国立演芸場21(下・三遊亭小遊三「たいこ腹」後編)

小遊三師がよく語る、大師匠先代三遊亭圓馬の話。
戦前は食えないのでたいこ持ちをして、戦後また戻ってきた。
先代圓馬の経歴にこんなこと書いてないので、圓馬からの又聴きの話であったろうか?

幇間経験者の噺家に、たいこ持ちは大変だったでしょうと訊くと、いいや意外と面白いことがあったよと。
正月に手拭い持って祝儀をもらいに旦那のところに行くと、年末に工事が終わらなかったらしく家の前に土管が積んである。
旦那が、お前あれくぐってみなよという。
くぐったら一張羅の黒紋付が泥だらけで台無しだ。だが、そこは芸人。思い切ってくぐってみる。
泥だらけになった幇間、湯に入れてもらう。湯から上がると、そこには新たな一張羅が出来上がっている。
これ、「池に飛び込めと言われる幇間」としてよく耳にするネタだが、土管に変なリアリティがある。
「今でも(我々芸人に)やっていいんですよ」と小遊三師。

本ネタは鰻の幇間でなく、たいこ腹だった。
トリネタじゃないだろうと思ったが、そんなことはなくて、たっぷりの内容だ。
小遊三師のたいこ腹はテレビでは聴いたことがあるが、もっと詰めた形だった記憶だ。トリ用のたいこ腹があるんだ。
日曜に菊之丞師から聴いたばかりのネタだが、まったく印象が違うので驚いた。
菊之丞師のものは、見事な音楽だった。
小遊三師のものは、ずっとゆっくりしたリズム(でもやはり気持ちいい)で、遊びの多いネタ。
でも、協会は違っても出どころは多分一緒なのだ。
流れも一緒だし、なにより「へそのゴマ取っちゃいけません。乾物屋で売ってないんだから」という、それほどメジャーでもないクスグリが共通していたから。
1週間以内にまったく違う、でも同じルーツのたいこ腹を聴き、どちらも見事だという、実に興奮する経験である。

多くのたいこ腹は、若旦那の視点で始まり、途中で幇間の一八に視点が移る。
だが小遊三師のもの、たいこ持ち視点でマクラをずっと進めてきてから、本編の冒頭だけが若旦那で、すぐに一八に戻る格好。非常にスムーズ。

若旦那に辟易しつつも、仕事だからこんなことぐらい仕方ないという、達観したたいこ持ちのありようがたまらない。
一八が若旦那のおかげで血まみれになるあたり、気を付けないと客は引いてしまう。それを防ぐのは、一八の気の持ちようひとつである。
船徳の客と同様、たいこ腹の一八にも災難を楽しむ感覚があるに違いない。小遊三師の一八については、別に欲には駆られていないと思う。
そうでなきゃたいこ持ちなんてできないのだ。

一番笑ったのが、一八が実験台を承諾する場面。
「あたしゃ確かに、いやだ、と言いました。でもこの後が続くんです。いやだけれども、と。この『けれども』を忘れちゃいけないよあなた。あたしは先祖代々けれども一族なんですから」
けれども一族、たまらん。
たぶん、毎回入れてるクスグリではない気がする。全然活力を失っていないのだもの。
といっても完全アドリブではこんな無茶なボケは出ないだろう。小遊三師が、固定しないでぼんやりため込んでいるパーツのひとつではないかなと。
超ベテランになると、ウケたからって次も使おうとはならないはず。

やはりこの噺、シチュエーションをどこまで描けるかに尽きると思うのである。
若手のやるのも面白いけど、クスグリだけ工夫してもダメでしょう。
といって、人の体に鍼を刺したい若旦那の了見なんて少なくとも私にはわからない。噺ができたときはサディズムのたまものだったかもしれないが。
少なくとも、現代においてたいこ腹の活力を失わせない秘訣は、一八の心持ちひとつ。

面白いことに、一日経って息子が言う。
なんだか記憶がぼやけてきたと。
ああ、わかるとも。小遊三師の落語って、意外とそういうことがある。
そもそも、笑点メンバーでも随一の薄味だしね。
私になると、脳内にたいこ腹のテキストがちゃんと格納してあるから、それと突き合わせてリアルタイムに楽しんだ記憶を残せる。
だが噺自体の記憶がもやもやしていると、なにをやったのだか忘れてしまうのである。
なに大丈夫だ。もう1回この噺を聴いたら、忘れていた記憶が3Dになって浮かび上がるに違いない。

「小遊三の会」が国立閉場の前に一度あると聞いている。行きたいものである。

国立演芸場の公開ネタ帳を見ると、表記が「たいこ腹」。私はこの表記が好き。幇間腹とも書くけど。
仲入りのヨネスケ師は、予想通りの「落語禁止法」だった。

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作成者: でっち定吉

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