せっかく朝の更新に戻したのに、もう挫折しているのであった。
月末の仕事は片付いたので、早く落語に行きたいな。
昨日の喬太郎師の記事、誤字満載で恥ずかしいです。直しましたけども。
今日はネタがないので日本語の話でも。
リンク先の内容とは別に関係なくて、見出しで用は済んでます。一応張ってはおくけど。
「1ミリも・・・ない」という表現、昔からあったようだが、最近よく見聞きする。
ナイツのツッチーがよく使っている気がする。
私は使ったことがないですね。
ネットで検索すると、嫌いな人が多いらしい。新しい表現が嫌われるのは、それはまあ当たり前。
語呂はいいので私は別に不快には感じないが、しっくりとも来ない。
なんでミリなんだ、といちいち疑問に思ってしまうからみたいだ。
「1ミクロンもない」という言い方もある。
最近では、河井案里事件で当時の甘利税調会長が「私は1ミリも関与しておりません。もっと正確に言えば1ミクロンも関わっていません」と述べている。
よく考えたら、「1ミリもない」のも「1ミクロンもない」のも、ないものについて述べている以上、正確性については同一ということになるんじゃないですかね。
ちなみに関西人は、「いちみりも」の「り」だけ上げて読みそうな気がするのだが、どうでしょうか。
「み」を上げて読む人もいますか。
それはさておき。
自分では使わないこの表現が、急に脳裏によぎった。
「こんな批判、1ミリも刺さらないぜ」
珍しく、コメントではなくツイッターでもって、当ブログへの批判が飛んできた。
「某噺家と師匠を批判してるのは良いんですけど、家族を想定して笑い者にしてるのはあんまりイケてないとおもいますね。」だって。
コメント付けても無視されると思ったからではなく、ヘビーツイッタラーの行動様式みたい。
ともかく、この際自分の脳内表現が面白いなと思ったのである。
多少意地を張り気味に、自分の内心に生じた動揺を止めたいとき、「1ミリも・・・ない」という表現がハマるわけである。
恐らくこの使い方が基本系。まったく動揺がないときは、たぶん使わないのである。
今回批判されたその中身は全くピンと来ないのだが、批判であるから動揺はするわけだ。
こうしたとき、ちょうどいい表現が見つかったのだった。
最初に挙げた高木美帆選手の使い方は、応用系かもしれない。ここには強い否定はない。
あるいは、後悔があって当然という状況の中で、自らを奮い立たせるために否定を入れたのか。ならば従来の使い方と同じだが。
噺家さんはこの表現使ってるだろうか。ちょっと調べてみた。
「用意したボケ全てが1ミリもウケないことはたまにあって」だそうだ。
この立川吉笑さんのコラムは、笑点の記事のときに引用させていただいた。
ブラックモンブラン食べましたら pic.twitter.com/tUr7Kth0w6
— 三遊亭らっ好 (@sanyuteirakko) July 16, 2021
無責任な兄弟子(実際には叔父筋)のヨイショツッコミに、「1ミリも思ってないでしょ!」と三遊亭らっ好さん。
エリート商社マンから迷わず落語家に転身。考えたのは「これをやらなかったら後悔する」だけ
入門を反対するお母さんの発言として、立川志の春師が語っている。
「あんたなんか向いていない。才能がない。サービス精神が1ミリもない、面白くない」
お母さんが本当に1ミリもって言ったんでしょうか?
志の春師の弟弟子、志の太郎さんのコラム。
「実際にお客様から『毎回手書きで偉いね』と言われた事がある。
もちろん私の落語自体が魅力的に越した事はないが、お客様の心を1ミリ動かす手段としては必要な事である。」
これはまた、見たことのない1ミリの使い方。
実際にミリメートルを距離として使ってはいるのだが、ただ比喩的表現であることは同じで、たぶん仲間だろう。
以上4パターン発見したのだが、3人が立川流というのはたまたま? あと1人が円楽党。
落語協会の人だと、新しめの表現を使う際に無意識にブレーキがかかるんじゃないかなんて想像したりする。
日本人だったらミリじゃなくて、「1厘も・・・ない」でどうでしょう。
1厘は0.3mmなので、ミリより短いし語呂も悪くない。距離では使わないけど「3割3分3厘」なんて、割合表現では現役だし。
まあそのうち、師匠が前座の弟子に向かって「お前さんの落語なんてお客には1ミリも期待されてないんだ。しっかり喋ることを心掛けなさい」なんて教えるようになったりして。
キロキロと ヘクト デカけた メートルは デシに追われて センチミリミリ