すっかり出遅れてしまったが、土曜日のキングオブコントは面白かった。
毎年水準が上がっていって止まらない。恐ろしい限り。
レベルにも優勝者にも不服はない。結果には納得がいく。
だが、本選10組のコントが進んでいく中で、いつになく嫌なものを感じた。これも確か。
今日一日、この嫌なものを解剖していきます。
一体なにか。
- 「ロングコートダディ」や「ニッポンの社長」など、近年のコント界を率いてきた芸人の脱落
- 審査員(つまり笑いのプロ)と世間の笑いに対する感性のズレが激しくなってきた
- にもかかわらず、お笑いのプロである審査員の評価が最終的には正しい(客観的に)
最初に断っておくが、自分の好きなコンビ(トリオ)が期待の評価をされなかったとして、私は不服を持ったりするおアニイさんではない。
実に気軽に審査に異論を付けるシロートたちと、同じ立ち位置にはいないことは強く断っておきたい。もちろん私もシロートだが、ふるまいぐらいはプロっぽくありたい。
今年も採点しながら観ていて、好きなコンビ等が出ていても客観的に点数を付けた自負もある。
M-1でもそうだが、審査の結果は、確立された大会においては神の意思ぐらいに感じている。不満を持つ感性自体、どこかへ行ってしまった。
今回のメンバーで、個人的に好きなのはネルソンズ。
ずいぶん前から注目しているトリオだが、なかなか頂点には立てない。
そしてM-1を含む、大会番組をきっかけにどんどん好きになっていったのがロングコートダディ。
ニッポンの社長はそこまで好きでもないが、よくなじんでいて、わりと好意を持っている。
この3組はもう、恐らく今後も戴冠できまいなと。それを思い知らされた。本選には出られても。
この人たちを好きだと思う感性自体、キングオブコントではもう評価されなくなる。
主観的には無念だが、客観的に確信した次第。
このチームたちの笑いのツボは、最初に提示された混乱を、ゆっくり収拾していく部分にある。
この感性は非常に落語に近いものだ。私が好きなのも当然なのだった。
だが、優勝したビスケットブラザーズ、それから3位の「や団」のコントは、混乱を拡大していく笑いなのである。
昨年のM-1で悪ふざけをしているようにしか映らなかった、ランジャタイも今から思うとそういうことだった。
拡大していく笑いが、徐々に世間を席巻しているのだった。
思えば、昨年の空気階段も実はそういう性質だった。
テーマ自体がわりと平和なため、むしろ落語との親和性を感じていて気づかなかった。空気階段も、混乱を拡大していく笑いの人たちだった。
M-1の錦鯉は、別に拡大はしていかないが、収拾もしていかない。
どうやら、混乱を拡大していく時代らしいよ。落語にはまだ入り込んでいないけど。
そして常にお笑いを考え抜いている審査員たちは、そういう感性を最初から持ち合わせている。
そこまではまあ、いい。
問題は、混乱を拡大するためなら、暴力ネタも気軽に受け入れる感性の持ち主ばかりだということ。
松ちゃんが最近のお笑いを取り巻く環境につき、常日頃から異議を唱えていることはよく知っている。
だが松ちゃんたち審査員全員が気づいていない(あるいは無視している)のは、世間の感性自体が常に動いていっていることである。私も世間と一緒に動いていて、その自覚を持っている。
動かないことを決意している(もちろんお笑いの感性自体は恐ろしく高い)人たちとの間の裂け目が拡大していく。
ああ、「誰も傷つけない笑い」ブームが世を席巻しても、プロは誰も笑い感性を変えていなかった。
私など、傷つけないで笑いが取れるなら、そのほうを好む人間。
最近「らくだ」を聴いても暴力要素が少ないものが多いが、私は当然のことと捉えている。聴き手あっての芸だから。
私は「混乱を拡大」と捉えたが、同じ要素を「狂気」と捉えた人が多かったと思うのだ。
でも、混乱を収拾していくネタの人たちだって、狂気はちゃんと兼ね備えている。ネルソンズもロングコートダディも。
狂気かどうかではなくて、暴力的な感性を気軽に取り入れる笑いが大会を席巻していった。
特に「や団」の1本目のネタは私の感性的に激しく嫌だったねえ。
3人の仲間のひとりが、もうひとりを死なせてしまったと誤解し、誤解を解く間もなく、死体を埋めようとエスカレートしていく3人目の暴走男。
引いた人、きっと多かったと推測する。
引いた人はお笑いをわかっていないわけではないのだ。ただ、なにをよしとするかという感覚が違う。
ビスケットブラザーズの1本目は、別に暴力ではないけれど、混乱の拡大の仕方が乱暴だなと。
ただ、ビスケットブラザーズも、や団も、2本目が終わる頃には好きになっていたのは幸い。
2本目は、設定に圧倒されつつも、どこかに安心感のある従来パターンのネタだった。
だが、特に積み上げ制で優勝の決まるキングオブコントは、1本目のほうがずっと大事。大事にしているほうが、混乱を拡大するタイプのネタだったのだ。
続きます。いろいろ事件があり、さらに6日後の続編になってしまいました。