以前書いた記事。
「落語を聴くとトークスキルが高まる」という過剰な期待に、ちょっと冷水を浴びせたくなったのだった。
落語を聴くと心豊かにはなれるが、聴いた人間が面白くはなれない。面白くなるために落語聴こうとするなんて、本末転倒。
本心からそう思っていたので書いた記事。
別に落語への悪口ではない。そもそも落語に対し、過剰な笑いを期待するもんじゃないのだ。
だがその後、新たな仕事を始めた私、なんと落語が役に立ってしまったのだった。
それも、自分で否定した「笑い」の点において。
最近流行りの「スカッと」系の仕事である。
まあ、流行っている認識のない人も多いだろうけど。特におじさん方は。
比較的年配の女性を中心に、人気のジャンルなのだ。
Googleポータルなどではコミックエッセイ等の形で無数に取り上げられている。
私みたいに愛読している人間のポータルには多数表示されるが、まるで興味のない人の場合、ほとんど表示されないだろうけど。
でも、私もそうであるように、男性でも年齢を問わず好きな人も多いはず。
主人公はほぼ女性。姑の嫁いびりや、旦那のモラハラ、義姉や義妹の嫌がらせ、非常識に常に悩まされている。
その状況を、作戦を駆使して逆転し、スカッとする。
まあだいたい、最後は離婚し、慰謝料をガッポリもらうのだ。
さらに、復讐相手が社会的制裁も受け、落ちぶれて泣きついてくるところまでがお約束。
偉そうな男や、ひどい姑がひどい目に遭うストーリーは、実は男性の共感も得られるものなのだ。
年配女性が、嫁いびりの嫁のほうに肩入れしてスカッとしているというのも面白いじゃないか。
逆に、トンデモな息子の嫁を成敗するストーリーもあるが、その本質は年齢性別を超え一緒なのである。
ところで当でっち定吉ブログはたぶん、男性の読者が大多数を占めるはず。自分でも、そんな雰囲気を濃厚に自覚している。
たまに女性が来たと思うと、メンヘラだったなんてこともあった。
そんな私が、よそで女性を楽しませる仕事をしているのも愉快だ。
ストーリーを起こす仕事ではなく、私の仕事は校正作業である。
「てにをは」や誤字、明らかな文法の誤りを修正する機会は、実のところはさほど多くない。現代人の多くは、一定水準の文章ぐらい書けるのだ。
だがリズムがちょっとだけ悪かったり、説明が不足していたりあるいは過剰であったり、展開が足りなかったりすることはある。
現代の社会の仕組みでは成り立たない状況が描かれていたりもする。それを補足する。
そしてそれ以外に、最重要だと私が考えているタスクがある。「笑い」要素を足すこと。
もう、これには100%落語が活きる。
落語の笑いは、爆笑を狙うものではない。ユーモアが漂い続けるというのが理想。
もともとよく仕上がったストーリーに、笑いをスパイスとして足してやるのが私の仕事。
クスグリを軽く入れてやることで、ユーモア指数をかさ上げするのだ。
強烈なギャグは通常は入れない。ギャグが話を壊してしまうのは避ける。
ただ、たまに展開に合わせてギャグが必要不可欠になることはあり、そんなときは遠慮なく強いギャグをブッこむ。ストーリーに役立つギャグならいいのだ。
敵役が、おやじギャグを言いまくる寒い人なんて設定があれば、そんなときは喜んでつまらないジョークを入れ込む。つまらないほうが面白い。
スカッと系にも人情噺があり、よくできた感動作は評価が高いが、これにギャグなんかもってのほかだ。
あくまでも、ささやかにクスグリを仕込んでいく。そうすると、話の前半、主人公が辛い目に遭う状況が乗り切りやすくなる。
ストーリー的には辛さをちゃんと感じつつも、それを楽しむ側の心中にまで突き刺さらないようにするのが理想だ。
落語でしょ?
落語から学んだことは他にもある。
ストーリーの肝の部分が、都合のいい設定になって上がってくることがある。
たとえば主人公が、実は権力者の孫であり、その力を使って相手に復讐するとか。
あまりにも不自然な状況で都合のいい人に遭遇するとか。
そういうときに、無理に自然さを持ち込もうとしなくてもいい。
主人公の独白として、「こんな偶然なんてオドロキ!」とかつぶやかせておけばいいのだ。
偶然の状況を、エンターテインメントの受け手と一緒になって驚くと、少々の不自然な状況は飲み込まれてしまう。
これは、「転宅」から学んだのだ。
人のうちに上がり込んだ泥棒と一緒になる女なんていますか?
でも、転宅の泥棒、その状況を「ほんとかよー」と飲み込んでしまうのだ。
ご都合主義を避けたいとなると、肝の据わった女、お菊がすでに泥棒と接点があったとか、理由付けをしなければならない。
それは大変なのだ。
「庖丁」もそうですね。狂言を仕組むために上がり込んだ男と、追い出されるはずの女ができてしまうという。
不自然な状況も、飲み込ませれば真実になる。
最近書いたばかりだが、ねづっちの舞台の進め方も参考になる。
ねづっちは、「自分自身が舞台に上がった際のやりとり」をメタギャグに昇華させている。
これが、「つまらないギャグに対しどう反撃しようか考える私」に活きるのである。
世の中、役に立たないことはないですね。
落語に感謝。