開口一番、前座のごはんつぶさんの落語「女子高生の設定」は、サラリーマンの休日出勤から始まる。
午後から出社の部長を待ちつつ、文句言いながら仕事するふたりの30代独身社員。
社員Bが社員Aに、今度合コンあるから行こうと声を掛けるが、社員Aは乗り気でない。
相手は女子大生だと言われても、反応薄い。
誰だったらいいんだよと社員B。俺はなんといっても女子高生だねと社員A。
門限とか校則とか、縛りのある中で楽しんでいるのがたまらないね。女子大生なんて、自由過ぎて何の関心もない。
女子高生はダメだ! 興味あるのはわかるけど、犯罪になるぞ!
違うんだよ、俺は確かに女子高生好きだけど、性的なものじゃないんだ。女子高生文化のすべてが大好きなんだ。
お前にだけ教えるけど、俺、実は女子高生なんだ。
マクラがここで伏線として機能する。
社員Aは、女子高生が好きすぎて、自分は本当は女子高生なんだけども、男のサラリーマンとして日々仕事をしているという設定を作ったのである。
これも古典由来だよね。
好きなものを言い合うマクラでもって、「俺は女、好きだあ。もう、俺が女になりてえや」というやつ。
「女子高生が好きなので女子高生になりたい」は、ここから思いついたに違いない。
古典を知り尽くし、新作をも研究し尽くすごはんつぶさんの見事な創作力。
そして東京の新作落語がすごいなと思うのは、こうしてサラリーマンの日常世界に、大きな飛躍をぶち込んでくるそのさま。
上方の場合、日常のままで終わることが多い。それが全般的な好みであろうこともわかるのだが、日常では漫才との勝負になってしまうから分が悪いと思う。
ごはんつぶさんは、伏線を回収して世界を作り上げると、あとは非日常を描く。
クスグリも選りすぐられていて実に楽しい。
部長がようやくやってきて、女子高生の本質を現した社員Aと、結構楽しそうな社員Bがやり取りしているのを見つける。
この先、サゲまでが思い出せない。まあ、覚えていても書かないけど。
いきなり前座から爆発の池袋演芸場。
三遊亭ぐんま「うしみつであそぼ」
三遊亭ぐんまさんは、2020年、コロナが始まったころの池袋で前座を務めていたのを激賞して以来である。新作の一門だが、古典が上手く面白くて。
二ツ目に昇進したら「群馬」になるだろうと思っていたのだが、ひらがなのままだ。
鈴本の配信で、座布団相手にレスリングの投げ技を仕掛けていたのは観たが、そちらの印象はそれほどない。
満員のお客を見て、でも少ないときもありますと。
故郷・群馬の上信電鉄に乗っていたら、おじいさんと二人きりだった。無理やりなつなげ方。
このおじいさん、いきなり走る電車の窓を全開にする。窓の外に手を伸ばしたと思うと、その手には柿が握られていた。
実話ですとぐんまさん。
そこから自作の新作へ。
「うしみつであそぼ」というタイトルらしい。
噺の中身はすばらしいが、演題名に関してはどうかな? 私がタイトル付けるなら「夜の遊園地」ですね。
師匠もそう付けると思うけど。
心霊スポットを求めて深夜クルマを走らせる男。道が行き止まりになったと思うと、いきなり電飾がまたたき、そこは夜の遊園地。
男は東京から来たので知らないが、おいおいわかってくる。そこは昔人気のあった遊園地「カッパピア」の跡地。
福岡のスペースワールドや、としまえんなどクローズした遊園地から遊具を集めている、もと遊園地。
場内キャラクターの「三木マウス」にガイドするよという声を掛けられるものの半ばは捉えられ、深夜の遊園地の遊具に無理やり乗せられる男。
扇子二本出してきて、これで三木マウスの耳を描写。
大師匠の円丈リスペクトであろうか。
パクリキャラの三木マウスは、本家と同様高い裏声で語る。
ぐんまさん、ずっと裏声で落語を続けて、最後はもう出なくなっていた。
落語の場合、声を使い分けるのはよくないとされているのだが、声自体がギャグの場合は特に問題ないというのが私の考察。
としまえんの「アフリカ館」にいた男たち(偽アフリカ人)に無理やり遊具に載せられる主人公。
その際得意のブリッジを客に見せて、大喝采。
高座を跳ね回る噺家。
実によくできた噺である。師匠・白鳥イズムも感じる。
ただ、結末ですべてを解決してしまうのではなくて、二三あえて整合性の取れないままにしておくといいのにな、なんて思う。
プロに対し上目線で創作にケチを付けているわけではない。客の私はそういう作品を喜ぶのになという、主観に基づく建設的意見です。
小説でもそうだが、謎が明かされた後よりも、不可解な事象のほうが印象強いですからね。
ブリッジの際に頭髪が床に触れたので、そこを手でぬぐってから高座を去っていく愉快なぐんまさんでした。
まだ二ツ目が終わっただけ。
新作フルコース、狂乱の池袋はまだまだ続く。