「厳しい修業で立派な噺家になれる」・・・再生産され続けるフィクションを糾弾する

3日間、協会内二ツ目フリーを認めたほうがいいと熱く書きまくって、疲れちゃった。
こんなの書いて、どこに響くかはわからない。
でも、アクセスの多い記事を書き続けてれば、世の中だんだん変わる。最近そう確信するようになった。
今日もそんな記事をひとつ。落語への間違った思い込みを潰していこう。

2児を育てながら“男性社会”で奮闘、とにかく落語に「死に物狂い」な柳亭こみちが目指す未来(fumufumu news)

私は柳亭こみち師については、全面的に好意的である。そのことは初めに断っておきたい。
師の「女性目線で古典落語をリノベーションする」目論見にも全面的に賛同している。
昨年のGWは拝鈍亭で、宮田陽・昇との会に参加し、大いに楽しませてもらった。
毎年ある会らしいが、今年もあるのなら行きたい。

桃組をはじめ女性落語家が大きく着目されるトレンドの中、こみち師の充実ぶりを取材するのも全然いいのだが。
またしても「厳しい修業があって立派な噺家になった」というフィクション(嘘)が取り上げられていて、非常に嫌な気持ちになったと、そういう話。

一般人の幻想の最たるものが、こうやって無意味に再生産され続ける。
ここには、「厳しい修業により、一般人が新たな生を受けて噺家として生まれ変わる」という、極めて勝手なストーリーが存在する。
だがその勝手なストーリーがないと「柳亭こみちが女流のパイオニアになった」事実につながらないわけではないのである。
「こみち師が別の育ち方をしていてもこうなった」可能性だって非常に高いのに、フィクションの中では、その観点はまったく無視される。
フィクションは、書いていないことまで含めてさらに強化されていく。「ちゃんとした落語家になるためには厳しい修業が不可欠だ」と。
中には、当の師匠がこのように勘違いしていたりする。

三遊亭圓歌という支配モンスターにだって、「弟子を育てるため厳しい修業を与える」という幻想はあるのではないか。
その結果なされたことは、抵抗できない弟子へのむき出しの暴力なのであるが。
落語界のパワハラを糾弾するいっぽうで、厳しい師匠を褒めそやすのはWスタンダードである。

こみち師が、厳しい修業を与えた師匠燕路に感謝するのは自由である。
ご本人の中の合理的なストーリーとして、厳しさのおかげで立派になったと考えていたとして、それは無理からぬこと。
だが、こういう認識こそが、落語界に暗黒面をはびこらせる原因なのだ。

エピソードの中には、こみち師の憧れた大師匠、小三治の話も出てくる。
「師匠の仕事は小言を言うことだ、小言を言ってるなら大丈夫だ」と小三治がこみち師に語ったという。
冗談じゃない。
弟子の半分をクビにし、孫弟子までクビにした暗黒大王に過ぎないのである。
立派な師匠でもなんでもなかった人を持ち上げるためには、暗黒面を黙殺する必要がある。
アホなファンが以前は結構、この神格化に乗っていた。「クビになった人はどのみち素質がなかった」と思っておけばそれでいい。どのみち立証できないし。
まあ、今になって元孫弟子、柳家小かじが春風亭かけ橋になってブレイク中。懸命に維持されてきたフィクションは、ようやく綻びてきた。遅いけどな。

こみち師の師匠・燕路師だって、ひとりしか育てていない以上、立派な師匠かどうかなど判断しようがない。
私が見る限りは、「立派な師匠だと判断する根拠は今のところ特にない」ぐらいだ。
これしきの師弟関係が、落語ファンの幻想維持に貢献するのかと思ったら、一言発したくなったのである。

こみち師は修業中、ストレスのあまり、胃と食道と十二指腸に潰瘍ができたという。
この潰瘍のおかげで、立派な噺家になったのですか? 潰瘍がなければそうなっていないのですか?
潰瘍のほうこそ、いいツラの皮である。

緩い一門のエピソードは、フィクションを求める層には顧みられない。面白くないからである。
緩いので有名、かつ多くの優秀な噺家が育った一門を列挙してみようか。私はたびたびこんなこと書いてるのだけど。

  • 春風亭柳昇(小柳枝、桃太郎、鯉昇、昇太)
  • 林家彦六(先代柳朝、木久扇、好楽、正雀)
  • 春風亭一朝(一之輔、三朝、一蔵、一花、朝枝)
  • 三遊亭好楽(兼好、好の助、とむ、好志朗)
  • 柳家さん喬(喬太郎、左龍、さん花)
  • 春風亭昇太(昇々、昇吉、昇也)

緩い一門は、なにしろ生き残り率が高い。母数が多ければ、育つ人も多くなる。
冷静に考えれば当たり前の理屈。
彦六の正蔵一門を「緩い」と言ってしまうのは言い過ぎかもしれない。そう書かれたものはない。
好楽師が23回破門されたなんてエピソードも、厳しい師匠を連想させ、むしろフィクション強化につなげられやすいかも。
だが、それだけして許してしまう師匠、決して厳しいと思わないけど。圓生と比べれば特に。

厳しい一門は、圓歌以外にもある。
圓菊一門も厳しかったと、菊之丞、文菊両師が語る。
ただ二人とも、「おかげで立派になれた」と語ったことはまったくないのだった。

先代三平一門(その後こん平一門)は、生き残り率が高いわりに意外と厳しかったようである。
もっとも、息子だった現三平はそんなことを語らない。実際、甘やかされたらしい。
おかみさん(海老名香葉子)と、おかみさんの言いなりだったこん平に詰められながら育ったたい平師は、実は相当に屈折しているはず。
現在は、元の一門について言及することはめったにない。

歌丸師も、厳しすぎて育成下手だった。

先代三平にぶん殴られながら育った当代正蔵師は、現在意図的に緩めている気がする。
そうしたら、つる子さんはじめ売れっ子が出てきた。
当然といえるでしょう。

こみち師も、もっと緩い一門だったらもっと伸びてたんじゃないか。私はそう思う。
だいたい、ご主人の宮田昇先生は、厳しい修業なんて一切していないはず。
そこを見ただけでも、厳しい修業のナンセンスさがわかるではないですか。

 

作成者: でっち定吉

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