入船亭遊京「粗忽長屋」@神田連雀亭

土曜日の連雀亭ワンコイン寄席へ。
目当ては久々の入船亭遊京さん。
つ離れしていて盛況。

初めて聴いた(正確には前座のときに聴いているのだが覚えていない)トリの人に大きな不満が。
圧が強すぎる。
三平を思い起こした。
三平と違って、ひとりの芸人としてのアピールがムダに強いわけではない。そこは控えめな人。
でも声を張りっぱなしなのでくたびれる。講談だってそんなに張りっぱなしでは疲れてしまう。
戦線離脱。高座の噺家と向き合うのをやめてしまい、あとは終わるのをじっと待つ。
マクラもつまらないしなあ。
予想外のメリハリがあると客は笑う。一本調子はキツいぞ。

二番手の笑福亭茶光さんは上方落語の「米揚げ笊」でなかなかよかった。
ただ、オンライン芸協らくごまつりに関する楽しいマクラを含めても、明日一日分のネタになりそうにない。なにしろマクラの主たる部分は、トリの人についてのエピソードだし。
今日は遊京特集です。

トップバッター、期待の遊京さんはさすがでした。また上手くなっている。
この若手に目を付けている人は私以外にも多数いるとは思うが、まだまだ世間の大多数は気づいていない気がする。
面白くて上手くて軽い。所作もいい。過剰なギャグには走らないが高度なユーモアのセンス。
洒脱な噺家だ。入船亭に流れるDNAをすべて引き継いでいる。
学歴なんかに頼らなくても、扇子一本でどこでも勝負になる。
もっと聴かなきゃ。
マクラも、爆笑路線じゃないのだけど実にほどよく笑わせてくれる。
ついでに言うと、苦み走ったいい男。いい男なのだが、それでやる噺に制限が出るような面構えでもなく。

今日は昼席にも出ます。でもまあ、皆さんお帰りでしょうけどね。私がそちらの立場でも帰ります。
昼席には瀧川りしゅうさんという人も出ます。鯉に舟と書いて鯉舟ですね。
前座のときは鯉さくと言ったんです。鯉に、長野県の佐久で鯉佐久ですね。出身は秋田なんで、長野じゃないんですけど。
二ツ目になるとき、故郷の一文字取って鯉秋にする予定だったそうなんですが、「飽き」に通じるのでよくないということで今の字になったそうです。
この鯉舟さん、私によく似てるんです。前座の頃楽屋で年鑑広げていたら、一之輔アニさんが、「こいつお前に似てるな」というので、それ以来意識しています。

楽しいマクラだが、面白さは伝わらないと思うので省略します。
ネタの中身より、洒脱な語り口がよく、どんな話題でも楽しい世界に連れていってくれる。
ポンコツ鯉舟から、粗忽に話を持っていって、「まめでそそっかしいのと、ずぼらでそそっかしいのがいますようで」と粗忽長屋。

開口一番で粗忽長屋か。でも、トリが不発だったから大きめのネタで結果非常に助かった。
難しい噺の筆頭であるが、実に気持ちのいい一席であった。

粗忽長屋のなにが難しいか。
なにしろ粗忽な野郎が、死んだ奴本人を連れてくる噺。
そんなバカなという噺だから、客が脱落してしまう。それも結構簡単に。
粗忽なふたりのやり取りを楽しく描くのは、それはそれは大変なのだ。

この噺に、いろいろ細かい工夫をする遊京さん。とっととまたぐらくぐって前に出るとか。
古典派なのだが、噺をいじる感性が新作派の古典落語に似ている。
古典落語派も、新作をやることで創作力が身につくというのが私の見立て。新作をやらないまでも、新作の方法論を使うことで古典落語が活きてくる、そんな例。

とはいえ細かい工夫は、噺を大きくいじることには使わない。
全体に漂う柳家のムードのほうを大きく感じる。
粗忽のふたりを、周りから見て楽しく描くのは難しい。
遊京さんは、町役人はいじらない。でも、いじらずに二人組を浮き立たせる。
多くの噺家は、どうやって町役人をいじるかに腐心するのだが、発想がまるで違う。
シチュエーションに着目するのではなく、登場人物の気持ちの変遷に焦点を当てる。言うのは簡単だが、実に難易度の高い技を軽々こなしていく。
ギャグもそんなに強調しない。「生まれたときは別々だが死ぬときは別々」なんて、実にさらっと。それが面白い。

人間心理に迫り抜いた結果、意外とうたぐり深い熊の野郎がついに自分の死を受け入れたとき、そう持っていった八っつぁんに拍手したくなるぐらい。しないけども。
サゲもちょっとした、しかし見事な工夫だが、これは書かない。
大きな拍手で送られていました。

遊京さん、最近は阿佐ヶ谷あたりでよく名前を見かける。
連雀亭の夜席(貸席)でもよく会をやっている。また行きたいものだ。

作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. 入船亭は人数はともかく、ほとんどハズレがない印象があります。以前も書いたかと思いますが、かつて扇橋を聞いたときから好印象で、その印象が扇遊師や扇辰師にもしっかりDNAとしてつながっていることも感じられますし、基本を崩さずにやってくれるので、個人的には、疲れないなあと。遊京さんも、ちょっと間が開いてるので、この記事見てまた聞きにいきたくなりました。

    1. いらっしゃいませ。
      たぶん遊京さんは、将来の噺家設計がすべてできているんだろうと思います。
      面白い人なので、もう少し爆笑落語にも持っていこうと思えばいけるでしょう。そして、それは響くでしょう。
      でも、そういう噺家が目標ではないのでやらない。そんな感じに思えます。

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