小辰さんは、前座噺にしてはたっぷり、25分程度やっていた。
続いて爆笑トークの主役だった春風亭一蔵さん。
この人が40分ぐらい使っていたか。正直ちょっとくたびれた。
つまらないわけじゃない。この高座が文字通りの寝床とまでは言わない。
マクラも各シーンも、実に楽しいのだ。ただ、全体を見たときに疲労感が半端ない高座。
この日、久々のこの人に期待してやって来たのである。
真打の披露目も、3人のうち、まず一蔵さんのに行こうなんて思っていた。
一蔵さん、方法論がまるで間違っているわけじゃないと思う。
部分部分のいじり方に、兄弟子・一之輔と近いものを感じる。既存の価値観、既存の古典落語テキストをちょっとゆすぶってやろうという。
だが、一之輔師で疲れることはない。
既存のテキストをゆすぶり爆笑にする工夫は、その反作用として必ず客に疲労感を与えるらしい。しかしながら、最初から疲労感を与えないでいる一之輔師の天才ぶりがまたひとつわかった。それは収穫だが。
伊勢のほうで、落語ワークショップに呼ばれた一蔵さん。
オトナの学校寄席みたいなものだと。
なので落語のカミシモの振り方が、芝居の花道に由来していることなど懇切丁寧に説明。お蕎麦の食べ方など。
コロナ禍であり、600人の会場に客10人。
桃太郎の小噺をやってみる(しばを刈らずにくさかった)。今度はお客にやってもらおうと。
そうしたら客はいずれもやる気満々。いきなり桃太郎ではなく、「花咲かじいさん」の小噺を始める着物の女性。
別の男性は、所作をやりますとどんぶりをすすり、「太いねー、こいつはいい伊勢うどんだ」とアドリブまで。
後で聞いたら、みんな地元に来る上方落語に教わっている人たちなんだと。なら言ってよ。
とまあ、効果的に振れば実に楽しく機能するはずのマクラだが、この時点で正直うんざりしてしまった。
バランス悪いのだろう。
クスッとする程度のマクラ(それが悪いなんてことはない)を、一蔵さんの強い圧でやると、実にバランス悪い。
そして旦那の声がとりわけひどい寝床。
最大の工夫は、長屋を回ってきて報告する繁蔵が、ちょいちょい旦那に逆らうところ。
露骨に逆らうんじゃなくて、ひょいとタメグチがでたり、舌打ちしたりという、現代的なアレンジ。
この工夫が、奉公人たちが陰で聞えよがしの嫌味を言うあたりにすんなりつながるのは見事だ。
それから、「店立てはもういいが、あたしは今日は語らない」と口を開く旦那に対し、繫蔵があっさり「じゃ、長屋の皆さんに伝えてきます」と素直なのを、旦那が止める。
昔ながらの年寄と現代的な若者らしい、その関係性はよくわかる。
だけど。
普通にやる寝床のほうがずっと面白い。これはちょっと致命的な欠陥。
私は本寸法マニアなんかではない。新作も改作も、面白古典も楽しく聴く。
でも、面白古典は本当に難しいなと。落語自体がよくできているのにいじるのだから、実に簡単に元の素材を殺してしまう。
繁蔵の工夫ぐらいでは、失った要素に足りない。
寝床は大ネタだから、たまにしか聴かない。
ただ、今までいいなと思った寝床はみなシンプルで軽かった。
この、自分の趣味を人に聴かせたい、普遍性の高い造形の旦那をアレンジするのはとても難しい。
鈴本いじり(いつも同じ噺家が出ている)とか、師匠一朝いじりも入っていた。
サゲは普通のもの。
仲入り休憩後は、急遽呼ばれた春風亭朝之助さん。
開演直前に、後ろから一蔵さんが、「そろそろ開演です。続いては朝之助さんの爆笑高座です」と声を掛ける。
私はこの人、なんと2018年以来。
ずっと気に掛けていた人だ。ただ、神田連雀亭に出ない二ツ目にはなかなか巡り合わないのである。リニューアル前は一蔵さんともども出ていたが。
本当に、兄弟子に昨日呼ばれたんですよと。
明日空いてるって訊かれて、披露目の関係だと思ったんですね。そうしたらこんなことに。
もともと今日は自分の仕事があったんですが、折からの第7波でなくなってしまいました。
家内に報告したんです。明日ピンチヒッターで仕事が入ったよと。
誰の?と奥さん。
市弥さんのだと答えたら、「あなたに務まるわけないじゃない」。
ネタは近日息子。
上方では最近流行っているようだ。実際この翌日、桂二葉さんがなみはや亭で見事なものを掛けていた。
東京ではやや珍しめ。
故・喜多八が掛けていたイメージ。あとは金原亭か。
だが、違和感が。
真ん中に出てくる「そうとも言う」という知ったかぶり男で盛り上げておいて、あとはさらっと流す軽い噺。私はそう思っている。
これがもう、「そうとも言う」男ももちろんだが、全編に渡って力が入りまくり。
私の知っている、ベテランみたいな朝之助と全然持ち味が違う。
若いんだからもっと躍動的な噺をしないととでも言われたのだろうか。
なんだか、一蔵アゲインみたいな感じ。
またしてもくたびれた。
私の敬愛する、ブログにもしばしばそう書いている一朝一門の、その中でもいい噺家だと思っていた二人を一挙に失った感じがする。
もともと聴く頻度の少ない人だけに、披露目に行く意思も失ったとなると、今後果たして取り返せるだろうか。
いっぽうで、しまいのほうの弟子である一花、朝枝は、決して上に惑わされないのだなとまた評価が上がる。