みずほ寄席(下・入船亭扇辰「蕎麦の隠居」)

私は本寸法マニアを自認してはいない。面白古典も新作も楽しむ。
それでも古典の本寸法2席を聴いて、脱帽です。
竹の水仙でこの会が終わったとして、何の不満もなく帰れたと思う。
だが仲入り休憩である。すごい贅沢。
それでも、仲入り後菊之丞師が出てきて長講1席でおしまいなのかとも思った。
しかしまたしても扇辰師登場。あれだけたっぷりやって、まだ2席あるんだ。感激。
扇辰師は着物を着換えて「お色直し」とアピール。

この出番は常識的に、寄席向きの軽い演目のところ。
紫檀楼古木や、千早ふるあたりが出るところかなと。麻のれんなんてのも季節先取りでよさそう。
始まったのはおそばの小噺。
ひっそり入るから小噺だと思ったのだが、なかなかオチがつかないのでようやく一席の噺であることを悟る。
しかし、知らない噺だ。
古典落語のように語るが、どうやら新作らしい。新作というものは、擬古典落語として作ったとしても、どこか文法が違っているもの。
聴いているうちに突然、「そばの隠居」という演題が頭に浮かんできた。合ってましたね。どこかで目にして、頭の隅に残っていたわけである。
後で調べたのだが、先代扇橋のために矢野誠一先生が書き、最近まで知られていなかったそうで。
ただ音源が残っていた。
それを扇辰師がやることにしたものらしい。

中身をまったく知らずに聴いたこの軽い新作に、またも感激した。
サゲを知らずに聴けて本当によかった。速記で読んでも「ふーん」だったかもしれない。
新作落語かくあるべしという逸品。私もこんなのを書いてみたいものだ。
見事なのに、長く忘れられていたから不思議だが、世の中、誰が悪いわけでもなく得てしてそういうものだ。発見した人の手柄はだから大きい。
不思議な隠居の行動原理が明かされないまま終わるところが実にシャレている。落語ですからね。

サゲを知らないおかげで楽しんだ噺のネタバレはしない。寸前まで書く。
品のいい隠居がそば屋にやってくる。見かけない顔。
おそば(もり)を半分くれと。
小僧が勘定を16文だと伝えると、店主を呼んでくれと隠居。
1枚16文なのに、半分でも16文はおかしかろう。切りがいいところで10文置いていくと。

次の日また隠居はやってくる。今度は1枚。
そして、そばちょこの欠けを指摘し、店主に小言。

次の日は2枚。その日も小言。
隠居は毎日やってくる。
4枚が8枚になり、16枚が32枚になり、なんと8日目は64枚をペロリ。それでもやっぱり店主への小言は止まない。
店主が気を遣って32枚ずつ出してるのが気に食わないと隠居。
店主はもう、明日は休むと半狂乱。
それでも店のみんなに励まされ、128枚を出す準備万端で隠居を迎える。

というものです。
サゲは緊張が一気にほぐれ、恐ろしくウケてましたな。
上方落語の「たばこの火」に骨組みがちょっとだけ似ている。
ちなみに、4枚の勘定で「32文」と間違ってましたな。いいんですよ。

みずほ寄席の簡易なチラシには、扇辰師の芸風として「地味」と書いてある。
決して誉め言葉じゃないし、事実とはまるで違うよね。ハデハデだと思うが。
ちなみに「いぶし銀」と形容するのにも反対するぞ。いぶし銀は、褒めようのないときにとりあえず使うことば。

最後は菊之丞師。今度は大ネタだ。
ちなみに丞サマはこの後末広亭の夜席で、猫八襲名興行に出番がある。

江戸時代の身分制度の話。これはもう、妾馬だ。
2017年に鈴本のトリで聴いて以来。

おなじみのネタだが、やっぱり進化している。
妾馬で嫌いな演出がある。お役目大事の三太夫を、必要以上に四角四面に描くもの。
そりゃまあ、松曳きの三太夫のような抜けた人ではないのだから、そこにユーモアは漂わない。
だが得てして、三太夫さんが嫌なやつに描かれる気がする。
その描き方は楽だろうが、客が「嫌なやつだ」と感じた記憶は噺の中に残るのである。
復讐したくなるほどイヤなヤツだったらそれでもよかろうが、この噺についてはつまづきになるだけ。
この点、菊之丞師の描く三太夫は記号っぽい。あまりセリフを与えないのがいいのだろう。

いったんホロリとさせておいて、最後明るく締めるのがいいんだ。
劇中の八っつぁん自身がそう語ることで、客にもこの気持ちがシンクロする。

30分オーバーして閉演。時間はあってないようなものかもしれないが。
4席とも大満足だ。
帰りは石段でなくスロープで。裏道を抜けて、駅に向かう。
モクレンの多い街である。
今夏に来るとは思わないが、またいずれ。
ちなみに瑞穂町には東京都指定金融機関のみずほ銀行はない。
それがどうした。

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作成者: でっち定吉

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