特殊詐欺実行犯の男が刑事を名乗り、「刑事課特殊詐欺防犯係」という架空の部門をメモ書きして置いていったが、刑事が「形事」になっており、「詐欺」もつくりが書けず「言欺」になっていたという。
面白いネタなので「手紙無筆」とうまいこと絡めて「世の中の落語を探す」シリーズで取り上げようかと思ったが、そこまで膨らむネタでもない。
ネット上はこのお馬鹿さんのネタで盛り上がっている。勉強は大事だねと。
さてこの男の一番のしくじりは、字が書けなかったこと、それ自体にあるのではない。
字なんて適当でいいと本人が思うのは勝手。ただ、世間も似たようなものだと勝手に思い込んでいるところに、最大の問題点がある。詐欺仲間も含めて皆。
自分がちょっと足りないことを認知したうえで、世間はもう少し違うルールで動いているのを自覚できる人間なら、真の馬鹿ではない。
さてこのニュースからも、自分自身の認知は常に大事だという教訓が読み取れる。
立川流の悪い噺家のひとり、現実の認知機能が利かなくなっている立川雲水が、ついに壊れた。
堀の内の八っつぁんのような。もっとも八っつぁんのほうがずっと、自分の「粗忽」については知っている。
ツイッターで、自分のことを批判する連中を、バカだアホだと機械的に罵りだした雲水。
といって、どうアホなのかを、論理的に説明できる頭脳はもとよりない。
そして手当たり次第にブロックしているそうで。
SNSで万人に向け意見を吐くことと、手当たり次第のブロック、その行為のどこにも整合性はない。
- 他人を見下し、刹那的な快楽を得たい
- 師匠・談志への恨みつらみを晴らしたい
- 俺は本当はもっと売れるはず
この歪んだ欲望ゆえに始めた政権批判。
そうだとして思想は個人の自由だし、恨みつらみが思想にすり替わるのも、わりと普通のこと。
ただこの男、思想なんて持ち合わせていない。ただただ、目に入ってきた権力行使のありさまを、帰納的にボロカスに言うだけである。
真のインテリであれば、脳内での豊かな思索が、演繹的に外ににじみ出てくるわけだが。語れば語るほど、インテリとはほど遠いのがバレていく。
慶応からワコールというキャリアにより、世間的にはインテリの弟弟子・談慶がビジネス分野で成功を収めているのを受け入れられず、「冷蔵庫の霜取りをしようと電源を抜いてそのままにしておいたバカ。俺より落語も、文章もずっと下手なくせに」と、捉え続けることしかできない、現実に向き合えない悲しい芸人。
談慶、キウイなど弟弟子には今でもマウンティングするが、マスコミで売れてる兄弟子志らくには、ツイッターで切り捨てられても逆らわないのが情けない。
世間からは極左芸人として見られる雲水。だが、都知事選で宇都宮健児先生を応援しますとか、そういうことは一切言わない。
別の権力構築を望むのではなく、現在そこにある権威を貶める方法だけを考える。なんのことはない、ただのアナーキスト。
権力者には悪い言葉をぶつけるのが正義だと捉える、特殊な人、同類の人しか付いてこない。
そして相も変わらぬ、ユーモアセンスの欠如。本人は噺家でも筆頭のセンス、笑点メンバーなど問題にならないぐらいだと自認しているからそのギャップがすごい。
左翼文化人は、本人が勝手に憧れる兄弟子談四楼を含め、誰もフォローしてくれない。当たり前だ。
今や、この世のすべてが自分の敵であると世界を捉えだしている。
同業者にも呆れられているだろう。お客さんである一般人を罵りまくるなんて、噺家にはおよそ存在しない文化だ。
私は悪い立川流に日々心を痛めている。
落語ファンである私、特殊な活動をしている彼らを、自分のいる世界から切り離そうと、初めからそう思っているわけではない。
だが彼らのほうが、勝手に特殊な場所に移動してしまうのだ。
過激発言に付いてくる特殊な人たちは、落語なんか聴かない。落語で評価してくれることはないのだ。
雲水のしくじり人生についてのここでの批判が、なんとか若手の噺家まで伝わればいいなといつも思っている。
さて、以前からだいぶイッていた雲水がついにぶっ壊れたのには、明確な理由がある。
政治絡みではなく、落語界の現状のほうから迫っていく。
この痛い噺家の名前が、東京かわら版7月号から消えたのを先月お知らせした。
その後、さらに状況が悪化しているのだ。
ちなみに立川流のファンは、現在もっぱら快楽亭ブラック師と元弟子ブラ坊の争いに注目しているようだ。
こちらの事件については、私はなにがなんだかわからない。とにかく「気持ち悪い」という印象が先に立つので詳しく調べる気にもならない。
ともかく、雲水に着目する落語ファンはいなくて、悪目立ちもできない。
立川流…どう見るか悩む団体ですよね
志の輔師匠や談笑師匠のようないい弟子もいれば家元の毒気だけを真似した困った弟子もいるのでうかつに入り込めない地雷原みたいな感じさえありますよね
立川流というと亡くなられた左談次師匠はよかったという記憶があります。大安売りを見たのですが奇をてらうこともなくさらりと演られていていぶし銀の渋さを感じました
他の方の落語ブログでも書かれていますが雲助・一朝・馬桜の三師匠による偲ぶ会の座談会でも左談次師匠が「さだやん」と呼ばれていて親しまれていたという話が人柄をよく表していると思います。個人的には立川流の良心だと思っていただけに亡くなられたのは残念でした
前に丁稚定吉さんが書かれていたとは思いますが芸術協会には談幸師匠もいますし今いる志の輔師匠たちの良心派が芸術協会に移籍というのももしかしたらあるかも知れませんよね
最後に余計なお世話になってしまいますがたまには「好きの反対は嫌いじゃなくて無関心」でもいいのかなと思いました(※嫌いなことに憤ってストレスでおかしくなるところを見たくないという一読者のわがままをお許しください)
うゑ村さん、いつもコメントありがとうございます。
左談次師については、私もかろうじて間に合いました。同感です。
さて、嫌いな噺家はスルーせよとは至言です。
よく読んでくださる方からこうしたご意見をいただくようなら、立川流に触れるのは、確かにやめてしまおうかなとも思います。
ただ、目的にしているわけじゃないのですが、こういった人を取り上げると必ずアクセス増えるので、好評なのかなとも思うのですよ。
落語ファンじゃなくて、ツイッターの皆さんが情報拾いに来るだけかもしれないので、なんともいえませんけどね。