本寸法噺を聴く会 その5(柳家蝠丸「浜野矩随」)

二度目の仲入り休憩が開けると今度は三笑亭可風師。
このふわふわした人が大好きなのだが、遭遇機会は決して多くない。昨年12月の、蝠丸師の芝居で聴いて以来だ。
目当てのひとり。
この人はしくじってはいないが、移籍組。
落語協会で古今亭志ん吉だったが、師匠志ん馬の逝去によりいったん廃業し、8年の時を経て芸協で再入門という人。

この日爆苦笑の高座を魅せた桂南楽さんの「茄子娘」が、可風師から来ていることは浅草お茶の間寄席で確認した。

(本来の)閉演時間まであと5分ですと。
大幅に押しちゃってるのだ。
皆様に嬉しいお知らせですが、あと2人です。それが終わると終わりです。

可風師には、しろうと弟子がいる。
弟子が天狗連の会を催すので、師匠にもゲスト出演してほしいと。
二つ返事で引き受けるが、ゲストなのに高座の設営からなにから全部手伝わされる。
しかもギャラはワリ。ゲストなのに。
打ち上げもちゃんとやる。師匠のおごりで。

可風師の師匠、可楽の話。
最近ちょっとボケが入ってまして。
師匠が言います。「歌丸さん元気か」。
歌丸師匠はもう亡くなりましたよ。
「じゃあ、笑点の司会は誰がやってるんだ」
昇太師匠ですよ。
「昇太は前座だろ」
昇太師匠は、ぼくら芸術協会の会長ですよ。
「会長は米丸さんだろ」

師匠も、ちょっとボケている自覚はある。
「もうダメだよ。今朝の朝ごはんが思い出せないんだ」
おかみさんが、「まだ食べてませんよ」。

フィクション。だと思います。

しろうと芝居を振って、蛙茶番へ。
一見スタンダード。だが、ひそかに画期的な工夫を凝らしている。
糊やの婆あの「おかん」さん92歳(だったかな)が、遠景として、それから本人もちょっと出てくる。
小僧の定吉は、この婆さんの女性としての魅力を知っている唯一の人。
半公が岡惚れしている小間物屋のみいちゃんなんて目じゃない。

といって、別に気持ち悪い落語ではないです。

蛙茶番というのも、結局は露出落語のためか、あまり聴かないように思う。
だが、女性の多いこんな席でも、やりようなのだった。
生々しくなく、緩い緩いバカ落語を語れる可風師は、やはりスゴい。

半公がこれ見よがしに股間(本人は緋縮緬のふんどしのつもり)を見せつけると、客席にいたおかんさんが大喜び。
これで女性客との間に「色気」というキーワードによりブリッジが掛かるのだ。たぶん。

芸協さんは、可風師や、それから夢丸師など、若手真打をもっとフィーチャーして欲しいなあと思う。
成金はすでに十分フィーチャーしてるからいいとして、その上にも愉快な人がいるわけで。

また、威勢のいい小痴楽師の後の緩い落語は、実にぴったり。

トリは柳家蝠丸師。
この人も、昨年の主任の芝居(池袋)以来である。
今年も12月中席昼が恒例の芝居になっているので、一度行くつもり。

みんな時間が押しちゃいまして、と例の口調。
なんと、ということもないが人情噺だった。浜野矩随。
こんな噺やるのだとまずびっくり。
疲れた客に対する配慮であろう。人情噺でやさしく着地しようという。

終わった後で、ちゃんとやれば40分ぐらい掛かる噺なんですがと語っていた。
持ち時間ひとり23分なんですけど、私は守りましたからと。
確かに手短にやっていたのだけど、どこも端折っていなかったのだから凄い。
明確にわかったのは、腰元彫りの説明がないぐらいかな。
語り口はゆるやかなのだが、時間を錯覚させる至高の芸。

この会のお客は実にいい。変な反応がない。
だから、人情噺で笑う客なんていない。私も、人情噺が掛かっているのに一生懸命笑いどころを見つける客が嫌い。
なのだが、蝠丸師の人情噺は実に楽しい。
意図的に笑おうなんてしてないが、結構笑ってしまったのだった。他人から「わからない客だ」と白い目で見られてたらどうしよう。
だっておかしいんだもん。

蝠丸師はやると決めたら、人情噺をしっかり語る。ちっともふざけてなどいない。
だが、語り手がなにしろ蝠丸師なので、世界を包む神様が冗談めいているのである。
といって、噺の人情が伝わらないなんてことではなく。

名人の息子のヘタクソ矩随の彫る作品は、若狭屋さんだけが買ってくれる。
だが若狭屋は、かっぱダヌキを除いて全部処分した。そしてかっぱダヌキの収められた箱は、封印している。

おっかさんは死ななかった。
今まさに喉に突き立てようとした直前で、矩随が間に合って助けるのである。
矩随は、若狭屋さんに観音様が激賞された後、水盃を交わしたことに気付いて急いで戻った直後。
蝠丸師が語る以上、人死にの出ないほうが私はいい。

ご都合主義だが、蝠丸師が地に戻り語る。
「日頃の心がけのいい人は、間に合うんです。悪いと間に合わない」

名人として生まれ変わった矩随は、販売ルートを若狭屋一手に委ねる。
名人矩随作品を求める行列が、新小金井まで伸びたという。
これ、徂徠豆腐でもやるくだりだ。

実にすばらしい会だった。しみじみそう思っている。
こういう会が、都心から離れた武蔵野の地で行われているのだ。恐るべし。
顔付けも、予算の制限のある中で実に選りすぐられている。
客のよさも、会の積み重ねから生まれるものだ。
いちばん素晴らしいのは、長丁場なのに色物抜きでちゃんと疲れない構成になっていたこと。
演者相互のチームプレイと、それから各演者の持ち時間の中での、構成の巧みさによるもの。

また来ます。

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作成者: でっち定吉

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