前座で寝せてもらいリフレッシュ。
最初に上がるのは古今亭菊之丞師。プログラムはなくて、どういう構成なのかはまったく知らない。
2016年にブログ始めてから遭遇した菊之丞師の高座数を数えてみたら、7席しかなくてびっくり。
イメージとしては、もうしょっちゅう聴いてる感がある。
テレビでよく見かけるから、印象が強いのだ。
菊之丞師は自分の話は手短に、幇間のマクラから、軽く十八番の「たいこ腹」。
何度も聴いた演目(テレビで)だが、ますます進化をやめていない。
扇子の使い方なんてパワーアップしている。一八がお茶屋に現れる際と、若旦那への文句をひとりごちつつガラっと態度を変える場面とで実に美しく使う。
こういうのは、踊りをやってないとできないんでしょう。
そういった細かい部分も大事だが、全体がまさに音楽。
美しい旋律の流れる一席。クラシック音楽と捉えてもいいのだが、それよりもテンポの上げ下げによるグルーヴ感を感じます。
音楽ならば、同じものを何度聴いても楽しめる。まあ、厳密には進化していて同じではないのだけど。
全体が音楽だし、もちろん言葉のリズムも選び抜いている。「壁ねこあたし」なんて最高。
お茶屋に現れた一八が若旦那の悪口をおかみに告げるシーン。
「これが足袋のコハゼなんだ」まで、まさに一八のアリア。
完璧な高座の誤りを1か所見つけて喜ぶ性格悪い私。
ゴルフの描写で「タマ飛んでかないでボール飛んでっちゃった」だって。
いいですよ全然。演者が間違いを訂正してたら、この流れる高座は止まってしまう。
いきなり大満足です。
続いて扇辰師。
師はつい2か月前に、このホールに都民寄席で来たばかり。
落語協会の事務局から、都民寄席の出演依頼が掛かってきた。
事務員「都内なんですが、師匠場所ご存じないと思います」
扇辰師「そんなことないよ。全国津々浦々行ってるんだから。そうそう知らないとこなんてないよ」
「瑞穂町なんですけど」
「ああ、スカイホールだろ」
事務員は驚いてたが、私はみずほ寄席は何度も寄せてもらってますからね。駅前のバーミヤンまで知ってますよ。
つい先日、アメリカに行ってきた話。
遊びに行ったんじゃないからね。仕事だからね。
向こうの大学で日本語でやるんだけどね。英語できねえから。
結構ウケたんだよ。いや、字幕がいいんだろうけど、気持ちいいね。
それだけじゃないよ。登場時からもう大歓声。一席終えたら「ブラボー」だよ。
旅の話から、東海道は鳴海の宿へ。
客の来ない宿に、長逗留する薄汚い旅人。毎日4升、酒飲むだけ。
鳴海宿という設定は初めて。
小田原で固定された抜け雀と異なり、竹の水仙はいろいろな宿でやる。藤沢とか大津とか。
大名行列さえ通ればどこでもいいみたい。
上に広告張ったCDも出てる(未聴)けど、扇辰師に竹の水仙のイメージはまるで持っていない。
入船亭なんだから甚五郎もの、別に不思議じゃないわけだが。
寄席のトリではやらないんじゃないかな。寄席サイズに収まらない長講。
この一席が、私の落語観、そして扇辰落語のイメージをも揺るがす、すごいものだった。
遠くまでやってきてよかったとしみじみ思った次第。
私は「クスグリ過剰落語」の弊害を唱えている。
これ自体は別に撤回しない。ギャグが本筋になってしまうとダレる。
だが扇辰師の竹の水仙、ほぼギャグででき上っている。
じゃあ、クスグリ過剰? そうでなくて、全編に渡っての見事なシチュエーションコメディなのである。
どこを切り取っても楽しい。特に前半は、ストーリーは脇にやられ、宿屋の夫婦、それから旅人と亭主の見事なコント。
これが延々と続くのだが、やめて欲しくない。
といって、超人左甚五郎のエピソードが遠景に追いやられるということもない。むしろ、日常との対比で超人性が増す。
スキなく練り上げた芸。
ちなみに、扇辰師ならではの顔芸もフル活用。
宿屋の主人は養子で、婿入りして8年。家付きの娘であるかみさんに頭が上がらない。
さらに、それを全部甚五郎に見抜かれている。
養子の設定は初音家左橋師から聴いた。これ以外の設定はまるで違うのだけど。
常に堂々としている甚五郎、扇辰師の描く江戸っ子のカッコよさとは異なるが、妙にカッコいい。
人をおちょくって、しかしある一線を決して越えないこの造形、たまらないね。
聴きながら思ったのだが、桂二葉さんが扇辰師から教わったら味がありそうだなと。人を軽くおちょくる感じが、彼女には実にフィットする。
抜け雀でもそうなのだが、からっけつの客に亭主が怒っているものはあまり好きじゃない。
扇辰師の描く主人も、怒りを通り越して脱力している。こんなのが大好物。
噺の中で怒りを描くのに卓越している扇辰師だが、竹の水仙では決して強くは怒らない。
後で詫びる展開の都合上、一応怒った形だけ。
怒って楽しい場面じゃないということ。
シチュエーションでさんざん遊んでいるのに、ノコギリ持って竹藪に主人と一緒に行くシーンはない。
こういう、わかりやすくギャグを描ける状況には頼らないんだなと。
主人が侍にひっぱたかれるシーンもないし、復讐で「売り切れ」にしてしまうギャグも入れない。
他人の見つけないところで盛り上げたいという扇辰師の矜持か。
竹の水仙を彫り上げて、買い付けに来るのは細川家の家臣、郡山剛蔵。ここは誰も笑わない。
甚五郎は、細川の殿さまが所望と聴き、「えっちゃんか」。
「ああ、越中か」とセリフを先取りするこちらを、微妙に裏切る。
水仙の値は100両なのだが、買い戻しにくるときは200両ではなく、細川さまが甚五郎に恥ずかしくないよう最初から500両である。
郡山剛蔵から作者の正体を聞き、平伏して甚五郎の前に再び現れる亭主。
ただし、かみさんが事前に警告する。水仙が売れたのはさておき、変わった人に違いないから、ノミでブスッとやられるかもよと。
なので対策のため、亭主にひもを結び付けておいてから二階に上がる。
このくだり、完全に扇辰オリジナルだろう。
いやいや、しびれました。