とにかく明るい安村を「こいつ」呼ばわり、競走馬を「お前」呼ばわり

落語について日々書いている当ブログだが、それほど関係ないこともまれに出している。
その代表。


「突っ込みました」を言い換えたい

実は隠れ検索ヒット記事なのです。ブログ内で見つけてもらうのではなく、検索ヒットが大多数。
ニュースでもって、クルマが暴走して建物等に「突っ込む」たびに、その表現に違和感を持った人が検索して、当ブログに行き当たる。
「車が突っ込む 言い換え」検索では「強調スニペット」表示されるからすごいもんだ。

今日はそんな、隠れ人気の日本語コラムシリーズです。
「日本語」というタグも作っているので、落語に飽きたらご覧ください。
もっと反応があれば、「カテゴリ」に昇格するかも。

とにかく明るい安村の“裸ネタ” 海外ファン称賛の嵐「こいつは伝説だ!」「彼を勝たせてくれ!」(ENCOUNT)

若い人は、日本人が「勤勉だがユーモアに欠けた人」と、国際社会から侮られていた時代をもはや知るまい。
ネットのおかげで日本人がいかにクレージーか、ワールドワイドに知れ渡るようになった。そもそも我々、21世紀になって急に面白くなったわけでもなく、積み重ねの長い歴史がある。

今回気になったのは、ピン芸人「とにかく明るい安村」の活躍の事実ではない。
記事の見出し「こいつは・・・」が。

三人称がなぜ「こいつ」? 翻訳する際、他にあるだろ?
私の疑問を発生させない余地は若干ある。「こいつ」というフレーズが直接掛かっているのは、「安村」ではなく「事象」ではないかという。
まあそうだとしても、見出しにオヤと思った事実は揺るがない。それに事象自体を軽んじている表現だから、大差ない気がする。

よほど親しくない限り、あるいは相手が気を許せる目下という特殊な関係性でもない限り、「こいつ」なんて三人称は使うものではない。
少なくとも私でっち定吉には、「こいつ」呼ばわりを許容する相手は現在いない。
自分で使うとしても、相手は息子が唯一である。嫌いな噺家や芸人に対してだって、「こいつ」とは書かない。
でっち定吉をSNSで「こいつ」と呼ばわっていれば、それは親しみではなく、100%マウンティングである。
対象の好き嫌いは別にして、気軽に誰でもコイツ呼ばわりできてしまう神経のほうが私には信じられぬ。その程度で上に立ったつもりになれるその了見が。

「こいつ」を辞書で引くと。

三人称の人代名詞。話題になっている人を軽んじ、ののしったり親しみをこめたりしていう。「だって—が先にやったんだもん」

とある。

当ブログで「こいつ」をどの程度使っているか検索してみた。
他人に向けて使っていることはほぼなかった。
落語の登場人物に対してなら、多少ある。
ただ、「こいつ」は使わないが「貴様」はしばしば使っていた。これは少々反省したほうがいいかもしれない。
さて、「こいつ」についてはブログ内でこんな使い方が見つかった。噺家が、他の噺家を評するときに使うことば。

  • 文治師が、披露目の口上で司会の小痴楽師を早退させるとき「こいつは遅刻癖があるもんで」
  • 志ん朝が好楽師を飲みに連れていき、「こいつは親父の隠し子なんだ」
  • 遊馬師が二ツ目の仕事をチェックし、「こいつ今日も仕事してる」
  • 芸協らくごまつりでのアタック25の大会で、歌春師が昇吉師を「こいつはいつも汚い奴」

落語界は上下関係が明確なのでわりと「こいつ」は使いやすいみたい。言われる側が喜ぶ場合も、そうでない場合もある。

私が気になるのは、表現そのものより、記事を読みつつ多くの人が疑問に思わずスルーしてそうなことのほうである。
この記事は、日本人が集団で無意識に持つ、こんな偏見を背景にしているのだ。

  1. 欧米人、とりわけ英国人はユーモアセンスが高い
  2. 英国のほうが日本よりお笑いレベルが高いに決まっている
  3. レベルの高い国のファンは、東洋のコメディアンを下に見ている
  4. 日本人もまた、下に見られている事実を受け入れている
  5. 日本人を見下す英国人を、安村はアッと言わせてやった

日本人自身の自信のなさだけならまだいいのだが、実は「こいつ」という表現は、英国人(欧米人)が傲慢だという我々にある偏見をも映し出している。
私からすると、落語など日本お笑い史を考慮せず、ネット時代になってからのごく短い積み重ねだけで十分、日本人の面白さを理解している。
どうだ見たか!ではなく、「日本人って面白れえなー」という第三者視点でこの事実を知っている。
このため、上記1~5の偏見はもはや持ち合わせていない。偏見が間違いなく世に存在していた記憶はあるが。
偏見がないがゆえ、記事の「こいつ」につい反応したようである。偏見をまだ持っている人たちはスルーするわけで、この表現はリトマス試験紙の役割を果たすのだった。
繰り返し「日本のお笑いはダメ」なんて言ってる茂木健一郎なんて人は、偏見が抜けないどころか、ここからさらにおかしな主張を展開し出す。

二人称にも違和感を持ったことがある。
ネット時代よりも前になるが、昔競馬ファンだった私が思い出す、オグリキャップブーム。
オグリキャップ人気を当て込んで、歌もいくつか作られた。
ただ、オグリキャップの出身競馬場・笠松での引退式で流れたのは、「オグリキャップの歌」というもの。
この歌において、オグリキャップに呼びかける二人称が「おまえ」だった。

まあ、所詮馬畜生だと思えばお前でもいいのだが、アイドルホースをお前呼ばわりする?
競馬ファンも変態が多いから、馬には憧れというか一体化というか、気持ち悪い感情を持つことが多い。「おまえ」はいきなりは出てこないな。
そういうセンスのなさによるのだろう、歌が売れたという話は聞かぬ。
時代をもっとさかのぼって「さらばハイセイコー」の歌詞を改めて見てみたが、「おまえ」なんてない。こちらはヒットした。
「走れコウタロー」では、「ここでお前が負けたなら」とあるが、これはギャンブルの駒に対する呼びかけで、特に違和感はない。

というわけで。
偏見に満ちた二人称や三人称の用法に気を付けましょうという結論です。
ちなみに一人称は噺家のごとく「あたし」でもいいが、「わっち」などいかがですか。歌川国芳はこう言ってたらしい。

作成者: でっち定吉

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