、それも舞台のような表現方法にまで進んでいた。
文七元結だと演技も違う。
先人たちと同じフィールドで勝負する喬太郎師。
抑えているが、落語としてのリアルな芝居。客の気持ちに沿うし、引っ掛かる箇所は皆無。
これ自体すごいことなのだが。

序盤はもったいをつけずどんどん進む。
薄汚い女着物を着ているので、佐野槌の裏口で乞食に間違えられたりして。
女丈夫の佐野槌のおかみと対面する長兵衛。
客席は静まり返り、かたずをのんでいる。客席をシンとさせるスピードの速さにまず驚く。
喬太郎師は、入念なウォームアップから始まるイメージだが。
いつも思うことだが、マクラの上手い人は、マクラ要らないのである。これ定説。

おかみの語りも、先人のものと著しく変わりはしない。だが、喬太郎師ならではの芝居のエッセンスに満ちている。
われわれ客の気持ちを、ダイレクトに揺り動かす語りである。
死んだ亭主がいたら(長兵衛を)殴ってもらってるよとつぶやく場面があった。

長兵衛が帰途振り返ると、吉原はぼうっと薄明りの中。
孝行娘のお久に詫びて、吾妻橋に差し掛かる。

そこにいたのは、毎度おなじみ喬太郎一座で、いつも情けない男を演じる役者が担当している、文七。
喬太郎師が使っている劇団員。役者なので、さまざまな噺に登場するのである。久しぶりだね。
たまに、「寿司屋水滸伝」などで主役を張ることがあるが、古典落語ではおおむね脇役。
居残り佐平次の主人や、小言幸兵衛の仕立て屋も、たぶんこの役者が担当している。
この人物描写は、先人にはない。新作落語の要素が流れ込んできている。
タイトルにはなっているものの終始脇役、この文七の魅せる、個性的な演技は噺の大きなアクセントである。声は上ずっている。
実に情けない男、文七だが、落語の客の気持ちにはとても沿う。すでにでき上がった古典落語の世界に登場する、ちょっとした異物であるが、われわれに最も近い男。

長兵衛がどれだけ、本心から金を出したくないか。
右手から出した金を左の袖口に入れてしまう。その金を、今度は胸元から左手で出し、また右手に持ち替える喬太郎師。
楽しい所作のギャグの中に、逡巡が的確に描かれる。
だが長兵衛、カネを出すというゴールは決まっている。「やっぱりやめる」場面はない。

昨日も触れたが、長兵衛は別に、義侠心に基づいてカネを出すわけではない。
文七にも、「飛び込んでカネが出てくるならいいけどな」と語っている。その関係性があるなら、黙って見逃したっていいのかもしれない。
だが、カネはなくなるし青年は命を落とすでは、真の犬死に。その外にある、主人の嘆きまでをも感じたのだろう。
犬死にだけは避けたいと、ついに懐に手を掛けることになる。

店に戻るが、文七は単に50両、忘れてきただけだった。
主人と番頭が、文七から長兵衛の話を聞く。
「そんな粋なことをするおかみといったら、番頭さん、誰だろね」「佐野槌でしょう」と番頭、嬉しそうに即答。
主人が同意し、番頭と顔を見合わせ、「最近行ってないねえ」。楽しそうな人たちだこと。
死のうとした文七、たぶんこの場面で、なんて意味のないことを考えたのだと気づいたろう。

翌朝、夫婦喧嘩を延々続ける長兵衛夫婦の元を訪ねてくるお店の主人と番頭。
50両出てきたんだから、返してもらったらいいのに、受け取りを拒む長兵衛。「あっしも江戸っ子だ」。
角樽と酒の切手はもらっても、50両は頑として受け取らない。「お前さんがのれん分けする際の足しにしなさい」と文七に。

このあたりは喬太郎師も、長兵衛になって考え抜いたのだろう。
受け取らないのは、娘のお久にあんまりだ。
だが長兵衛としたら、いったんこれから先の運命をすべて受け入れたうえで50両くれてやったのである。カネが出てきたこと自体は本当によかったと思っているが、それとこれとは別の話。
だが、主人のほうが一枚上の江戸っ子だ、と感服したので、ついに受けることにする。よかったよかった。
そして主人が身請けしてくれた、お久が出てくる大団円。

ちなみに、喬太郎師、寒さが続くこの日も、咳は一度もなかった。
体調はいいのでしょう。
すばらしい一席が聴けた。

明日は鈴本、冒頭に戻ります

 
 

作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. 喬太郎師の文七、だいぶ以前に聴いた事がありますが、またアップグレードされてるんでしょうねぇ。
    ちなみに今回の上野での喬太郎師の芝居、私が伺ったときは「母恋いくらげ」でしたw
    地方在住なので中々寄席に行く機会もありませんがこのブログで何となくイメージが湧きました。
    また上京した時に寄席へいくのを楽しみにブログを読ませて頂きます。

    1. まるかんさん、いらっしゃいませ。
      私は古典にばかり遭遇していますが、勝手に人情噺だと思っている母恋くらげも一度聴きたいものです。
      喬太郎師は、本当に幅が広くていいですよね。

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