しばらく休んでいない当ブログ、当然今日もなにか書く。
特に昨日で、披露目の連載を終えたところだから、新たなネタがいる。
しかし大事件があって、落語のことなど軽く吹っ飛んでしまった。
いやだねえ、テロリズム。
安倍元首相という人、決して好きではなかったが、殺されていいなんてことは思わない。
ご冥福をお祈りします。
今日の記事、コメントは承認しません。
反論も同意も要りません。
私だけでなく世間を含め、このようなデリケートな題材、扱いがとても難しい。
ただ、地雷がどこに埋まっているか想像するのは、当たり前の人間には決して困難ではない。
- 死者に追い討ちを掛ける
- 「自業自得」との意見を含む論評
- なんらかの喜びを込める
- 極論(犯人を死刑にしろ、など)
あいにく、こんな内容を筆任せに書くようなことはまずない。
共感されない内容、共感できてもそこに特殊なつながりしかない内容をとうとうと書くのは愚かだ。
そもそも、上記の事象、ひとつも思っていないもの。
文化人や元政治家の中に、上記1~4、それぞれ言いそうな人が思い当たったが、いかにも該当しそうな鳩山元首相は、今回はまともなコメントしてる。
今後出てきそうだけど。
共産党は嫌いなのだが、非常事態においてのコメント(志位、小池)は、ちゃんとしていて感心する。
石原慎太郎死去のときも、社民党と違い失礼な言動はなかった。
暴力革命の理念を捨ててない結社ではあるが、むやみな政治テロに肩入れするなんてことはないのだ。
東京選挙区から出馬の現職参院議員、線路立ち入りでおなじみの山添拓もちゃんとしている。
彼らは少なくとも「死んでいい人間」や「死んだ方がいい人間」を切り分けることはしない。
れいわ新選組から出馬している水道橋博士も、まともなコメント。
だが文化人気取りの左翼噺家ときたら。
れいわ新選組とともに共産党を応援する(そんなこと可能とは思わない)立川談四楼はやはりそういう人だった。
時系列的に事件を知ってからのツイートが、「憲法9条を守って、武器ではなく対話で平和な世界を作っていきたい」という吉永小百合の引用であり、「#誰一人見捨てないれいわ新選組」である。
まあ、今回の事件で自民党に票が集まり大勝するという見込みは誰でも思う。与党念願の改憲も近いという連想が働いたんだろうけど。
立川雲水は沈黙。ヘタレめ。
直前までツイートしていたのであり、忙しいわけではない。だいたいほとんど仕事ないんだし。
相手がかつて、大炎上した原因を作った相手。
この件はこちらに書いた。
立川雲水ついに本格炎上(上)
「あのときは失礼なことを言って申しわけありませんでした。どうか無事を祈ります」と書けば、多少は株が上がるのだけど。
基本的に、人に乗っかることしかできない男なのがよくわかる。だからこそ馬鹿にされる。
ラサール石井もやらかしそうだなと思ったのだが、ツイートは案外まともだった。
と一瞬思ったが、よく見ると地味にやらかしている。
「犯人に対して様々な憶測がとぶが、危うい状態だ。けして差別的な推測をまことしやかに流布してはいけない。」
いやだからさ、「差別的な推測がまかり通っている」ことを、まき散らすのはどうなのさ。
自分は違うと思っているインテリ文化人のやらかしがちな罠。結果的にデマに加担しているわけだ。
問題は、私の好きな噺家のひとりが、こんなの書いてること。
近い将来こんな目に合うなぁ思ってたけど思ってたより早かったなぁ。。
— 三代目橘家文蔵 (@emonkake_b) July 8, 2022
これはダメでしょ。もともとヤバめの人ではあったが、それにしても雲水よりヤバいのは致命的だ。
私は特定の思想に基づいて人を叩いたり、逆に褒めたりしてるわけではない。「死んでもいい人」を切り分ける連中の仲間ではないのだ。
だからこそ通常好きなほうの人であっても、この機会にかえって吊し上げるぐらいしておかないと。そう思う。
好き嫌いで評価を切り分けると、卑怯に感じるわけである。嫌いなサイドの人たちのやり方だ。
意志に基づく犯罪が現にあったのを、不運な災難のように語るからいけない。
今月池袋下席、文蔵がゲストの「小ゑんハンダ付け」に行くのはやめよう。
いや、もうファンやめるか。寄席に行くといつもいる人だから避けづらいのが難点だけど。
知床の沈没事故の後「今年は船徳はできないのでは」という意見を見た。実際どうなのだろうか。
当時は書けなかったが、今ならいいかと思う。「板子一枚下は地獄」というフレーズを思い起こした。
「兵庫船」「野崎詣り」などに出てくる。
今回も封印されそうな落語をひとつ連想したが、今は書かない。
参院選が終わると、現職議員が亡くなって欠員が出るから山口3区で衆院補選が行われる。
やはりアッキーが出るんでしょうか・・・