好楽無双の時代

【渡邉寧久の演芸沼へようこそ】好楽無双という時代が今、到来している(デイリースポーツ)

好楽無双か。
〇〇無双という流行り言葉はもともと「真・三國無双」から来ているのだろう。
ただ、最近聞いたのは「こじるり無双」が最後だった気がする。もうすっかり無双の地位から追われたけど。

それにしても、好楽師匠は面白いですね。
本業と、笑点と両方で面白い。
当ブログでも繰り返し書いてるので、少々気が引けるのだけど。

しかし好楽師、昔から変わらないイメージになってしまっている人もいるだろうが、記憶の塗り替えの可能性がある。
私の記憶では、面白くなったのはここ10年のことだ。
特にこの5年で、大幅に上昇したと思う。今年喜寿を迎えるという、こんなおじいさんになってパワーアップする人がいるのだ。

私が寄席で好楽師を初めて聴いたのはそんなに昔のことではなく、2018年。
その頃は、「ピンクの小粒コーラック」などとマクラで入れていた記憶がある。
現在はもっとずっと自然な高座を務めている。実にスラスラと昔の楽屋の話、昔の師匠方の話を始める。

笑点ではご存じの通り、三平と一緒にヘタクソ扱いをされていた。
あの木久扇師が、「三平と好楽はつまらない」なんてたびたび喋っていた。三平は本当につまらなかったが、好楽師は三平を孤立させないために一緒にネタにされていたので気の毒だなあと。
三平がいなくなったら、木久扇師はひとの批判をピタッとやめ、それ以前と同様、自分いじりに励むようになった。

円楽師も好楽いじりをずっと続けていたし、今でもそれは引き継がれている。
だが以前より「設定」という感がずっと大きい気がする。
この渡邉寧久氏のコラムが転載されたYahoo!のコメントを見ても、笑点ファンが進んで設定を楽しむようになったように思う。
そして本業の落語のほうも、徐々に好きな人が増えている。もちろん日本の話芸にもよく出ているので、触れる機会は多数あるのだ。

渡邉寧久氏のコラムでは、司会・昇太師のコメントが載っている。予定調和でやらない好楽師とのやり取りは楽じゃないだって。
こんなのも堀井憲一郎氏によると、昇太師は面白いお爺さん木久扇師ばかり答えさせ、つまらない好楽師は放置しているということになる。
落語についていつも書いていても、好楽師を評価しない人もいる。もちろん、いろんな見方があっていいですけど。

三平がいた頃、好楽師匠「だめかー」というギャグをやっていた。これは本当に面白くなかった覚えがある。
笑点でも高座でも、不自然さが一掃されているのが現在の姿。
そして高座のほうでは、同じ演目が出ても毎回中身が激しく違う。こんな人はいない。
おかげで演目被りをしても、まったく嫌じゃない。記憶に残っている高座と全然違うんだもの。
これはもう、演出を変えたなんてレベルでは済まない。毎回、作って出しているのである。
笑点も本業も、アドリブに非常に強くなったんでしょう。
落語が毎回違う、つまり「うろ覚え」でやってしまうのは、昔の名人たちにずっと触れていたから。名人たちの高座がすべて好楽師に詰まっている。
その演出を取り込みながら一席作ってしまうのだ。

好楽師も、「なつかし版」の時代になると、確かに面白くはなかった。
あれを観ると、子供の頃の記憶を再現することになる。たまに上手いことは言うけど、派手さはまるでない。
私の記憶では、Wikipediaの好楽師の記事だって、「好楽は他のメンバーを引き立てることで働いている」みたいな、百科事典らしくない解説が書かれていた(古いバージョン探せばわかると思うが)。
笑点で当時出していた高座のことなら、こちらに書いた。

1998年の三遊亭好楽「小言念仏」

すでに立派になった現在の高座を念頭に置いてみたら、全然上手くないのでびっくりした次第。
ところが、再度聴くとどんどん楽しくなっていった。

息子・王楽師のコメントも載せられている。
親父は売れる理由がわからないと。
息子だからわからないんだろうけども、私にはわかります。
もちろん人柄である。人柄ばっかりは、いきなりよくしようと思ってもムリ。

好楽師の弟子もみなセンスがいいなと思う。師匠選びのセンスがまず。
マクラで師匠をボロクソに言えるのもいい。
でもこれだって、他の一門が安易に真似したらすごく嫌な雰囲気が漂うと思うのだ。
引きこもりから外国人までいろいろいる、多様性を象徴する一門だ。

好楽師、最近独演会がないですね。行きたいのだけども。
とりあえず亀戸ではまた聴きます。

作成者: でっち定吉

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