「柳家喬太郎のようこそ芸賓館」から、落語以外の捨てがたいトークをご紹介します。
前回、鶴光師をご紹介したが、今回も大御所。「柳家さん喬vs.柳家権太楼 二人会」から。
《二人会について》
・さん喬
落語協会の渡辺さんに言われた。
「これからの落語界を背負っていくのはあなたがたふたりです。だからもっとメジャーになってください。私がプロデュースして二人会をやりますから」
まだ40代前半の、真打になりたての頃。喬太郎師が入門した頃。
・権太楼
(喬太郎に)楽屋辛かったでしょう。正直に言ってごらん、あの頃。さん喬さんはピリピリしてたから。ピリピリするのが面白かったね。
まずネタを覚えなきゃいけなかった。ぱあぱあ喋って、行ってきます、という会話は楽屋にない。
自分のネタ、いったいどうなっちゃうんだろうという不安だけ。さん喬師は神経質だし。
二人の間での連絡はない。ぶつからないように調整はしてもらう。
自分が「居残り佐平次」を出したとき、さん喬さんが「らくだ」を出した。あとふたつも、ちょっと長めだった。
終わったのが10時半、11時頃ということがあった。
客が、クラクラしちゃって。お腹は減るし。
・さん喬
乱暴したね。噺がくっついても関係ない。俺たちはどう違うことができるか。芸の上での喧嘩に近いことをよくした。
(喬太郎)
今は鈴本さんでも夏の10日間、お盆興行がありますが、大変じゃないですか。
・さん喬
大変です。権太楼さんは幅を心得る人。トリがさん喬だと「今日は50分くらいだな」と時間的なことはちゃんと配慮する。
俺はダメ。準備して喋らない。段取りよく、とか考えないでそのまま高座に上がる。また長くやっちゃって悪いことしたということが多い。
(喬太郎)
イメージからすると、さん喬師がきっちりしているほうだと思われています。
でも、弟子からすると、本当は逆。
・権太楼
そう。俺は出た瞬間からすべての計算をしてオチまで行くように、マクラから緻密に作る。それが90%までできていないとやらない人なのよ。
さん喬さんは、全然違うパターンを持ってきて、どうするつもりだと思っちゃう。途中から変わって、こないだと違う噺になる。ちゃんと仕上げる。よくできると思う。
・さん喬
勉強になるのは、権太楼師の芸は緻密でないようにみえるところがすごい。本当はすごく緻密。
《さん喬師の「幾代餅」を終えて》
(喬太郎)
「幾代餅」は、そんなに昔からやってらっしゃらないですね。
・さん喬
20年くらい前からかな。それまで古今亭の噺はあまりやらなかった。
・権太楼
どなたから?
・さん喬
圓菊師匠。ぼくは、古今亭の噺は全部圓菊師匠から。
《二人会を始める前》
・権太楼
世間様では対等ということになるが、前座時代は全然身分が違っていた。俺が入ったころ、さん喬師匠は立前座。
まあ、その頃俺は寄席に出ていなかったが。
・さん喬
前座の頃から権太楼師は売れていた。私どもには、「タレント」だというイメージがあった。
今までの、自分の枠にない噺家。これで落語? みたいな感じ。
一緒にやってみると学ぶことがたくさんある。「馬には乗ってみよ、人には沿うてみよ」というが、人間、遠ざけているとなにも身に着かない。権太楼師と一緒にやっていなかったら、噺家としての今の私はないと思う。
・権太楼
同じ柳家だけど、異質同士で色は違ったはずだ。これが同色ぐらいの人とやっていたら持たなかったと思う。
リレー落語をよくやった。「子別れ」とか「文七元結」とか。
リレーの打ち合わせはなにもなし。人物名と、お金の額だけは合わせる。
・さん喬
袖で先に出る権太楼師のリレー噺を聴いている。
「長兵衛、こうやってんだ。俺の長兵衛と違う。俺の長兵衛をやっていいか、いけないのか」と思いながら上がる。これが勉強になるんだ。
後半は前半を踏襲していなけりゃならない。「どうだ俺の後半」ではだめ。
羊羹だとして、二人が食べても同じ味でなければいけない。でも、基本的な味だが俺は塩をつけたい。まったく同じ羊羹でも、まったく違う羊羹でもダメ。味を変えずに塩味を加える。
***
《五代目小さん師匠について》
・さん喬
誰もが言うように、包容力のかたまりみたいな人。なんでも包み込んでしまう。当人は優しくしているつもりはない。恩着せがましい優しさはない。
大しくじりして、「お前なんか破門だ」と言われたことがある。前座の頃、楽屋の偉い人に誘われて、無断で旅に行ったので。
おかみさんがとりなしてくれたが、台所でしょんぼりしていた。
そこに師匠が二階から声を掛け、「小稲。着物たたんどいてくれよ」
どれだけ救われるか。
ほかにも弟子が大勢いるのに、自分に頼んでくれた。言葉では何も言わない。あえて小言を言った相手に用を頼むことで許してくれる。
・権太楼
大しくじりで叱られたとき「長短の短七っつぁんと同じセリフだ」と思いながら聴いていた。
俺の下に三寿ってのがいて、これのせいでよく叱られた。でも、本当は自分が原因のしくじり。頼むぞ、と言って寄席に行ってしまったり。
三寿がその件で引っぱたかれて、その後師匠は寄席に来る。「本当はアタシです。すみません」と謝るが、「テメエか」とは言うものの、すでに怒りを発散したあとなので、師匠もそんなに怒れるエネルギーがない。
三寿には頭が上がらない。
・権太楼
つばめ師匠は、アタシにしてみたら神様。すべてに尊敬できる人、あらゆる点で人格者だった。
私が5年間前座やっていて、5年目に亡くなった。立前座くらいのときに、おじいちゃん(大師匠)に引き取られた。
自分の主軸にしていた師匠が亡くなって、どこを頼ったらいいんだろうと思ったが、大師匠は大きかった。黙って見てくれていた。
「いいよあんなの」と言われたらいいよあんなので終わっちゃう。
・さん喬
権太楼さんは外様といえば外様だが、一門すべて、そういう意識では見たことがない。
師匠は、外様も内弟子も分け隔てなく接していた。むしろ、預かっている弟子についてのほうが思いが強かった。ちゃんとした弟子に育ててやらなければと思っていたはず。
・権太楼
小さん師匠は仏陀。
仏陀は自分の亡骸はまつるなと言った。
師匠は、いろんなタイプの人間にいろんな、それなりの教え方をして、自分の芸・教えを広めていった。
(喬太郎)
お正月に、小三太兄さんの頭を、大師匠が引っぱたくのを見て、他の弟子の方々が「いいなー、小三太」とうらやましがっていたのを見ました。
・さん喬
小のぶ師匠が、一門の集まりにはあまり顔を出さなかったがパーティーに出てきていた。
帰りに師匠が、「おい、のぶさん、たまには顔出せよ」と小のぶ師匠の頭をポンと引っぱたいた。
小のぶ兄さんが、「師匠に頭ぶたれたあ」と嬉し泣きしていた。
《権太楼師の「猫の災難」を終えて》
・権太楼
難しい噺。
師匠の噺で易しいっていうのはない。この噺みたいに、ストーリーがないのは難しい。
五代目小さん、というより人間「小林盛夫」だからできている「間」というものがある。それをなぞったってウケない。でも、省いたら醍醐味がなくなってしまう。
***
《お互いを評して》
・権太楼
とにかくマジメで、気を遣ってくださる。驚くほど目配り・気配りのできる師匠。
30年近くやって、ふたりで打ち上げしたことは一度もない。
・さん喬
二人会の帰り、一緒に帰ったこともない。
まわりからみると、とっても二人は理解しているように見えるけど、理解していないんじゃないか。
べたべたしない。だから続いたんじゃないか。
俺と権太楼師匠とは、芸のつながりであって、私生活のつながりではないんだってこと。
友達ではない。ライバルだ。喧嘩仲間だ。
・権太楼
でも仲間だ。
・さん喬
小さん一門の仲間だ。
(喬太郎)
左龍と喬之助は、仲間というより友達になってしまっていますので気を付けないといけません。
《若い噺家にメッセージ》
・権太楼
「落語会をやればなんとかなる」という了見が気に入らない。若い頃にそんなのだけで生活できていると思ったら大間違い。いろいろ習いに行って、営業に行く。もっといろいろなことに挑戦しないと。もっと貪欲にやってごらんよ、と思うね。。
「落語に精進しろよ」とは言うんだけど、「ぼくはいいです」は物足りない。
・さん喬
「落語を一生懸命やっていれば、権太楼みたいになれる」と思っている。
それは、余興の有無とかではなくて、プロセスを知らないから。落語だけやって、権太楼師匠になったと思っている。
権太楼師匠だって、いろんなことをやって身に着けて、落語の肥やしにしてきた。
落語だけ一生懸命やるのは大事だけど、いろいろと、落語についた「うろこ」も大切だ。
・権太楼
もっと冒険してもいいと思う。
冒険しなくてもエリアができてしまっている。
・さん喬
振り返ると昔のほうが貪欲だった。先輩から手を差し伸べてくれるのを待つということは、あまりしなかった気がする。支援してくれる人が、パトロンという意味ではなく、大勢いたのも事実だが。
権太楼師はどちらかというと野武士。道場の剣士より、命を懸けている野武士のほうが強い。その違いはあると思う。昔の人は野武士だった。
(喬太郎)
視聴者以上に私が楽しませていただき、勉強させていただきました。