落語聴いて面白くなったやつは、いない

いつものようにネタ探し。
落語のニュースを探していると、ひとつ引っかかった。

清塚信也、落語でトーク力磨く「移動中はずっと聞いている」 “絶対に退屈させない”とプライド

清塚信也氏にネガティブな印象などなんら持っていないのだが、「落語でトーク力磨く」にとても違和感を覚えた次第。
清塚氏のトークが面白いからといって、どう考えても落語のおかげじゃないでしょう。
たぶん順序が逆。
商売としてトークを活かすことを、一つの体系(「道」と言ってもいい)と捉えたときに、喋りの体系があることに気づいた。
それだけのことだと思うけど。
落語に気づいたのは、清塚氏がすでにトークを極めてきた人だからである。
日々落語について書いている私だが、外の世界から必要以上に落語を持ち上げるのを見て、ずっこけることがある。

落語というものは実に楽しく、人の心を豊かにしてくれる素晴らしい芸能であり、総合芸術である。それについて疑問はない。
だが、お笑いやトークといった、切り取った側面に特化して眺めてみれば、それほどたいそうなもんじゃない。そんな気もすぐにしてくる。
実際、マクラを一生懸命語り、まるで面白くない噺家がどれだけいることやら。
そういう人が、ひたすら落語がヘタというわけではないのだ。でも、スタジオフォー巣ごもり寄席あたりで40分の高座のうち20分マクラを使って失敗されたら、目も当てられぬ。
ツイッターでいつもドヤ顔で政治風刺に挑みスベりまくっている、実質失業落語家の痛いありさまを見てもわかること。

お笑い芸人もよく落語を語る。
語るのは売れている人だけ。売れない人は語らないし、出会ってすらいない。
売れるようになって初めて、「お笑い」と近いようで別にそびえる山の頂点が見えるようになったのだ。
といって彼らが落語からなにかを学び、本業に活かした歴史などあるようには思えない。

私も幼少の頃から落語を聴いているが、それで自分自身が面白くなった経験などありません。
子供に落語を聴かせることは悪いことではない。でも別にクラスの人気者にはなれない。
寿限無をそらんじれば褒めてはもらえるにせよ。

痛い落語ファンが笑点を毛嫌いする、その深刻な矛盾について当ブログではしばしば書き記している。
どう考えていっても、笑点大喜利は落語と別種の笑いではない。極めて近しいものである。
そして笑点は、お笑い好きからずっと馬鹿にされ続けてきた存在。
笑点を見たお笑い好きが「落語なんてあの程度」と言う際、落語ファンは笑点を切り離し、自己の趣味をあんなのとは違うと弁護してきた。
お笑いの観点から見れば目くそ鼻くそだ。

東京落語と近しい浅草漫才も、ここに来て急激にブレイクしているが「お笑い」とは別の頂点だったと思う。
落語と一緒に漫才も楽しんで聴いていた私の幼少期の印象でも、やはりお笑いとは別ステージだったイメージ。
とても様式美の強い世界だった。
落語と同様、様式に浸るための努力を聴き手が必要とするイメージを、子供心に持っていたと思う。

お笑い界は、落語界よりはるかに生き残りの大変な世界。
そんな尊敬すべき彼らが、落語を好きなのは構わないのだが、落語からお笑いを学ぶなんてねと、ちょっと失笑気味に思うのである。

おととい取り上げた柳家喬太郎師は、珍しくストレートな笑いの技法をたっぷり持っている人。
正蔵師とのトークでも、噺家とは思えない、ベタなお笑い技法を使いこなしていた。
もちろん魅力はそれだけじゃない。私なんか師の人情噺が大好きだったりするのだけども、新作落語に濃厚に見られるお笑い要素が好きな人は、かなり多いはず。
あれだけの技法があれば、お笑いの世界に出ていっても何でもできそうな気がする。
でもきっと師は、自分の位置づけを恐ろしく冷静に分析しているに違いない。
落語界にいるからこそ、お笑い技法がフルに活きるのだ。外の世界で互角に勝負できるようなものではないと。

喬太郎師の落語を聴けばわかることだが、落語においては「お笑い」もまた、料理における出汁の一種類みたいなもの。
人情であるとか、夫婦愛であるとか、そんな要素も出汁として混在している。
一種類の出汁は、落語の目的ではない。目的は楽しいお話の世界に我々を引き込むこと。

今池袋の主任を取っている三遊亭遊雀師も、お笑いの要素はなかなか強い人。
でも、即物的な笑いをぶっこんでくるわけでもなく、やはり落語だとしか形容できないものを語っている。
マクラも確かに爆笑なのだが、あれだってやり過ぎたら高座が壊れてしまうのであって。
勇気があるから手前で止められる。
この点は、「すべらない話」で爆笑を取っている芸人たちにはできないかも。
もちろん、役割を重視し、あえて引き気味の語りをする器用な人がいるだろうことも理解はしているが。

遊雀師のマクラから、じらし方や緩急、声の上げ下げといった、技巧派投手みたいなトークスキルは学べるかもしれない。
でもトークスキルを学ぶとしたら、マクラだけで完結して許される「すべらない話」のほうがむしろいいんじゃないでしょうかね。

この記事を否定してしまった続編。
落語聴いて役立つことも、ある

 
 

作成者: でっち定吉

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