トリは柳家小ゑん師。
例によってマスクの効果で美人のお客さんばかりといじり、こうやって鈴本でトリが取れるというのはありがたいものですと。
ファンからすると当然に思うが、ご本人からするとこんなに寄席に出づっぱりの生活は嘘みたいなことのようだ。
確かに10年前の小ゑん師は、SWAに隠れた新作派だった気もする。
入門時、師匠小さん宅のTVアンテナがズレてしまい映りがおかしい。電気屋の小せがれであり、たびたび家業の手伝いをしていた師にはお手のもの。
師匠に申し出て屋根に上がり、アンテナをいじってテレビを直し、師匠に感謝された。
その後もさまざまな師匠のためにアンテナ設置をしたり、電気器具を直したり活躍の小ゑん師。そのたびに、お礼として師匠方から稽古をつけてもらう。
評判を聞きつけて、談志の練馬の家に行ってステレオを直す。音が出ないからみてくれと。
本体は1階に、スピーカーは2階にあるのだが、配線を見るとハンダ付けが甘い。我々の業界(楽屋ではなく、電気業界)で言う、テンプラというやつ。
誰が付けたのか訊くと、小三治だと。勝ったなと小ゑん師。
今日はもう千秋楽なんで、お客さんのためではなく、自分でしたい噺をしますと断って拍手をもらう。
けわしい顔の井深会長が、森田専務と話をしている。会長、久しぶりの秋葉原はいかがでしたかと。
ああ、アキバぞめきね。師が一番やりたい噺はこれか。
フィギュア御家のご法度。デジタルは及ばざるがごとし。
マクラからちゃんと繋がっているのだ。
そういえば前の月に池袋で「二階ぞめき」を聴いたっけ(小平太師)。二階よりも、アキバのほうがメジャーな落語界。
アキバぞめきは、歴史的な作品だと思う。
なにがかというと、噺家が高座で客に理解不能なことをひたすら喋っても許されることを証明した点で。
マニア向けの落語会じゃなくて、寄席でやるんだからすごい。中には間違って古典落語を聴きにきた人だっているかもしれないのに(たぶんいないけど)。
オタク向けの素材でできた落語を語り、客と共有しない。なのに爆笑の一席ができあがる。
もちろん、作った当初寄席でやる想定なんかしてなかったと思うのだが、ファンが受け入れてしまうのだ。
鉄道落語なんてものも、そのひとつ。今や逆に、鉄道落語会に女性をはじめ、一般の落語ファンが紛れ込むようにすらなっている。
オタクを描けば楽しいのだ。
本家二階ぞめきだって、吉原オタクの噺である。
七段目や蔵丁稚は、芝居オタクの噺。
オタク落語も古典由来の伝統だったのだ。
基本的には小ゑん師は、客に優しい人。子供が客席にいればすぐにぐつぐつをやる。
そんな師だからこそ、客のわからない噺をやるのは勇気がいったと思う。
ちなみに私も、アキバぞめきで描かれる世界は弱い。
でも落語好きだから、師が噺の細部に仕掛けるフックに逐一反応するのである。
オノデン坊やとか。イモリの黒焼き屋なんて知らないが、昭和時代のある一面を切り取っている。
初めてアキバぞめきを聴いた頃は、「井深会長」と「森田専務」という固有名詞、もっと客に響いた気がする。
まあ、仕方ない。名前に心当たりはあっても、だんだん響かなくはなる。
世界のソニーかと思うと、二人の会社は世界のSANY。寝ていても記憶ができる「キオークマン」で成功した会社。
久しぶりに帰日して秋葉原に行ったのに、かつての電気少年の街はオタクの街になっている。
喬太郎みたいなブクブクの腹をした、メイドやAKBを追っかけるオタクどもの街。
アキバ熱で倒れる井深会長。
原典は寝床のギダ熱であろうか。
森田専務や若旦那が、隣の倉庫の二階に黄金時代のアキバをこしらえる。
ここから口調が急に古典落語になってしまう。森田専務や若旦那も、古典の口調になる。
全然わからないのに実に楽しい。ところどころフックがかかれば十分。
もちろん、この落語が100%理解できる人もいるそうだが。
アナログ抵抗器の、色と数字の関係なんて、わからないなりに面白い。
茶色は1で、覚え方は「こばやしいっちゃ」。
黄色は4で、「きしけいこ」。
金色は5で、「やなぎやきんごろう」とか。覚えてしまうものな。
二階ぞめきでは、若旦那が1人2役で女郎と喧嘩をする。
アキバぞめきでは、若かりし会長がパーツ店の婆さんと喧嘩する。
そこへ定吉が登場。なにしろ古典落語だからな。
やはり鈴本は楽しいなと。
特に今席、古典と新作のバランスがもう最高。持ち時間もしかり。
古典も新作も、みな落語だという、当たり前の事実を教えてくれる。
彦いち師や百栄師は古典もやるのに、寄席では新作縛りになってしまうのがやや気の毒だったりもするが。
願いがみっつ。
前座の枝平さんがオチケンを脱却できますように。
やま彦がちゃんと笑いに対する客観的視点を身に着けますように。パクリ創作もしませんように。
10月はまだどこへも行っていないが、それそろ始動します。
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