神田連雀亭15(三遊亭らっ好「明烏」)

仕事の締め切りを抱えつつ、気分転換に神田連雀亭へ。電車で行って、1時間落語を聴いて、すぐ帰る。
月曜のワンコイン寄席は、ギリギリつ離れしない客数。
目当てにしていた昇羊さんも決して悪くなかったのだが、この日はとにかく、トリの三遊亭らっ好さんの明烏が圧巻だった。
その、冷めやらぬ興奮を書き記したい。
先月も亀戸で聴いた前座噺「子ほめ」に感動した。2席併せて判断すると、らっ好さん「化けた」のだと思われる。
私はしばらく、化けたこの人を追いかけたい。好楽一門恐るべし。円楽党恐るべし。
二ツ目になってまだ2年半の、キャリア浅い人なのだけど。

三遊亭らっ好「明烏」

明烏は、吉原がなくなってもなお人気の演目である。
廓をパラダイスとして描く珍しい噺。吉原をしっかり楽しく描いている噺は案外少なくて、他には「木乃伊取り」があるくらいじゃないか。
どちらかというと、吉原は落語では怖いところ、または欲求不満の溜まるところ。
明烏は現代に残っているが、廓の経験者のほうはほぼ絶えている。演者の年齢にかかわらず、どこかに座りの悪さはある。
聴いてるほうだってわからない。
そうなると、架空の世界が舞台の新作落語と実はそれほど変わらない。
演者の役割は、どんな世界であれ、そこに生命を吹き込むことだ。
侍が存在しなくなっても、侍の噺はできる。それと同じこと。

誰の、どの明烏を聴いても感じることだが、若旦那はだいたい子供として描写される。
でも書物を数多く紐解いているインテリの若旦那なら、たとえ世間知らずであっても、むしろ一般よりも大人びていそうな気がするのだけど。
本当に子供のままの人だったら、親父もわざわざ吉原に行かせる意味などないし。
古典落語を裏から支えていた時代のリアリティが、消滅しかかっていることのひとつの現れなのだろう。それを嘆いても仕方ない。
だが、らっ好さんの若旦那はひと味違う。
ひたすらピュアなのである。子供と一緒に太鼓を叩いて遊ぶのは、別に精神的に未成熟だからではない。もちろん与太郎だからでもない。
ただピュアな人なのだ。そういう若者だから、一夜にして吉原にハマりもするのだろう。
花魁がしゃなりしゃなりと歩くのを見ながら、たちまちにしてここが吉原であることを悟る賢い若旦那と、騙されて吉原に連れてこられるピュアな若旦那との間に、なんのギャップもない。
同じひとりの人間として、きちんとつながっている。
これ、結構すごいこと。

らっ好さんマクラでは、ピュアな人の例として好楽一門の後輩、前座のはち好さんを登場させていた。
好楽一門では、直弟子も、らっ好さんのような孫弟子も、同じ一門としてほとんど区別されないようだ。それはなかなか珍しいことではないか。
はち好さんは、引きこもりを経て好楽師の弟子になったという変わり種である。
らっ好さんが、どうして噺家になったのかはち好さんに訊くと、「人気者になりたかったから」。
なんでも質問してくれと言い残しておくとはち好さんが質問してくる。「アニさん、前座のうちは女の子と付き合っていいんですか」。
それぞれちょっと違うんじゃないかとは思いつつ、ピュアなはち好さんの魅力を見出すらっ好さん。
らっ好さん自身は、同じく好楽一門のとむさんが「よいしょ太郎」のマクラで褒めていたが、ヨイショがとても上手いらしい。豊かな表情からもうかがえるが、非常に世慣れた人のようだ。
世慣れていて人当たりがいいから、明烏の源兵衛、太助もすぐにできるのだろう。
だが、ウブで可愛い若旦那、時次郎の了見も内面にちゃんと大事に持っている人だと思う。
時次郎については、裸のらっ好さんが、札付きの源兵衛と太助については、世慣れて演技の上手いらっ好さんがそれぞれ担当するのだ。だからどちらも生き生きしている。
楽しい登場人物が活躍する、らっ好さんが作りあげた架空の吉原に、私も混ざりたくなった。
「二番煎じ」のような食欲増進落語において、食欲をそそられるのとほぼ同じ感覚。

先月、古今東西のテキストと寸分たがわない子ほめでもって、私をいたく感動させてくれたらっ好さんであるが、もちろんそれだけの人ではない。明烏についてはかなりの工夫がある。
高い演技力でもって、圧倒的な世界観の構築に成功しているという一番のポイントに比べると、工夫の数々は些細な努力かもしれない。でも、些細なほうだけでも私を感動させるに十分である。
たとえば源兵衛・太助が、実は大旦那にお籠りを依頼されたのだと打ち明ける場面がない。
あ、いらないんだ。考えてみると確かにそう。意外なところが削れるものである。
そして甘納豆。甘納豆は、女が来なかった部屋でもって情けなくかじっているのではない。若旦那の部屋で、自分の部屋のものとは違うふっくらしたのを見つけるのだ。
そして、若旦那が花魁と布団に入っているのを眺めながら、甘納豆をかじる源兵衛。
「汲みたて」のワンシーンから持ってきた? クスグリを関係ない噺から持ってくる「つかみ込み」はご法度なのだが、明烏と汲みたてが同じ寄席に出ることはまずないので構わないだろう。
先代文楽で有名な甘納豆、このリスペクトとして、すばらしい使い方だと思う。
「お籠り」というフレーズを思い付くのは大旦那。源兵衛・太助は若旦那からこれを聴いて感心している。
独自ギャグも結構入っていて、お稲荷さんの鳥居が黒い理由は、太助によれば「黒く塗ったから」なのであった。

山吹色の着物に黒紋付で、宴会の場面でパッと羽織を脱ぐらっ好さん。形も見事でした。
ひとつ注文をすると、比較的役割を明確にしている源兵衛と太助のキャラをそれぞれ強化し、完全に描き分けたらもっとパワーアップするのではないでしょうか。
描き分けに成功している明烏など、私が聴いたことない前提での注文です。チャレンジする人すらいないかもしれないが、らっ好さんならきっとできる。

らっ好さんは長崎大学出身(中退)。オチケンでは随分活躍したらしいが、オチケン臭さは皆無。
むしろ、高卒の落語マニアではない入門者が、真っ白な状態からなにもかも吸収した結果のような噺家である。

春風亭昇羊「長短」

神田連雀亭ワンコイン寄席、冒頭に戻ります。
ひょっとすると芸協一じゃないかとすら私は思っている、マクラの楽しい春風亭昇羊さん、この日も楽しかったのだが、いつもより練れていなかった気もする。
芸協の若手は、毎日やっている草津の寄席に上がれる。みな一泊して日記を書くのだが、この次に上がる伸べえさんの日記がいつも面白い。
紹介したいのだが、本人に止められているとのこと。差し支えない範囲で紹介するものの、差し支えなさすぎて昇羊さんも認める通りまったく面白くないのだった。
どこかのTV局の企画で、プーさんの実写映画について2分でコメントする仕事の話。2分だけだとあらすじ紹介で終わってしまいかねないので工夫をするのだが、ディズニーの検閲は厳しい。
プーさんのモノマネを入れたら、ディズニー基準を超えているのでダメと言われたそうで。
あと、プーさんとプー太郎を掛けたギャグを入れてみたら、絶対やらないでくれと言われたと。
そこから、いろんな人がいると、自分でも強引なつながりだと認めつつ長短へ。
聴くのは二度目。前回も連雀亭で、この噺のマクラに兄弟子・昇吾さんのネタを聴いたのだった。私、それをきっかけに昇吾さん聴きにいったんだから。
長さんの饅頭食いが、よりたっぷりになりパワーアップしている。饅頭が喉につかえたのか、白目をむくシーンも。顔芸落語。
鳥山明が発見したというマンガのアイテム、「奥歯」を思い出した。ギャグ漫画の登場人物が口を開くと、上の奥歯まで描いてあるアレ。
昇羊さん、この饅頭食いのときに上の奥歯まで客に見せる。こんなことをやる人は他に知らない。

桂伸べえ「熊の皮」

この日の顔付けのように、知っている人2名と、知らない人1名というのは、結構いい。
好きな人ばかり聴いていると範囲が狭いまま。だからといって、まるっきり知らない顔付けで撃沈するのも嫌。
初めて聴く伸べえさんは、昇羊さんも面白がるだけあって天然系の人。
天然を自覚し、強化して作り込んでいる部分もかなりありそう。そうだとして、根がやはり天然っぽい。
天然系の噺家というのは、落語協会にしか思い浮かばないが、林家木久蔵、柳家喬志郎、林家扇兵衛といったあたりか?
昇羊さんもらっ好さんも、器用な人である。器用な人は芸の幅が広い。
いっぽう、天然の人というのは、客に当たるか外れるかが極端かもしれない。でも、同業者には得てして好かれる。
ミュージシャンズミュージシャンならぬ、ハナシカーズハナシカーだ。
私は、器用な人たちより天然系の人、要は与太郎のほうに、人間としてはずっと近い。だから、天然の人に親近感もある。
だが尊敬に値するのは器用な人のほう。すんなりファンになりやすいのも器用なほう。

先輩にマクラの相談をすると、失敗談を語ればいいんだよと言われる伸べえさん。
で、失敗談を語ってみると、オチがつかなかったりして、失敗する。失敗談で失敗するという新しいジャンルですと。
伸べえさんは、終始こんな感じの人。本編の熊の皮に入っても同じ。
明らかにこの世の秩序からズレた芸なので、おかしいのだけど、秩序からズレたことによるおかしさなのでスムーズに笑えないのである。
伸べえさん、明らかに楽しい人だし、この個性が熱狂的に好きになるファンもきっといるだろう。
それはよくわかるし、認める。同業者に好かれる点も非常にわかる。
だが、今の私にはちょっとキツいなあ。いささか笑うに困る芸です。
常識からズレている今の姿ではなくて、ズレを自ら作り出して出し入れできるようになったら、聴き込んでみたいと思う。

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。