国立演芸場19 その3(桂文治「唄入りお血脈」)

「唄入りぜんざい公社」みたいなタイトルにしてみましたが、この演題は私が勝手につけたものです。念のため。
国立演芸場の公開ネタ帳では「善光寺の由来」になっていた。だが、石川五右衛門が出てきた以上、サゲまで行かなくても「お血脈」にしたい。オレが演題決めたっていいじゃないか。

仲入りの文治師は久々。昨年聴いてない。
でもこの師匠の席、出かける検討だけは日ごろからずいぶんとしている。練馬をはじめ、小さな落語会を数多く開いている人なので。

私の師匠は先代ですね、桂文治と申しまして、ピグモンとチワワとグレムリンを足したような、身長が1メートルぐらいの人といつものツカミ。
師匠が亡くなってずいぶん経つので、「若い人はご存じないでしょうが」という断りが入るようになった。
師匠はかつて「歌丸師匠に毒を盛られ」て亡くなったのだが、歌丸師没後は「小遊三師匠に暗殺され」に替わった。
今回さらにまた替わって、ヨネスケ師匠に暗殺されたことになっている。
ヨネスケ師匠がYou Tubeの活動のおかげで、芸協内での地位を急速に上げたことがうかがえるではないか。いや、参事でもともと偉いんだけど。

(※ ピグモンでなくてガラモンです。おんなじだけども言ってるほうを拾わなきゃ)

とっとと噺に入る。ということは地噺。源平盛衰記か、お血脈だ。
どのみち脱線漫談なので、マクラを振る必要はない。披露目にも向いた明るく楽しい噺。

仏教伝来を紐解いて、「アタシの落語はラベルが違うの」。
芝居に行ってしっぽりなったら全部ウソだった、夢だったなんてのとは違うと小痴楽いじり。
今日はトリまで含めて相互高座いじりが多かった。
噺家相互の高座いじりはもともとあるけども、芸協では遊雀師の影響が大きいのではないかな。

「丈」(たけ)の説明から、つながりのごく薄い円丈ネタにも進む。
生前は地方でよく一緒だった。楽屋では静かなのに、高座に上がると人格が変わる人。
ここはこの日の客にはウケてなかったかな。

お血脈の本筋とどうつながるのか思い出せないが、寄席に来る政治家の話。
森喜朗はよく来ていた。来た際は楽屋に、「森喜朗元首相来場。いじらないように」とお触れが出る。
「Who are You?」「Me Too.」なんてネタはやっちゃいかんという意味。
今では金沢に住んでいるあの方は、落語は好きでした。ただ、落語の悪い影響で、マイクを向けられるとなにかサゲを付けずにはいられないんですね。
それから小泉進次郎議員もよく来てくれました。さん喬師と仲がいいんですね。
でも小泉さんは最近来ないの。結婚してから。
家帰ったらナイスバディのクリステルがいるんだもの、そりゃこないでしょ。同じタキガワでも瀧川鯉昇が待ってるのとは比べられないでしょ。

それから講談いじり。
1万5千の兵と言えばいいものをとにかく大げさ。「5千に5千、また5千の軍勢が」。

ともかく脱線続きの本編はようやく、善行寺のお血脈に話が進む。
地獄は人が来なくなってさびれ、針の山には今やアパホテルが建っている。
プーチンでも連れてきましょうか。ほっといてもいずれ来るからいい。

お血脈を盗み出すため、石川五右衛門を抜擢。
五右衛門はいまだに京の五条河原で茹でられてます。
その五右衛門、頭に手拭いを載せて悠々と湯に漬かっている。
「あの人の姿懐かしい黄昏の河原町」と「京都慕情」を歌う五右衛門。

手拭いを載せた文治師が、京都慕情をフルコーラス。ノリのいい客は手拍子。
楽屋からは太鼓が入り、そして紫色のスポットライト。小すみ師匠の高座と同じ方法論である。
一番を熱唱して拍手をもらい、そして二番へ。
途中でやめて「誰か止めてよ」。

楽屋も、別に打ち合わせてはいないようだ。文治師だって毎日出てるわけじゃないものな。
立前座の南太郎以下、見事なアドリブ。

文治ワンマンショーであった。同郷の市馬師と、同じ協会の桃ちゃんの影響でしょうか。
本編のほうは熱唱から先どこかに行ってしまったが、ウケたところで下りりゃいいのです。

ちなみに、「桂平治の噺の穴」(お血脈)も面白いのでご参考に。
昔のサイトなのでスマホだと見づらいですが、スワイプで拡大してください。

この日の後ろ幕は、「柳」と「雀」。
東海大学OBより寄贈のものだ。
高座返しは講談の神田紅希さん。

披露目の口上に続きます。

 
 

先代文治

作成者: でっち定吉

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