女帝上沼恵美子の黄昏

世の中にはニュースが絶えない。
ニュースをどう読み込むかというのは個人の自由だが、どんな報道内容であっても、そこに一定の見識を保っておきたいものだと思っている。
だからといって、ツイッターを騒がす左翼文化人たちのように、「とにかく政権と都知事を叩く」という点のみで見識が一定なのもどうかと思うが。
絶対の正義と絶対の悪なんて概念は、スター・ウォーズにすら出てこないのだから、是々非々でありたい。
もっとも是々非々といっても、個々のニュースについて、好き嫌いとフィーリングで適当にコメントする志らくのようなのはさらにいけない。

落語のブログなのでそちらから例を出す。

  • 司馬龍鳳問題「素人落語家がプロのフリをするな」
  • 林家九蔵襲名断念問題「名前は神聖なもの。根岸の言うことが正しい」

事象から見解を引き出すにあたり、矛盾しないためにはこの組み合わせが、正解とは言わないが筋が通っている。
もちろん、整合性が取れるなら逆の意見でもいい。

  • 司馬龍鳳問題「落語界はギルドみたいに閉鎖的だ」
  • 林家九蔵襲名断念問題「九蔵の名前は好楽師のもの。根岸は横やりがひどい」

実際には私、司馬龍鳳問題では前者を、林家九蔵問題では後者を選択している。
事象に理屈で迫り、前提をちゃんと整理した上での意見であるから恥ずかしくはない。
理屈をちゃんと貫きとおすことが最重要。個人の好き嫌いなんか、そのあとで来るべきものと思う。

さて当ブログでは、落語関係者ではないけど上沼恵美子という人を、だいたいにおいて高く評価してきた。M-1での暴走も、また芸のうち。
そして、カジサックこと梶原雄太という芸人のことは、低評価してきた。取り上げたのは一度だけだが、私の中の評価は低い。
高い評価のエミちゃんが、低い評価のカジサックを、自分の番組で公開処刑したというニュース。
好き嫌い前提でものを言うならば、この二人にトラブルが生じた際の結論はすでに決まっている。

事件の続きがあって、公開処刑の舞台である、「怪傑えみちゃんねる」が急遽終了するという。
自分の好き嫌い基準を持ち出さず、これでいいのだと胸をなでおろす私。
パワハラはいけません。
抽象論で言うのではない。具体的なパワーハラスメントがあった際、加害者が許される社会自体がいけない。
深刻なパワハラを起こしたら、ご退場いただくのが世の摂理。
だから関西テレビが打ち切りを決めたのは実に立派な決断と思う。
もちろん、スポンサーの顔色をうかがっての判断であろう。それはビジネスなんだから仕方ない。
それでも結果として、正しい了見が機能したのはよかった。マイナスがプラスを上回れば、番組は打ち切られるべき。

これでもって、世論もおおむね決着。
ヤフーのコメントなど見ていると、意外なぐらい穏当な意見が多い。
こんなところに、世の成熟を強く感じる次第。
Web上のコメントなんてものには「誹謗中傷」しかないと感じている人も多いだろう。だが支持を受けて上位に載るYahoo!コメントを見ていればわかるが、大多数は意外なぐらい穏当なのである。
番組打ち切り報道が出るまでは、なおもいろいろあった。一部マスコミも、誰に忖度したのやら梶原叩きニュースを出したりして。
しかし、そんなネタに一見喜びそうなエミちゃんのファンにも、いろいろ心中ザワつくところが多かったようだ。
それはそう。上沼恵美子をなおも支持し続けるなら、次のいずれかの見解を採らないといけない。

  • 上沼恵美子は何をしても許される
  • この程度ではパワハラではない
  • とにかく梶原が無礼で調子づいて、全面的に悪い

個人の採る見解としては、これは心理的障壁が高すぎる。とてもついていけない。
日ごろは「よくぞ言ってくれた!」と共感していたからといって、パワハラにまで共感できるものではない。
逆にいうと上沼恵美子、ファンの好き嫌いをはるかに凌駕したレベルでもってやらかしたのだということ。
尋常でない程度に、バランスを逸したわけだ。

視聴者を中心に「最近の上沼さんはおかしかった」という意見も多く見られた。
コメントする側は実際にそう感じている、と自分で思っているのだが、実は正確ではなく本当はこう。
「上沼恵美子ずっと好きだし事件があっても好きだけど、好きな裏側でいやなものも蓄積されていたことに今になって気づいた」
つまり瞬時に、記憶の塗り替えがおこなわれているのだ。
少々いやらしいが、でも「パワハラ芸人を褒めるなんて現代社会ではできない」と考えること自体は、きわめてまっとうな神経である。

ここまでやらかしてしまうと、上沼恵美子、今年のM-1にももはや呼ばれないだろう。
だが、ハラスメントに関しては極めてファジーな意見の持ち主、松本人志が、強く呼びそうな気もする。この人はお笑い至上主義であり、ウケたもん勝ちの哲学。
「梶原よりも上沼さんが正義」であるという、お笑い力学にのっとった確固たる信念がある。
だから暴走気味にそこまで話が進んだうえで、最終的にエミちゃん側から身を引く結末になるのではないかな。

なんだか私も、「前々から上沼恵美子はおかしかった」みたいなスタンスを採用して、書き綴った格好になってしまった。
記憶を塗り替えてはいないけども、事件から生じる不快感は、やはり限りなく大きい。
自分自身の過去の見解にこだわりすぎて、不快感を黙殺するのだけは避けたい。

作成者: でっち定吉

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