もはやいちいち報道されたりしないが、またまた寄席は大変な様子。
いや、もちろん大変なのは寄席だけじゃないけれど。
やっと無料の会が徐々に復活してきていたのに、いっぽうではまた中止になる会も多数。
噺家さんも大変だ。
しかし、コロナとほぼ無関係に失業しかかっている、珍しい噺家も世にはいるのだった。
立川雲水51歳。
なんと1月に仕事がなかった。噺家の書き入れどきに。
落語協会だと、顔見世興行の初席だけお呼びが掛かるなんて人もいるのだが。
1月に仕事がなかったのは、立川流が細々やっている寄席(日暮里、上野広小路、日本橋)から完全に外されたから。
これがいつから始まったかは、以前書いた。
それから1年半、相変わらず月7日ある広小路亭には一切顔付けされない。
しばらく、月1回の日本橋亭のみという状態が続いた後、これも年末に外された。
上野広小路亭での、各派混合のしのばず寄席も、いっとき顔付けされていたがすぐに名前がなくなった。
そして、志の輔、談春、生志の各師とやっていた傳志会もついに終了。
ツイッターで蠢く左翼文化人たちはみな、一応本業を持っている。
ラサール石井や町山智浩。村本大輔だって一応活動している。
しかし仕事がなく、一日中ツイートに余念がない男もいるのである。カッコよくいえば、高等遊民だが、ただのニートである。
そしてユーモアのレベルも、ハガキ職人のほうがずっと高いという。
こういう人に仕事を依頼したい人もいない。業界の仲間からも、もはや声が掛からない。
東京かわら版2月号でも仕事ゼロかと期待したら、ひとつだけ入っていた。
17日の神谷町、別院真福寺での「やすらぎ寄席」。
メンバーは、立川ぜん馬、立川談幸、立川生ぼう(生志師の弟子)。
12月の日暮里以来の高座ということになる。
立川流の寄席からは追放されたが、ごく細々と立川流とのつきあいは残っているということらしい。
もっともツイッターを始めるまでは、他派との付き合いもあったはずなのだが。
仕事がないのに強気で、ツイッターにのめりこんで他人を罵りまくっているその精神構造は、まともではない。
だからといって、自己流付け焼刃左翼なので、左翼文化人サークルに入れてもらえるわけでもない。松尾貴史にいっとき取り入ろうとしていたが。
兄弟子、談四楼にすらずっと無視されている。
談四楼のように物書きの方面に進みたいものの、文才もないので依頼もない。弟弟子で、今や売れっ子文筆家になった談慶を僻むのみ。
そもそも人を罵る際に使うボキャブラリーすら少ないからな。「ボンクラ」と「クソボンクラ」の2種類だけでやっている。
ツイッターではこのところ、河瀬直美監督に粘着していた。
このテンションがどこから来るかというと、結局雲水は、社会で成功している女性がすべて許せない、ただそれだけなので。
河井案里とか、木下富美子とか、そして小池都知事に対しても。最近は注意しているみたいだが、根がクソ男権主義者なので、つい本音でビジュアルをいじり出す。
女のくせに出しゃばりやがってという発想が抜けないのだ。蓮舫なんか本当は一番嫌いだろう。
そんな奴、左翼など本当は一番向いてない。
終わった男が本業についてつぶやいている。
コロナに関して医者や学者や厚生官僚の肩書きを持つ者から「えっ?!」と声が出る様な発言や見解が出る事がままあるのだが、私は実はそれ程驚いてはいない。落語に関して全く知識も技能も持ち合わせない落語家というものが存外多いという事実を知っているからである。
— 立川雲水 (@tatekawaunsui) January 21, 2022
相変わらずですな。
自分が落語に対し、高度な知識と技能を持ち合わせているところからスタートしている自信がどこから来るのか。
立川流にありがちなのは、「厳しい談志の下で修業をしたのだ」という根拠のないプライドであるが、雲水の場合はもう一段ひねくれている。
談志家元の人格からなにからすべて否定したいのに、その根拠を持っていない。
自分の中に芯のない噺家。
ちゃんと仕事してから言え。