古今亭佑輔Vs.金原亭杏寿 どちらの育成が正解か

「落語のおもしろ要素を解析してみる」という続き物を始めた。
「上」は午後5時に出したわりにずいぶん好調だったが、いきなり「中」でアクセス低下。
月始めから広告収入も急落でトホホである。上中下に分けるとこういうことがある。
「なんだ、今日で終わるのかと思ってたらまだ続くのか。じゃあ、明日以降にまとめて読もう」ということでしょうか。
そして「下」が出た後も、面倒くさくなって結局スルーしたりなんかして。最新記事もあるし。
「下」は出す予定で鋭意執筆中だけど、ちょっと空気を変えてみようか。
自分でも嫌らしいなと思うのですが。

古今亭佑輔さんは、破門されるまでは金原亭乃ゝ香。
「ゝ」の字は珍しい。噺家のほとんどが「之」で、たまに「の」。入舟だけ「乃」。
乃ゝ香さんは、金原亭世之介門下の一番弟子だった。
そして二番弟子が金原亭杏寿さん。妹弟子のほうが年上。女優上がり。
それぞれ、美人女流落語家としてデビュー時から話題を集めていた。

美人はいいものだ。反ルッキズムの風潮であってもなお。
あんまりブログでもって、綺麗だ美しいと、主観を書きまくったりはしないけど。
男前のほうは、まだわりと平気で書くけども。
しかし美人であろうがなかろうが、「かわいいから好き」という種類の落語好きでないことも確か。
美人がどうかに関わらず好きな女流落語家がいる。当たり前と言えば当たり前。

佑輔さんを先日黒門亭で初めて聴いた。
特にどうこう言いたい高座ではなかった。「不愉快」という高座も世に間違いなく存在する中、そこまでではなかったとはいえる。
ただマクラで「ナンパされた」話をしていたのだが、後で考えると、ナンパされない女性からしたら不快であろうなあ。
そんな話したらいけないなんて言わない。「客を不快にさせずに出す」ことができればなんだっていい。

他方、金原亭杏寿さんは、前座の末期に新小金井で聴いた。
落語の評判なんてまるで聞いていなかったが、結構上手くて驚いた。
「隠居に甘えて飛び掛かる元犬シロ」の画が見えたもの。
先日の桃花司会の女流大喜利でもって、前に出ない話術でもって空間を支配していたのに驚嘆したのだが、高座のほうもそんな感じではあった。
あの番組では、見せ場の特になかった桂しん華さんのほうに肩入れしていた。だから杏寿さんへのひいき目に基づくものではないと思う。

元一番弟子は凡庸で、現在の一番弟子は上手い。
少ないサンプルでそう決めつけるわけではありません。ただ、私の感性に働き掛ける、重要な材料にはなる。

佑輔さんの現師匠・志ん輔師についてはイタい人だとずっと思っている。下を育てようという意思はあるが、その実績は驚くぐらいない。
ただし、元の師匠・世之介師も、ご自身のブログに破門した弟子の批判を載せて、世間の評判を大きく下げたものと思われる。

破門した乃ゝ香を罵る金原亭世之介

当ブログの累計アクセス数10位の記事だ。
私は、天歌事件を見ていただいたらわかる通り、パワハラ師匠には厳しい。
そもそも、落語界をじっくり観察すると、いい噺家がおおむね緩い一門から出ていることにすぐ気づく。つまり厳しい師匠は、自己満足と支配欲のために、弟子を潰す愚かな人なのだ。
その揺るぎない観点からすると、志ん輔師は当然ダメだし、世之介師もなんだかなとなる。

世之介師は、残った弟子杏寿を、いなくなった姉弟子の分まで売り込んでいるようだ。
まあ、ご自分の事務所「キングプロダクション」の看板タレントだからというのはあるにせよ。
笑点特大号の女流大喜利に押し込んだのは、かなり反響あったのでは。私のブログに検索でやってくる数を見ればわかります。
いっぽう、次のニュースの反響がまるでないのはご愛敬。なにもかも上手く行きはしない。

金原亭杏寿、山口勝平とのデュエット曲も含む“落語歌謡”CD発売を記念した独演会を開催 (Yahoo!転載のCDジャーナル)

元記事が残っていないので、これも早めに消えそう(※消えました)。

ものの見方はいろいろある。師匠の方針についてもいろいろ。

  1. 事務所の稼ぎ頭を活動させて必死
  2. タレント扱いの弟子が気の毒だ
  3. 沖縄発の女流を売り出してくれる師匠はありがたい

全部成り立つ。
落語界のほうでは、あまりよく思っていないことも想像はつく。破門された佑輔さんを、落語協会の近年では異例なのに移籍を認めたからだ。
さて、杏寿さん本人のほうは、売り出し方に異論があるだろうか。
女優をやってたぐらいだから、売り出し方が重要なことはわかっている。感謝しかないのではないか。

こういう観点から見ると、先の世之介師の破門した弟子への罵りと言えるようなブログも、読み方が変わってくる。
もちろん非礼は非礼だけども、師匠の想いの中身のほうについて。
杏寿さんの売り出しとともに、まさに私の中でもこれが変わってきたところなのであった。

師匠に向かって、「師匠のやり方では食えません」と言った元弟子。
もちろん、当事者の一方的発信だから、そのエビデンスはないけども。
世之介師の激しい文章のトゲを避けつつ、冷静に捉えてみると、実に失礼な弟子だなとも思えてくる。
二番弟子が世に出ていくさまを目の当たりにしていると、結局師匠がすべて正しく、弟子はすべて受け入れるべきであった、そんな気がしてくる。
この感想は、振り返ってのもの。自分の意に沿わない指示を聞けなかった弟子を、すべてダメと決めつけるわけではないのだが。
だが少なくとも、弟子が賢くはなかったとまではいえる。賢くないことへの自覚が足りなかったと言えば正解か。

かわいいというのも一つの個性。
そこに陽の当たる形で世に出ていくのが、本当に悪かっただろうか。
その道は二度と選べない。今の師匠は、(自分はテレビに出ていたのに)出さないだろうし。
落語を楽しく一生懸命やってたら本人の思い通り食えるかというと、どうだろうな。難しいだろうな。

テレビ等メディアと落語の関係はいろいろ言われている。
だが、当ブログでもたまに書いていることを総合すると、私はこうなのだと思っている。

  • テレビ・ラジオにはどんどん出るべき
  • そこで人気を得られる努力と苦労もすべき
  • 需要があるなら乗ったらいい
  • テレビの経験を本業で活かすのは本人次第。経験ない人よりもずっとチャンスが広い
  • 「テレビに出てるから落語がヘタ」は売れてないヤツのヒガミ
  • 本当に落語に賭けたいのなら、どこかでテレビをスパッとやめるのがベスト

たぶん世之介師は明確にこのメリットを見ていたと思う。それに弟子にも伝えていたはずなのだ。
少なくとも、一度乗ってみてから決めるべきではあったろう。
「テレビはオワコンだから避けたほうがいい」ならそれは一つの見識ではあるが。

私、好きじゃない志らく、昇吉といったあたりの人についても、テレビ出ていることが悪いとは全然思ってないのです。
一之輔師も当然のように笑点に出てきた。
元乃ゝ香は、自分の将来について選択ミスをしたと思う。
需要に基づき積極的に踊っている杏寿さんのほうが、落語自体も上手くなると思う。少なくともその可能性のほうが高く見える。

私も世間に合わせ、記事を一本書いてみました。
ブログも、書きたいことはあるが、独り言書いてりゃいいというわけじゃないのです。

作成者: でっち定吉

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