おかげさまで昨日もアクセス100突破でありがたいことです。
だが、ネットの怖さを改めて実感するちょっとしたニュースがあった。
世田谷区役所が、区の仕事を委嘱した漫画家に、因縁をつけた件はご存じでしょうか?
漫画家らしく、顛末をマンガにして、ツイッターに掲載したところ大反響となった。
このような場合の典型的な事例で、区役所職員も早速特定され、保坂展人区長が謝罪する羽目になっている。
区役所の職員の仕事っぷりがとんでもないという評価に異論はない。罪もない漫画家に、自分のミスを転嫁しようとしたのである。
こんな奴が首になろうが(そうそうならないけど)知ったことではないし、むしろ首になるべきだと思ってる人が多いはず。
だが冷静に考えてこの職員、本名から顔、出身地まで特定されるほどの悪事を働いたのであろうか?
「悪事を働いた」と断言できる人は幸せな人だ。残りの人生、悩まず送っていってください。
自分がそちら側の立場にまったく行かないという自信は絶対にあるか? 人生において、そういうピンチなくリタイアまで行った人や、社会に出ていない学生がそう思うのはいい。
だが私は、運次第で、容易に区役所側に行ってしまうことにまったく疑問を持たない。
世の中には「不条理」という言葉でしか表現できないことがたくさんある。
なにも、この職員が上と下の板挟みでトンデモな行動をしたと善意で解釈してやりたいのではない。
不条理な状況により、悪事とされる側に廻ることはざらにあるといいたいのです。もっとまともな人でも、ハタから見たら大差ない状況になり得る。
お天道様に顔を向けて仕事ができるよう、肝心な部分を引き締めて仕事することは重要だ。コンプライアンスともいう。
だが、ちょっとした弾みでそこからは容易に転落する。
区役所の当の職員、今回の件を「ちょっとしたこと」と認識していたなら愚かだ。しかし「ちょっとしたこと」で人生転落の危機に陥るというのも、行き過ぎなのではないでしょうか。
とはいえ、漫画家さんに対して、ネガティブな感情は一切湧いてこない。
それはなぜか。怒りの告発が、コンテンツとして面白い内容だったからだと思う。
漫画家としての、能力をつぎ込んで世間に告発した結果、正当性のまったくない相手に対して100%の勝利を収めた。おめでとうございます。
優秀なコンテンツは権力なのだ。
私も、ブログのアクセスが増えるのを喜んでいるだけではいけない。徐々に権力が集中してきているということを、今回の事件でもって自覚するに至った。
「あの噺家、ヘタ!」なんて軽々しく書けたもんではない。
ところで私が気になるのは、漫画家さん、職員の社会的生命まで抹殺するつもりでマンガ描いたのだろうか?
それぐらい怒っていたとして、当事者の立場では無理もないと思う。だが、そこまでの結果になることまで受け入れた、つまり自分の権力を認識した上で描いたかどうか?
認識して、あるいは想像して描いたのならそれでいいと思う。
たたそうでないなら、マンガ、SNSという表現方法を使ったのはどうなんだろう。
区役所に対して、しっかりと異議を唱えたらそれで済んだのではないかという気もしてならない。その対応がひどかったら、それこそマンガの出番。
このたびの役所の非礼に対して、司馬龍鳳事件を思い出したのは私だけではなかったようだ。
しかしあの件の場合、一宮市役所の非礼については早々に決着がつき、その後は偽物落語家を巡る騒動になってしまった。
今回の件と違うのは、司馬龍鳳に権力がなかったこと。権力を得る正当性に欠けていたというべきか。
司馬龍鳳、その後名前変えたの知ってます? 落語協会員で、名古屋在住の三遊亭歌笑師に師事(苦笑)し、三遊亭なんちゃら(忘れた)の名をもらっていたことを最近知った。
ところが、今探したら見事に痕跡がなくなっている。改名した事実も、師匠についた事実も、存在ごと綺麗に消えてしまっている。
なんだったんだろ?
こういう、人に対するネガティブ情報も、よく考えて発信しなければならない。
(訂正/改名した司馬龍鳳のその後についてはよく探せば見つかります。世間から注目されていないので見つかりづらいだけでした。すみませんがあとはご自分でお探しを)