古谷三敏「寄席芸人伝」のご紹介。
非常に面白いマンガであるのは繰り返しお伝えしているところであるが、紹介すると面白さの伝わらないエピソードも多そうで、そろそろブログで紹介するのも打ち止めだと思っていた。
ところが不思議なもので、日々落語を聴く生活の中で、各エピソードが勝手に膨らみを見せ始めるのです。
今日は第5巻から<第70話 模型の小圓寿>。
師匠、三遊亭圓寿とそっくり、ただし師匠のセコいときにそっくりの「セコ圓寿」こと、小圓寿。
「圓寿師匠、今日は調子が悪いねえ」と、楽屋の仲間まで間違えている。そっくりなのに、当代随一の師匠と比べ、まるで評価をされない小圓寿。
師匠のおかみさんまで、「湯屋番」を稽古中の小圓寿を、圓寿と間違える。
師匠、圓寿からも、「どうしていつまでもなぞってばかりなんだ。なぜ自分の字で書かねえんだ」と今日もお小言。
一計を案じ、「厩火事」作戦で、わざと小圓寿に壺を割らせ、破門にしてしまう。
仕掛人の師匠に相談に行き、ほとぼりが冷めるまで上方へ行けと言われる小圓寿。
ウケるためならなんでもするという、上方の桂梅団治師に草鞋を脱ぎ、「湯屋番」の稽古をつけてもらう。
「ウドンに湯かけたような、まずうて食われへん芸」と梅団治のダメ出し。
若旦那の「うふふ。行きましょう」の「うふふ」を、精一杯好色そうにやれとアドバイスする。
一年後、東京に帰ってきた小圓寿。梅団治に仕込まれたおかげで明るい芸に変わっていた。
先日紹介した「箱入り」と同種のテーマである。箱から抜け出すのも、師匠の枠から抜け出すのも基本は同じこと。好きで師事している芸から離れるのも難しい。
「寄席芸人伝」を一貫して流れるテーマは、現在の境遇から抜け出す噺家の努力だ。この努力の中身がよくわからないのがちょっとした不満なのだが、珍しくこのエピソードにはアンサーがある。
ちなみに、噺家をひと皮剥かせるため罠にはめる、というエピソードも、「寄席芸人伝」にはくりかえし出てくる。架空の借金を背負わしたり、太鼓持ちの弟子にさせたり。まあ、こういうのも江戸っ子の「シャレ」なんだろう。
先日亡くなった柳家喜多八師も、師匠、小三治にそっくりな時期があり、相当に悩んだそうである。
喜多八師も、自分の芸風を見つけることを強く求められていたが、もがいていた。そこでどうしたか。もういいや、似ててもいいや、開き直っていこうと決意したのである。
そうすると、不思議なもので「似ている」とは言われなくなってきた。
喜多八師は、小三治師の「暗さ」に惹かれて入門したそうで、「暗さ」という点では最後まで共通項はあったと思う。だが、確かに似ている芸風でもない。
人間国宝の師匠という、巨大な重しの中、見事独自の芸風を確立してみせたのである。