冒頭、一升の酒をグイと飲み干す芸者のエピソードが入っている。芸はせず、酒を飲んでひっくり返って高いびき。
ちなみに小燕枝師、「高いびき」の発音は、「タ」にアクセントが来る。「東海道」と同じだ。なんかいいなあ。
ネタ出しの試し酒はポピュラーな演目だが、丁寧な描写が実に楽しい。もちろん、ベテランの師匠には、気負いなどまったくない。
誰の試し酒を聴いても必ずチェックするのが、思案のため外に出ていった久蔵が戻ってきたとき、ちょっと酔っているかどうか。
もちろん、小燕枝師の久蔵、ほんのちょっとだけ酔ってました。この先のストーリーを知らない客が、気づかない程度に。
先代小さんは、客に分からなくても演者の了見としてちょっと酔っているべきだと説明していたそうで。「五代目小さん芸語録」より。
五升飲めるかの賭けに負けたほうの旦那が、さほど悔しそうでないのもいい。鷹揚なのだ。
旦那は、五升の酒を飲み干す化け物を目の当たりにして、さぞ嬉しかったんだと思う。そういう世界観が好き。
そして久蔵の人物造型もたまらない。権助提灯の権助とほぼ一緒で、実はそんなに弾けるキャラクターではない。でも、二人の旦那をしっかり風格を持って描くと、勝手に久蔵のほうが弾けて見えるのである。
そんな作り方なので、非常に面白いのに、下品ではないのだ。
1杯目、息を付かずに飲み干すところで、見事な飲みっぷりに中手を入れたくなるのが人情であろう。だが、黒門亭の客はいつも本当に中手を入れない。
どうしようか悩んでいたら結局誰も入れなかった。
1杯目で入れないのだから、見どころの5杯目も入れない。この噺、見事なあまり1杯目で中手を入れてしまうと、描写されない4杯目を除くすべてで拍手が義務化されてしまう心配もある。
そういう作法を見ると、さすが黒門亭と言いたい気もする。だが、いっぽうで黒門亭の客、自意識の塊みたいなところもある。
サゲに掛かると拍手が早い。この日は特に。
先日、フライング拍手を糾弾したところ複数のご賛同をいただいた。フライング気味の拍手はやはりいただけませんな。野暮です。
俺は噺を知ってるぜ了見を、まず捨てて粋になりましょうや。
客のことはいいや。
小燕枝師、4回描写される飲み分けがとにかく丁寧である。
都々逸もまた、品がある。都々逸をそらんじているときの久蔵は、下卑た田舎もんではないのだ。それもまたカッコいいではないか。
そして、平気でズルズル飲んで行くわけではなく、5杯目には、結構「ウグ」みたいにしくじりかけていて、スリル満点。
師のちりとてちんを思い出した。
ともかく、やはり私は小燕枝師が大好きだと再認識したのです。
また黒門亭、それから下谷神社の「柳噺研究会」でぜひ聴きたいものだ。
ちなみに、小燕枝師がインフルエンザをまだ持っているわけではないけど、私帰ってきてちょっと体調悪くしました。
あの狭い空間で、演者さんの息を正面から浴びていればまあ、こういうこともある。文句は言いません。