圓歌パワハラ事件に関する認識のズレ具合に嘆息

春風亭一之輔師のラジオ「SUNDAY FLICKERS」のスピンオフであるネットコンテンツを聴いた。
これは誰でも聴けます。

SUNDAY FLICKERSの本放送は東京ではオンエアされていない。
最近radikoプレミアムを解約したので聴けないが、それ以前から聴かなくなって久しい番組。
当ブログで何度か書いているが、一之輔師がアシスタントの女性に対しパワハラ気味なので嫌になったのだった。鬼丸かよと。
一之輔師のニッポン放送「あなたとハッピー」は今でも毎週金曜楽しみに聴いているので、師のラジオ全般が嫌いになったわけではない。本業ももちろんだが。
ひと頃とても険悪に映ったアシスタントとの関係は、このスピンオフを聴く限りよくなっているようで、ホッとした。
まあ、私が変に感じたのもずいぶん前のこと。その後伊集院のラジオみたいな問題もない以上、長いスパンの一時のことだったのだろう。なかったことにはしないけど。

誰しもパワハラに走る可能性はある。相手によって、思わぬ資質が引き出されることだってあるから怖いのだ。
パワハラしている当人は、正当な制裁だと思っている場合もある。正当な制裁など果たして存在するかどうかはともかく。
リスナーである私が、パワハラを受け気味のアシスタントに対し、別の人だったらなと、そう思ったのも事実。私だって間接的な加害者になりうる。

さて上記は一般論だが、今回の圓歌パワハラ事件にはまるでつながりません。
事件を一般論で語ろうとすると、ドツボにはまること必至。
ヤフコメにも多数例が見られるが、今回の事件を一般論で語り出すと、とたんにウソ臭くなることにお気づきか。

このスピンオフラジオで一之輔師、事件についてかなり突っ込んで本音を語っている。
だが、事件に最も近いところにいる協会員の一之輔師の発言に対しても、まだまだ大きなズレを感じた次第。
直接知るところがなにもない私のほうが、真相に近いのではないか。そんなはずないと思いつつ。
ラジオのアシスタントとの関係に見るように、一之輔師も人間。時としてやり過ぎもあれば、反省もある。
いろいろ考えながら日々を生きている。だが、その「人としていろいろ考える部分」からは、今回の事件は読み解けないのではないか。

一之輔師は、師匠だからってなんでもしていいわけじゃない、法の下で指導しなきゃという。
逸脱しちゃいけない。指導が効くのは、信頼関係のあるうちだけ、「ほど」が肝心だと。
師匠としての立場で言うと、こんな事件が起こると、今後師匠になろうとする噺家が減ると思う。
アシスタント女性が、協会会長のコメントにつき「それは師匠と弟子との関係です」と語ってしまうのは、責任放棄ではないかと(ごく穏やかに)追及すると、一之輔師は「あれは本音が出てしまったのだが、出す順番を間違えた。誰でも、そういう考え」だと会長をフォロー。

「師匠と弟子の特殊な関係とはいえ、やり過ぎはいけない」ということである。
「ずっと考えているが定まらない」と一之輔師自身が認める割には、非の打ち所がない意見に思える。
だが、「法」を基準に持ち出した時点で、対象に迫っていない気がしてならぬ。

大前提として、圓歌は異常なのである。
「ちょっと度が過ぎた」のではないし、度が過ぎたこと自体が問題なのでもない。
最初から、家族を、そして弟子を支配することが目的の男。そのヤバさ。
こんなサイコパスについて、法律基準でアプローチするのは違うのだ。「ほど」なんて概念がないんだから。
法律は、あくまでもサイコ犯罪の結果を刑事で裁き、民事で損害賠償を命じるツールに過ぎない。

ところで落語協会、ひいては落語界には、協会の、そして業界の「法」がある。
世間と抵触することもあるが、内輪では法である、そんな認識を各噺家が抱いている。
この、法律と抵触することもある、内輪の法を使って心理的に圓歌を擁護するところが、もうまるで違う。
圓歌は、噺家の法にも従っていなかったのだから。
弟子を理由もなくグーパンチしていいなんて、噺家の法にすらない。
そして圓歌にとり、「弟子が邪魔で面倒だった」という瞬間は、実はないはず。自分の支配欲望を忠実に満たせる愉快なおもちゃが目の前にいたのだから。
二ツ目として長くなってきた天歌さんを坊主にさせようとする発想の源は、そこである。
なぜ破門しなかったか。サイコパスは、おもちゃを手放したりしないのである。おもちゃが壊れてしまえば別だが。
通常の噺家の了見では計れない悪魔なんだってば。
なのに、通常の了見で図ろうとする。いったんは師匠のほうを批判してみた志ん輔が、闘う弟子に呆れたというのが典型例。

歌舞伎へ脱出できた惣領弟子(三遊亭ありがとう)にもインタビューをして欲しいものである。まだまだ過去の悪事が出てくることは間違いない。

同業者には、圓歌の異常性が真にわかっていないように思う。あるいは、同業者であるがゆえにわかりたくない、わかろうとしないのだろう。
ちゃんとまともな師弟関係を維持している同業者にとっては、真の敵はこちらなのに。

協会としては理屈で考えていくなら、圓歌のほうを排除しなければならなかったのだ。異常な噺家を守っても、自分たちの得られるものは、なにもないのに。
ここを間違えてしまった。
形式的に3点対立になっているものを、2点だと履き違えてしまった。
2点だと思うところまではよかったのだが、寄り添う相手を間違えた。
天歌に寄り添ったほうが、自分たちの世界をはるかに守れたのに。

「披露目にケチをつけた」ことを罵っていた同門の志う歌や、半年前にツイッターで天歌を揶揄していた文蔵は、状況が把握できていない点で愚かである。
自分の所属する世界に対しての、正しい認識がなかったということだ。もちろん市馬会長も。
ケチを付けられたことになる側の一蔵師も、今や天歌フォローに入っている。そうでないとね。

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。

4件のコメント

  1. はじめまして。

    志ん輔師のブログ私も読みました。激しい違和感を感じました。
    『円歌さんは「師匠」と「親分」を混同してしまったし天歌は「惚れる師匠を間違えた」それだけでおしまい。』
    本当にそれでおしまいなのでしょうか。

    動画にもありましたが落語協会の弁護士が「天歌さんの主張は正しい」と明確に主張しています。つまり、協会側の弁護士すら「当たり前のことが落語協会では認識されていないから、正しい方向にもっていくべき」との意見(と思われる)はずなのに、『師弟の問題から落語協会の在り方へと問題が進んでいたことが残念だった。』
    と述べている点が、落語協会の体質というか考え方が見えてきます。

    税金からの助成金を受けている協会が「パワハラは師弟の問題で協会は問題ない」と述べている。であれば、協会は協会員にそれなりの教育なりを行っているのか。いや何もやってないのだと思います。

    私も落語が好きですし落語家の方にも敬意をもっていますが、今回の件はあまりにお粗末。
    特に、落語協会は、数年前、某師匠が盗撮で逮捕された際表沙汰になるまで何にもしようとしませんでしたし、
    今回も問題が大きくなるまで全く動ませんでした。

    落語協会の動きには正直非常に残念でなりません。

    思わず何か言いたくなり、書き込みさせていただきました。
    失礼いたしました。
    またブログ拝読させていただきます。

    1. Bunさん、いらっしゃいませ。

      志ん輔師はつくづくみっともないですね。中途半端に口出すぐらいなら、黙っておくほうが賢明というものです。
      気持ち的に問題を卑小化したくなるのは理解しますが、世間の風を理解できてないようでは、なんともはや。

      ツイッターで菊志ん師が、過去の暴力加害について語っていました。
      最近印象よくない人だったのですが、これについては感服しました。加害者には誰でもなりますが、正当化の心理が働くところです。

      天歌さんは、無事破門されたようですね。
      師匠も理事を辞任し。
      もちろん、まだまだ動きはあるでしょう。

  2. コメント失礼します。
    落語が好きで1年ほど寄席などに通っているものです。
    圓歌さんのパワハラの件、まくらで聞いたので気になってます。
    何が問題なのか、いまいちわかりません。

    暴力は御法度ではありますが、らしいものはどこの会社もあり、上下関係というか、それぞれの正解で揉めることはあると思います。
    坊主問題について、天歌さんのヘアースタイルはボサボサとは言いませんが清潔感ないですし、ちょっとさっぱりした方がかっこいいのではないかと思います。
    なので問題になった理由がよくわかりません。
    これもよくあるあるで、親の心子知らずのにしか思えないのですがいかがでしょうか。

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