昨日、祝日の21日は「福袋演芸場」に行きたかった。
旗日の昼席開演前にやっている、池袋演芸場の企画ものである。
今回は柳家花飛、林家きよ彦の両二ツ目の作った新作落語5席を、5人で演じたという。
ふたりの作者も演じるが、自作ではなく、もうひとりの作者の作った落語をやる。
面白そうだったが、締め切りがあるので断念。
花飛さんは新作を作るんだな。まったく知らなかった。
二ツ目の中では数聴いている人なのだが、私にとっては古典の珍品の上手い人。
とはいえ古典落語をやるにも創作力は必要。最終的に古典メインでやる人であっても、新作を作るのは非常にいい経験となる。
この代表が、いつも名前を出してるが、白酒、わさびといった人たち。
おかっぱ頭、女性のきよ彦さんは新作派のホープ。この人からはすでに楽しい新作を聴いている。
前座の頃はもちろん古典だが、それも上手かった。
ただ、この会がハイレベルなものであったとは思わない。あくまでも実験の場である。
出した5席の新作落語のうち、繰り返し練り上げて寄席でも出せるようになるのは、1~2席ではないかな。
別に、行けなかったからといって負け惜しみで言っているわけではない。そういうものだということ。
朝から池袋演芸場に集まった新作好きの人も、マイナス点も含めて楽しんでいたのではないか。
そして、年寄りが多い。
新作落語の会だと若い人が多いのかというと、まったくそんなことはない。
理由は簡単だ。現在の落語界において、新作落語は落語の上級バージョンの位置づけにあるからである。
ぶっ飛んだ新作は若い人のほうが好みそうだが、そんなわけで実際には、若い感性も持った年寄りが好んで聴くものとなっている。
世間が落語に抱く漠然としたイメージとは、恐らく逆だと思う。
同時代を描く新作落語は、とっつきやすそうだと思っている人が多いかもしれない。
だが、落語をあまり知らない人が新作から聴くとする。
クラシックなら多少わかる人がいきなりフリージャズを聴こうとするような、なにをどう楽しんでいいかわからない状態になることがあるようだ。
いっぽう、ずっと「落語」を聴いてきた人にとっては自分の中に聴く態勢が整っていて、違和感がない。
中には新作落語に対し強い拒否反応を示すファンもいなくはないが、多くは古典落語に対する慣れによって、そのまま新作を楽しむことができる。
新作落語を拒否する姿勢は、古典落語も楽しめないことにつながるだろう。
古典落語にだって「そんなバカな」は無数にあるのだ。
先日取り上げた笑福亭羽光師のエロ新作は、むしろ落語初心者を獲得する仕掛けになっているようにも見える。否定はしない。
だが実のところ、師の新作は古典落語で描かれない文学的領域にまで伸びている。
だからこそ松喬師など古典派の先輩たちが、賛辞を惜しまないわけである。やはり応用編なのであった。
日曜日に無料のイベント「ちよだ猫まつり」で百栄師の「バイオレンス・スコ」を聴いてきた。
座席の後ろで立って、整理券をゲットしたファンの姿を眺めていたのだが、ポカンとしていた人が結構目立った印象。
整理券をもらったということは、自分の意思で聴こうと思ったのだろうが、そんな客でも無料の会だとこの程度。
それでも、古典落語だったら恐らく付いていけたと思うのだ。
バイオレンス・スコは難しい噺でもなんでもない。
2頭の野良猫が、餌場の縄張りを巡って争うという、猫ギャング落語。
猫好きだったらすんなり世界に入れそうなのに。
世には猫を擬人化した物語が無数にある。そういった物語に入り込めないなんて話は聴かないが、落語だとそうでもないらしい。
この点、幼少の頃から古典も新作も等しく聴いている私にとっては、なぜ入り込めない人がいるのか、それがピンと来ない。
想像するしかないのだが、「猫のギャングどうしの会話」が頭に描けなくて先に進めないのかもしれないな。
でも、そんな人だっておうちで猫ちゃんと会話してるんじゃないの?
新作しかやらない決意をしている古今亭駒治師も、鉄道落語を始めた途端にポカンとしている客がいることを語っている。
寄席で「鉄道戦国絵巻」など聴いていて、外したのを見たことがないので実に不思議である。寄席の外でもだ。
鉄道戦国絵巻の登場人物は、「路線」である。東急池上線が新幹線などJR軍に捉えられるという、非常に抽象的な噺。
たまにこんなことを考え、新作落語の未来について不安に思うこともある。
でも、新作が古典の応用編にある状態も、恐らくこれでいいのだろう。
落語界は、古典落語により若い人を集めていく状態を維持していけば当面大丈夫だ。今の若い人は、ことさらに伝統に嫌悪感を感じる姿勢を持っていないので、昔の文化風俗が好きなのだ。
そういう人が、スムーズに新作に入っていく。なら大丈夫。
こんにちは。
わたしも古典落語から入った若い人のうちの一人です。
わたしは地方に住んでいるのでむしろユーチューブで自ら探そうとしない限り新作落語に触れる機会がほとんどありません。
わたしは落語を聞こうと思ってからから古典と新作という分類があることを知り、まずは古典落語を聞いて落語に慣れてから新作落語を聞くという流れで古典も新作も好きになっていきました。
いらっしゃいませ。
そうですね、新作落語はなかなか寄席や落語会に出向かないと拾えないですね。
出るとして演芸図鑑でしょうか。
といいつつ、寄席では比較的、万人ウケするのをやってます。ディープな落語会に行くと、なんじゃこりゃというのもやってますね。
私は寄席で流れる新作も好きですね。また、古典っぽくてですね。