柳家喬太郎「偽甚五郎」

柳家喬太郎師がコロナ陽性だそうで。
これに伴い、5月上席、浅草演芸ホールの夜席主任をはじめとする寄席・落語会は代演となる。
浅草演芸ホールの番組表を見ると、5月1日から4日までは代バネで三遊亭白鳥師が顔付けされている。
5日以降はいまのところ喬太郎師のまま。
噺家にとってのコロナもすっかり軽くなり、わずか5日間の自宅待機でいいわけだ。だから連休中に復活するようだ。
鈴本の夜にも出番があったが、こちらも師匠・さん喬と白鳥師で振り分けている。鈴本は6日まで代演になってるね。
5月2日の落語協会・国立演芸場の「五月まつり」は春風亭一之輔師が代演に入っている。

ツイッター読むと、心配するファンの声が多数。
ニュースに触れた私、心配なんてこれっぽっちもしなかったもので、軽くずっこけた。
そもそもコロナって今、心配するものなの?
そりゃまあ、痛風とか既往症のある人だから、昨年までだったら心配しても無理ないところだけど。

とにかく今日は喬太郎特集にしようと思います。
テレビの喬太郎師は、すでにだいたい取り上げちゃった。
最近の録画では、BS松竹東急で流れた「白日の約束」などあるけど。

冒頭に広告張った<柳家喬太郎落語集「ザ・きょんスズ30」セレクト-古典編Ⅰ>から、「偽甚五郎」を取り上げてみます。
端午の節句に合わせて、鯉の噺。まあ、これは後づけですが。

喬太郎師に対し世間が最初に思い描くような、破天荒な面白さを持つ噺ではない。
それでも、まさに喬太郎という一席。次の理由で。

  • 古典落語を増やす能力の見事な発露
  • 人の感情を極力抑えた方法論

喬太郎師は、復刻落語を得意にしている人。
落語界広しといえど、ここまで次々落語を復刻している人はいない。
当ブログでもよく取り上げているが「擬宝珠」「茶代」「仏馬」「綿医者」など。
古典落語を増やすという点では、偽甚五郎も同一の地平線にあるように思う。
甚五郎ものでは「竹の水仙」をやる喬太郎師、恐らく、これとまったく異なる意欲が湧くのだと思うのだ。

そして、感情を極力抑えた落語だということ。
私は、古典新作問わず、師の「感情のほとばしり」についてしばしば取り上げている。「心眼」なんてのはまさにこれ。
それと対極にある、感情の昂ぶりの存在しない噺。
しかし、ベクトルが真逆なだけで、本質は一緒かもしれない。
日ごろから感情の昂ぶる噺をしていると、それを抑えるだけで、静かな昂ぶりが全編にみなぎる。

入船亭の師匠から聴くような、水のような味わい。もうたまらん。
劇的なドラマを用意しようとすれば、できない噺ではない。
甚五郎が偽物にさんざん罵られておいて、しかしながらついに正体を現し、大逆転という水戸黄門型の。
だが、そんなものを味わう噺ではないのだ。
最初から最後まで、一切テンションの変わらない甚五郎が極めて楽しいのだ。
悪役のほうにだって、本物を認めず抵抗するなんて展開はない。
この噺は、徹底的にカンナを掛けてドラマの安直なケバケバを削り取ったものなのだ。

左甚五郎ものといえば、「竹の水仙」「ねずみ」「三井の大黒」など。あと叩き蟹、奥山の首など珍品があるけど、ごく普通には3つだけでしょう。
そこに、新たな1席として地位を占めそうなのが「偽甚五郎」。
これはもともと落語ではない。神田愛山先生に教わったそうなのだが、釈ネタである。

「きょんスズ」は1か月間連続公演であったが、この日のゲストは林家たい平師だったようだ。
たい平師がマクラで、一緒に真打に昇進した話をしたらしい。それを受けて、あいさつ回りで大師匠を訪ねていったマクラ。
マクラは短めに本編に入る。
ちなみにたい平師はこの日「らくだ」を出したようだ。
喬太郎師の本編に、甚五郎が生きた蛙を彫ったというエピソード入り。
「今日しか言えないことを言うのはよしなさい」とツッコミが入る。
でも、本当にギャグはこれだけ。ギャグがないといっても、全編に渡って静かなトーンの楽しさに満ちているのだった。

道中山賊に身ぐるみ剥がれた甚五郎を気の毒がって居候させる主人。
甚五郎は例によって名前は甚助だと適当なことを言う。

ネタ出しではないから、この日のスズナリの客の大部分はどんな話か知らないで聴いているわけだ。
この主人公が誰なのか客が明確に把握する前に、左甚五郎という名前が先に出てくる。
甚五郎と名乗るお客が、もうひとりいるのだと。
偽物がいるのを知っても、本物は一切慌てない。
いい酒の匂いに誘われて、偽甚五郎の泊まる座敷に入り込む甚助。

主人が偽甚五郎に鯉の彫り物を依頼しているのを聞き、静かなる因縁を付け、勝負に参加する本物。

まあ、ここまで来れば結末は決まっている。展開を裏切るような落語ではない。
この噺は、ストーリーとは異なる要素が全編を支配している。
鯉の彫り物は、甚五郎ものの噺のマクラに出てくる龍のエピソードと同根なのだろう。
ひどい鯉を彫る本物だが、たらいの水に入れたとたん、ひどい鯉が生きているかのような鯉に変貌するのだった。
だが、客の心中に「どうだ!」という感想は湧かない。静かなトーンに最後まで圧倒されるのであった。

(追記)

ひとつ書き漏らした。
講談の偽甚五郎を喬太郎師が掛けたかったのは、師がウルトラマン好きだからに違いない。
すなわち偽ウルトラマン。
偽ウルトラマンのマクラを振ろうかどうか考えたに違いないし、そのうち振るかもしれない。

作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. 先日、25日の二葉独演会のスケで、元気に出ておられたので、ちょいびっくりです!!!

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