日数の少ない2月に、またブログ休んでしまった。
アクセスは落ちていないので、つまり日ごろから書きすぎなのかもしれません。
本当は一日置きぐらいでいいのだ。
高円寺のほうでは落語まつりをやっていて、多くの会場で同時多発的に会を催している。
土曜日、あちら方面に仕事があったので、「入船亭遊京・ナオユキ」という1時間の会に行く予定でいたのだが、仕事が押していけなんだ。残念。
一之輔師登場の笑点、3回目を昨晩観た。2回目は観なかったのだが、まあいずれ特大号で。
新メンバー発表の日の前日土曜日に、3本まとめて撮ったのだそうで。これも忙しい一之輔師への配慮なのか。
一之輔師が政治いじりをしてたのがちょっと気になった。円楽の後継者として周りに期待されてるんだろうけど。
政治いじりは立ち位置が難しくて、気を付けないと。わかりやすく言うと、歌丸、円楽という「偉そうな人」にしかできない。
まあ、だから頑張ってるたい平師にだって、本当はできないんだけど。
一之輔師は、偉そうにするのがニンではなくて、「俺ごときが言っちゃってるよ、ヘッ」が味だと思うので。
自分の高座やラジオでだって、茶化すまではしても政治に対して上から迫ることはない人なので、変な期待に潰されないといいのだが。
もっとも、笑点で政治ネタはないほうがいいかというと、そういうわけにはいかないんでしょうけども。
笑点新メンバー発表の翌週、久々にいつも聴いていないほうのラジオ「SUNDAY FLICKERS」を点けてみた。
笑点の話が一切出ないのですぐ消してしまった。番組終わりでこっそり話してそうな気もするが。
さすがにこの、ローカルFM局だけで流れてるラジオは、今の一之輔師にふさわしい器と思えない。
思い入れもあるだろうが、さすがにそろそろ終わるんじゃないかな。
堀井憲一郎氏がコラムを書いている。
私はライター(よりも上級な、コラムニストという肩書)としてのホリイ氏については非常に尊敬しているのだが、内容についてはたまに変なことも書くねと。
『笑点』新加入の春風亭一之輔 司会の春風亭昇太とあまりにも遠いその関係性
「あまりにも遠い」ってなんだと思って。
読む前からだいたいわかったけど、同じ春風亭という亭号でも、全然一門が違うよという話。
笑点新登場の1回目、放送でもネタとしてご本人が語っていたことなので、今さらという気もしないでもない。
同じ春風亭でも、どこまで遡れば昇太と一之輔がつながるかという分析。
でも変な分析だよなあ。
もともと、「同じ亭号」であるからこそ、どこまで行けば先祖が共通になるのだと考えるわけだ。
だが、「同じ亭号でもまったく違う一門」から出発するとなると、先祖をたどっても意味がないだろうに。
林家彦六(先代正蔵)門下には、いろいろな亭号がある。
林家もあるが、春風亭もある。
林家正蔵の名跡は、海老名家から強引に借りてきたものだということになっている。
七代目正蔵(先代三平の父)が没後、3回忌も過ぎないうちに八代目(のちの彦六)が襲名している。
この事件から、海老名家の「林家正蔵」に掛ける思いであるとか、林家九蔵事件などすべてが始まるのである。
彦六の正蔵は、海老名家に配慮して「林家」の亭号を増やさなかったということになっている。
その割には、終わりのほうの弟子がなぜか林家なのだが。ここに元林家九蔵である好楽師も入る。
ともかく、木久扇・正雀という林家から、今でも林家の噺家が多数生まれているが、本家ではない。
林家の本家(海老名)のほうは、当代正蔵師の弟子やたい平師が活躍中で、こちらも栄えている。
なんの本を読んでも書いていないのが、林家彦六の弟子に「春風亭柳朝」が生まれたその理由だ。
林家(海老名)への配慮とされてはいるが、ではなぜ「春風亭」だったのか?
これがどこにも書かれていない。
ただ、芸術協会の柳橋先生(六代目春風亭柳橋)に断ったというのは史実のようで。
このとき落語協会に、途絶えていた春風亭が再び誕生した。亭号について、深い意味はさしてなかったのかもしれない。
最初から芸術協会の春風亭とは別個の存在である。
最初から別である以上、先祖を遡っていっても無意味では。
それが、五代目柳朝⇒一朝と来て、一之輔となる。
復活した当代春風亭柳枝も、やはり柳朝から正朝と来たので、名乗れているわけだ。
一方芸術協会のほうでは、柳橋⇒柳昇と来て、昇太になる。
だから、あるとき他人だった系列に春風亭がふたつ生まれ、それぞれ孫弟子が今の昇太と一之輔。
それで済んでしまう話な気がする。
彦六の正蔵の弟子は林家、春風亭だけでなかった。
橘家もある。
先代橘家文蔵は地味な人だったそうだが、ここから三代目(当代)が生まれた。
これまた、なぜ橘家だったのだろう。
橘家というのは、もともと三遊亭(圓生の系統)のサブブランド。
地味な文蔵から派手な文蔵が生まれ、弟子もいる。
橘家といえば、文蔵一門と、圓太郎師のことになってしまった。
エバラ焼き肉のたれの圓蔵一門がもはや衰退しているからだ。
圓太郎師も小朝の弟子であり、落語協会における春風亭の人である。
他にも彦六直系には、「はやし家林蔵」(故人)と「八光亭春輔」がいる。
これらは結果、枝を伸ばさなかったが、橘家のようになった可能性だってある。
林家、春風亭、橘家、いろいろあってもみな一門。
一之輔師から見たら、木久扇、文蔵、彦いちといった亭号の違う師匠がたはみな一門である。
ただ、海老名の林家は他人。
同じ亭号を持つ昇太師も、偉大な先輩ではあるにせよ、系列の上では他人である。
一度私も「春風亭」を集めた落語会に行って、お二人の高座を聴きましたけどね。
いっぽう、一之輔師と同じ一門なのに、林家の亭号を持つ人たちは、海老名といやおうなしに関係が生まれる。
亭号マジック。
もうひとつ気になったのが、木久扇・好楽の関係性についてのホリイ氏の筆。
「おそらく師匠の家で会ったことがあるのではないかとおもうが、正蔵の家は狭かったらしいので、本当のどころはどうだか知らない」とある。
私は最近、四半期に一度程度好楽師の高座に触れている。大好きなので、もっと増やしてもいいですけどね。
好楽師のむかし話には、木久扇師もよく出てくるので、なんだかなと。
ホリイ氏が好楽師をまるで評価していないことは以前からわかっている。
相変わらず、円楽党には出かけないんですねという確認ができた。
先日も、師匠彦六の正蔵が地方遠征で留守の際、兄弟子木久扇が師匠宅にやってきて、下の弟子に天ぷらをご馳走してくれた話を聞いた。
熊本に笑点が出かけた際、熊本出身の弟子好一郎師の披露目に、木久扇師がわざわざ付き合ってくれた話も聞いた。
高座の好楽師からは、木久扇師との強い人間関係が知れるのだけど。
嫌いなものを聴いてくださいと言っても仕方ない。
でも好楽師、私が聴き始めてからも、腕がますます上がっているのを感じます。
亭号追うのはとても苦戦します。
昭和の時代は亭号の運用が今より緩かったという理解であってるのでしょうか。最近は別一門の亭号を急に名乗ると言うケースはあまりないように思います。蝶花楼桃花さんの蝶花楼も、縁がある亭号的なのをアピールしていた記憶があります。私のような初心者目線だとそっちのほうがわかりやすくてありがたいような…
あと、似てるようでいて別件ですが、師弟系図だけ見てると当代の柳家蝠丸さんが何で柳家なのかは完全にわからなかったりしますね。(その後この件は師匠の血縁と言う要素が混じると理解できました)
亭号の理解は難しいですね。
ただ、理解しておかないと議論にも乗れないので、ついていかないとなりません。
雲助一門、小朝一門は特に大変です。
ヤフコメで「また春風亭か」と書いた人がいて、「昇太と一之輔の春風亭は別物だ」と総ツッコミ入れられてました。
別一門の亭号を急に名乗ろうとして果たせなかったのが林家九蔵事件ですね。
今度できる錦笑亭はオリジナルなので、問題はなにもありません。
柳家蝠丸は、先代の息子である先代文治が名乗りたかったものの、師匠小文治に反対されて果たせなかったそうで。
その後、ずっと大きな桂文治を名乗るわけですが。
弟子が違う亭号を名乗るのをよしとしない師匠もいるようです。
だから鯉昇師も「瀧川」を師匠に反対され、当初春風亭鯉昇だったそうで。