無料のカメイドクロック落語会のあと、江戸川越えて本八幡へ。
平日昼間からビッグネームが集まる会。
この会の名称、主催者のエイフル企画では「市川市文化会館 好楽・文珍・喬太郎・三三」。
ポスターでは「豪華競演!特撰東西落語名人会」。
東京かわら版では「特撰落語会 市川市文化会館 好楽・文珍・喬太郎・三三」。
バラバラだね。
どのみち満員にはならないようなので、連休前から検討はしていた。
私はこういう、大ホールでやるビッグネームの会にはそれほど縁がない。
別に主義主張があって行かないわけではない。高い料金と、事前にチケット買うのが面倒だなと思うからだ。
それでも、一昨年は銀座ブロッサム、昨年は鶴川で柳家喬太郎師を聴いている。たまには参加します。
その喬太郎師も復活したことだし、前日に電話して確保。
2階席でも3,500円する。
といっても、桂文珍師の会だったらおおむね5,000円以上するわけで、それを考えれば高くはない。
そんな私、文珍師は初めて。
テレビでちょくちょく放映される高座なら、すべて保存しているが。
金明竹 | 貫いち |
お血脈 | 三三 |
携帯供養 | 文珍 |
(仲入り) | |
普段の袴 | 喬太郎 |
三年目 | 好楽 |
立派な緞帳は、東山魁夷でしょうか。
市川市に記念館があるそうなので。
開演前にアナウンス。
「携帯電話のアラームが鳴りますと他のお客様の迷惑になるだけでなく、せっかくの公演が台無しになりますので、マナーモードでなくどうぞ電源をお切りください」
正確には「台無し」ではなかった。もうちょっとソフトに、だがしっかりとなんて言ってたかな。
実に立派なお知らせだが、案内空しく2階席でもやたら鳴ってました。
そもそも電源切ったことない人たちなんでしょう。
携帯がやたら鳴るのを見てもわかるが、観劇、落語に不慣れな、笑点好きの客ばかりである。
それにいちいち腹を立てたりはしない。
ただ、この集団に思いっきりおもねり、合わせていったのが三三師。
反対に、質のよくない客を自分の土俵に引き込んだのが、文珍師であったのだ。
当然、私の中で評価が上がるのは後者。
多彩な顔を持つ喬太郎師は軽い一面を見せ、好楽師はホールの大小は関係なく、平常運転。
前座は春風亭貫いちさん。
私のイチオシ前座なのだが、金明竹の傘と猫のくだり抜くと、なんだか中途半端な一席だなと。
でも、掃除は入れる。
とにかく、最近金明竹の言い立てを覚えたため、ひっそりと一緒に脳内で唱えるのだった。
私の覚えているのとは細かい部分が違うが、基本はおおむね同じ。
「馬鹿で与太郎」と振っているが、名前は松公だった。柳家以外でも徐々に松公になりつつあるみたい。
一席終えてメクリを替える際、まだ入場者がいたためだろう、メクリ横で正座する貫いちさん。ごく普通の作法。
お客はなにを勘違いしたのか、そこに拍手を入れる。客に対する「ぼくの金明竹、どうでした?」アピールじゃねえっつうの。
文珍師のために見台と膝隠しを貫いちさんが持ってくる際も、文珍師と思ったのか拍手をする客がいた。
勘違いはそりゃ、誰にでもあるでしょう。でも、なぜかなかなか拍手をやめないんだ。
作法を知らないことが恥なのではない。
恥なのは、知らないくせに「これでいいのだ」という、根拠のない自我の強さである。
都営地下鉄が走る街でもこんなのかよ。
次の柳家三三師が、書いたとおり思いっきり落語初心者に合わせていた。
そりゃまあ、格言にも古くからある。「噺家に下手も上手もなかりけり 行く先々の水に合わねば」と。
作法として、なにも間違ってはいない。
客席をあっためる着火の役割を果たすわけだし、そして自分自身は燃えてなくなってしまう献身的な仕事。
だがやり方が露骨すぎて、寄席好きの私は結構引いた次第。
地噺のお血脈というのも、こうした際のいわゆる「逃げ噺」なんだろう。三三師に地噺のイメージなど一切持っていなかったが。
演目に罪はないし、お血脈自体も全く嫌いではない。だが少なくとも三三師にとっては、最下層と判断する客の前で出す、便利な噺のようだ。
昨夏、池袋のトリを務めた師からは、「落語ファンのマニア度が高くなりすぎると、異様な状況をかえって普通と感じてしまうことがある」という指摘を聴いた。
マニアをこじらせたうえで業界に入った師らしいなと、非常に驚いたものだったが。
あの席が師の考える、最上級層ということか。振り幅激しい人だ。
その池袋演芸場のことも、客の来ない寄席と下げる。
なんだろう、菊之丞師が同じことを言うのと違って、なんだか私が地味に傷つく。
地噺のギャグというものは、演者と波長が合わないと楽しくないものだなと。
ただ、三三師が狙いにいった超ライト層にはドンピシャでナイスプレー。それはよくわかるのだ。
もっとも大笑いしていた人たち、高座の内容なにひとつ覚えていないはず。
冒頭から、「まともな人は働いている時刻にようこそ」。
私の嫌いなヒルハラにスレスレである。というか、二ツ目が同じ口調で同じこと言ったらヒルハラ認定しますよ。
駅からの中途半端な遠さを揶揄する。
駅からお客さんと一緒に歩いて、さりげなく会話を耳にする。お客さんの期待しているのは好楽、文珍の両師のようだ。私と喬太郎師匠はそうでもないみたいと。
本編に入っては、脱線小噺でお約束のような三平disり。
こうやって、冗談ばかりの噺から、信濃の善光寺に話を持っていけるウデが、三三と三平の違いです。
さらに正蔵disまで入る。喜ぶ客たち。
なんだかな。ちょっとヤな感じだなと。
最近も書いたばかりだが、落語協会内の三平いじり、最近楽しい一線を越え、あちら側に行ってしまった気がする。
笑点を中心に、落語界にごく浅い関心しかない客が持つ、「あの兄弟はダメ」というぼんやりした共通認識に訴えかけているわけで、非常にズルいやり方の気がする。
三平に限らないが、同業者をdisる際に愛が感じられないとやっぱりイヤだな。サンドバッグなんか叩いたって楽しくもなんともない。
私に非難する資格があるかどうかは知らない。
お初にお目にかかります
三三師匠はお血脈を最近よく演っている印象があって、私が聴いた範囲ではそこまで違和感を覚えませんでしたが、客層に合わせて結構変えているのかもしれませんね
もしかしたら私もなっていない客だと判断されて、お茶を濁されているのかもしれませんが笑
話はそれますが、三三師匠の独演会にも行ったことがあるのですが、噺家のことを推しなんて言っていそうな(偏見です)客がちょいちょいいて、定番のクスグリでいちいち拍手したり執拗に相槌を打ったりで、師匠のコアなファン層にもそういう人がいるんだなあと思った記憶があります
悪口みたいになってしまいましたが、それでも私にとって三三師匠は寄席に出演していればなるべく観に行きたい噺家ですね
いらっしゃいませ。
私自身、三三師を聴く機会が決して多くないもので、認識が違うところはあると思います。
「もののわかっていない客の前で、売れっ子噺家がおもねった地噺をした」は私の解釈に過ぎませんので。
ただ、誤解が解けなければ気を悪くしたままということはあり、今回もそうなるかもしれません。
痛いファンは嫌ですね。そんなファンがいると演者のこともちょっとマイナスに感じます。
現に鯉八師のことが、それもあってダメになりました。
客は常に、自然でありたいものだと思います。