梶原いろは亭 その3(春風亭橋蔵「だくだく」)

(その1に戻る)
(その2に戻る)

この日の橋蔵さんのマクラも、やはりつまらないのだった。
襲名パーティの際(※圓雀師だろう)、豪勢に、各テーブルに1本10万円のワインが出た。合計100本。
するとなにが起こったか。このワインの定価が、その後3割値上がりした。
・・・このネタを、どう笑えばいいのか。

だけどウケない橋蔵さん、実に堂々としている。これは立派。
演者が堂々としていてくれれば、ネタが少々すべっても、客は決してつらくならない。
前の週の金曜日、亀戸に代演で出てきた二ツ目さんは、客をつらくさせる人。この違いは大きい。
泥棒ネタなので「仁王」まで入っているつまらないマクラを堂々と振って本編に入ると、これがみちがえるようなすばらしさ。

繰り出す言葉がすばらしいのだ。
日本語というのは、比較的アクセントの乏しい、狭いピッチ内で語られる言語。
だが橋蔵さん、日本語として許される最大限の強弱を付け、シンコペーションを付けて語る。
たちまち、その言葉の羅列に引き込まれてしまった。

フォント(字体)のことを連想した。
MS明朝や、MSゴシックというのは、すべての文字が同じ大きさをしている等幅フォント。
いっぽう、MSP明朝やMSPゴシック、その他、文字ごとの大きさが不揃いのフォント(プロポーショナルフォント)も多数ある。
橋蔵さんの落語は、このプロポーショナルフォントだと思った。
文字の大きさ(一音ごとの長さと強さ)が揃っていないが、それでも、あるいはそれゆえ、全体としては綺麗な、リズミカルな言葉として並ぶ。
素人や、素人っぽい人の喋りは、文字がすべて同じ大きさをしているのだ。わかりやすいが、いずれ聞き飽きる。

落語というものには、お笑いの要素と、講談とも共通するおはなしの要素とがある。別に笑いに惹かれなくても、別の方面からこの世界に入ってくる人はいるのだ。
そして、「だくだく」という、型とリズムで魅せる噺、こんな人にはとても向いている。
所作も見事で、泥棒に槍を突き刺す仕草が実にダイナミック。
本当は八っつぁんは、槍なんか持ってない。持っている「つもり」なのだから、真にダイナミックでなくてもいいわけだ。
でも、そこが落語のマジック。
「つもり」で遊んでいるのだから、実際に槍で突き刺しているのを、客だって想像して、見たつもりになってもいい。

すばらしい技術を持っている人だから、マクラでの笑いなど捨ててもいいんじゃないかと思う。
芸協には少ないが、落語協会に行くと柳家小満ん師とか林家正雀師とか、そういった芸のエキスパートがいる。そういう方面を目指して欲しいなあ。
そして、そういう芸をすることで、今度は逆にやたらウケるようになるだろう。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。