本寸法噺を聴く会 その4(柳亭小痴楽「粗忽長屋」)

二度目の仲入り前である柳亭小痴楽師の出番は、直前のイイ噺(柳家小八「崇徳院」)のアシストを受け、思いっきりハネた噺を出していいところだ。

この日いちばんの売れっ子が、いい出番で登場。
小痴楽師、今や天井知らずの勢いである。
二ツ目時代はともかく、皆真打に昇進した現在の成金で、いちばん上手いのはこの人と思う。
しかもすでに名プロデューサーの片鱗を見せている。小朝、円楽のいいところだけ集めた人でもある。
私は将来の、芸術協会会長(しかも結構長期政権)まで見据えております。昇太会長もきっと考えている。
笑点には出そうな気もするが、出なくてもいいような。出ないで欲しいとまでは言わないが出て欲しいとも言いたくないような。

スタート時いろいろあった噺家人生だが、実は非常にまっすぐ育ってきた人なのだろう。
ちゃんと将来を見据えて、今なにをすべきかずっと考え続けてきたに違いない。
インテリ噺家が増えた昨今において、バカの装いが巧みなのも新鮮。
与太郎的なバカではなく、この次の可風師が出してた「蛙茶番」の半公がぴったり。
地に足がついていない(ように見せる)人。

この会は3年振りですと。
コロナで開催自体がなかったということらしい。
前はこの倍の芸人が出てたんですよ。お客さんもヘトヘトになる長丁場で。
前回出ていて、今回呼ばれなかった人間が、つまりいらないってことです。
こんなこと言って、嫌な感じがしないところがまずすごい。

朝が弱い(笑)小痴楽師、スケジュールは全部うちに置いてあり、夫人が前日確認して、朝起こしてくれる。
今日の会、保育園でやるなら子供に聴かせるの? もしそうなら息子に聴かせてやりたいと夫人。残念ながらそうではない。
私は子供向けの会にはまず呼ばれませんと小痴楽師。

そこから息子の運動会の話。ようやく今年、運動会が復活した。
親子競技に参加する。ダンシング玉入れ。
音楽の鳴っている間は踊って、止まると玉入れになる競技。
ところが、不正をする保護者がいる。音楽が鳴っているのに、玉入れをやめないのだ。
子供たちはちゃんとルールを守っているのに、親が暴走する。別に真剣な勝ち負けでもなんでもないのに。
それに立腹して声を上げていたら、アナウンスで、不正を続けていた親とともに注意される小痴楽師。
最初は澤邊さんのお父さんとマイクで呼ばれ、なおもやめないと「柳亭小痴楽師匠」と呼ばれる。

スラスラとこんなことを喋る。
どこでもいつでも使える内容でもないのに、売れてる人は違うなあと。
マクラのネタも、もったいないと思わないのだろう。
もちろん再利用はするだろう。でもそもそも、もったいないから最初からリサイクルを考えてるような人は、きっと売れない。

保育園には呼ばれないが、学校寄席には小痴楽師も呼ばれる。
粗忽なんて言葉、問いかけても子供は知らない。高校生だって知らない。
鎖骨のことと思って手を上げる子供に、「それは鎖骨だね。もうひとつ教えてあげる。こっちが『さ骨』で、こっちが『う骨』だよ」。

無観客の落語研究会でも出してた粗忽長屋。
粗忽ものでは最難度の噺。
「松曳き」も難しいとされるが、粗忽長屋のほうがずっと難しいように思う。
なにしろ、ちょっとしたことですぐに客がそれてしまう危険な噺。

主人公八っつぁんは当然、落語の登場人物の中でも抜けた粗忽。
世の秩序そのものを破壊するレベルが笑いを呼ぶのだが、うっかりすると噺の土台ごと破壊してしまう恐るべき人物。
粗忽長屋に挑む演者は、世界を遊離させつつ同時に繋ぎ留めるという、二律背反タスクを負っているわけだ。
さらに粗忽長屋の場合、もうひとり熊の野郎が登場する。そうすると、常識に満ちた町役人では太刀打ちできない。
そこで噺が維持できなくなり、客の気がそれるのだろう。

多くの演者が町役人を工夫することで、なんとか噺を維持しようとしている。
小痴楽師はどうするか。
町役人が、ちょいちょい八っつぁんに引きずられ、現実を見失うのである。
八っつぁんの上昇気流に乗せられ、足が浮くという感じ。

結構すごい工夫だ。なにしろ、わざわざ噺を壊す方向に進むんだから。
だが大丈夫。反作用によって噺はちゃんと元に戻る。
町役人もふたりいて、より引きずられやすいほうは、わりとどうにでもなれと思っている。
しっかりしたほうがそれだけしっかりしないとならないが、粗忽コンビに振り回される。
町役人は、自分の正気を保つため、「死に倒れでもいい」とか粗忽ワールドを受け入れつつも、なんとか立ち向かうのだ。

粗忽の八っつぁん、実は理屈がしっかりしている。
八っつぁんの頭の中では、熊がいかに昨夜雷門で行き倒れてしまい、自分が死んだのを忘れて帰った論理的なストーリーが描かれている。
熊の野郎は、二三回繰り返すと納得するが、町役人はさすがにそうはいかない。でも、ちょいちょい現実を見失いかけている。

この構図に、一流大を出たインテリ噺家の上をいく小痴楽師の姿を見るのは、行きすぎでしょうか。

そして小痴楽師らしく、スラスラスラーと言葉が流れていく快感。

ちなみにこの記事は、落語研究会のVTRをあえて観ず、現場の記憶のみで書いてみた。
この後で観返すつもり。たぶんまた違う要素を得られるだろう。

 

続きます。

 
 

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。